「スピリチュアル女子は守られるべきか否か」論争に思うこと

「分断」を避けすぎるリスクと向き合う

「独自の信念」を持つ人々からの敵意

『「スピリチュアル女子」をあざ笑うすべての人に言いたいこと
その揶揄の先に待ち受けるのは、分断だ』
───。

「現代ビジネス」で12月6日に掲載された、小池みきさんによる上記の記事を興味深く拝読させていただきました。特に、記事の中に出てきた、

「揶揄は、揶揄されている側を意固地にさせ、考えをより先鋭化させてしまう、ということである」

というコミュニケーションの難しさへの指摘には頷きました。しかし同時に、非常に強い既視感と違和感も覚えざるを得ませんでした。福島をとりまく状況のことを、どうしても想起してしまうのです。

私は福島県出身で、今も福島県内に在住するライターです。

ご存じのように、約7年9か月前に東電福島第一原発事故がありました。原発事故の影響は非常に大きく、多くの人の人生を変えてしまったことは言うまでもありません。家族の分断や、避難にともなう震災関連死も、福島県では他の地域に比べ突出して増えました。

その一方で、現在の福島にはまだ解決すべき課題は多数あるものの、避難区域外の多くの地域では、おおむね平穏な日常が取り戻されつつあります。

懸念された放射性物質による汚染は多くの方の当初の想像を大きく下回り、被曝そのものによる健康被害は起こっていません。食品の安全性も他地域と変わらないレベルにまで回復し、東南アジアやEU、中東などでは、福島県産食品の輸入量がすでに震災前を上回っている品目もあります。

福島県を代表する農産物の1つである梨も近年輸出量を増やしている(Photo by iStock)

しかし、復興している福島の現状や、科学的事実を決して認めようとしない人たちも、いまだに少なくないのが実情です。

この7年以上の間、調査にもとづく科学的なデータや蓄積された知見を頑なに否定し続けている人々。その動機はさまざまですが、「放射能の影響はまだわからない」として、科学的事実や知見そのものを拒み、「独自の信念」を貫いているのです。

そして、そうした信念が外部から否定されると、「政府の犬や東電の工作員が騒いでいて煩わしい」「私たちが真実を伝えようとしているからこそ、敵は批判してくるのだ」などとますます頑なになり、ときには福島に暮らす被災の当事者にまでも敵意を向けることがありました。

原発事故後に私たちが試みてきた、このような「独自の信念」を持つ人々とのコミュニケーションにおける課題との類似性が、冒頭にあげた記事での「スピリチュアル女子」を取り巻く環境と、あまりにも重なっているように思われたのです。

 

「スピリチュアル」は、本人だけの問題か?

こうした、いわゆる「放射能デマ」問題と「スピリチュアル」の問題は、科学的な議論や対話が通じない「独自の信念」の当事者を抱えているという点で、大きく共通しています。

これらが極めて深刻なのは、それが本人の「信念」の領域にとどまらず、周囲や社会を大きく巻き込む実害を生み出してしまっていることです。

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