「牛丼最終戦争!?」
「吉野家が開けたのはパンドラの箱だった」
「すごい、すき家(ゼンショー)だけが伸びてる……」
実在する「Tゼミ」(瀧本哲史京都大学客員准教授が顧問)をモデルにした東大ブラック企業探偵団が「牛丼最終戦争」を読み解く。このゼミでは、公開情報に基づく企業分析と政策分析を通じ、過酷な現代社会を生き抜くための意思決定方法を学び実践している。
東大・京大で売り上げ第一位!日本最強の企業分析小説が解き明かす「いい会社」「悪い会社」とは――。
その二、牛丼最終戦争
ぜいたくの象徴からデフレの象徴へ
「寿司だけが外食産業のホワイト? どういうことだよ」
「おい、いきなり食うんじゃない」
ビックリしながらもちゃっかりマグロに手を伸ばすカンタと、それを制するハルキ。そんなやりとりをよそに、マオはパソコンを操作しながら鋭い指摘を投げかける。
「ふーん、業績の厳しい外食の中にあって、回転寿司業界だけは2009年から2014年までの5年間で平均売上高成長率が5・7%と驚異的ね」
「僕は寿司業界に就職すればいいんですか……」
とヤスシ。
「黒井さん、結論を出すのはまだ早すぎますよ。なぜ外食産業全体がだめになっていくのか、もう少し構造的に見ていく必要がある」
ハルキが資料の中から付箋がたくさん貼られたファイルを取り出して一同に見せる。
「外食産業を象徴しているのはやはり牛丼チェーンだ。ここに外食産業の歴史があるし、未来もある」
最古の牛丼チェーン・吉野家の「牛丼並」は物価上昇に伴って1990年まで値上げされてきた。しかし2001年に吉野家は280円への値下げを敢行。(図1-4)
業界のリーダーが仕掛けた価格破壊は一気に他企業にも及び、ハンバーガー1個59円のマクドナルドと並んでデフレの象徴と揶揄された。
「たしかに、外食産業の衰退期と完全に時期がかぶるわね」(図1-5)
1970年代半ばから、ちょっとしたぜいたくの象徴としてファミリーレストランを中心に伸びていった外食産業だが、1990年代末から2000年代の初頭にかけて、ファストフードに代表される、ヘルシー志向ではないが安くて手軽というデフレを象徴するサービスに転じていった。
「吉野家が開けたのはパンドラの箱だった。見てみろ、価格競争路線に走ってからの牛丼チェーン大手3社のありさまを」(図1-6)
「これはひどい……」
2004年度(平成16年度)はBSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)問題が発生したため仕方ないとはいえ、それを除いても吉野家、松屋、ゼンショー3社の売上高営業利益率はどんどん下降している。
「吉野家が示した『280円』をガイドラインに、どの企業も地域限定値下げや割引などでとことん価格を絞る泥仕合を演じた。一方で積極的な出店は続けていたから、そのコスト増大分はとうてい、原料費の切り詰めや人件費のカットでは追いつかなかったんだろうな」
外食産業の人件費率は、陸運や医療などを除いて、ほとんどのサービス業を上回る。値下げのしわ寄せをモロに被った従業員の労働環境は悪化するばかりだ。
「でも、人を削るのにだって限界が――」
「なあ、ちょっと待ってくれよ」
ハルキとマオの議論にカンタが割って入る。
「いったい何よ」
「いくら数字や指標を並べて批判したって、牛丼チェーンは消費者から見たらどんどん便利で安くなってるだろ」
「だから何? 議論の途中なんですけど!」
「ここはひとつ、現場に足を運んでみようぜ。みんなですき家に行こうよ」
カンタは、ハルキが持参した寿司をもうすべて平らげていた。
「あきれたわ。アンタは食い意地が張ってるだけでしょ。一人で行ってちょうだい」
「あのー……」
それまで完全に場の空気と化していたヤスシが、とても申し訳なさそうに手を上げた。
「実は僕もちょっと話についていけてなくて……。実際にお店に行ってみたいなって……」
「マオ、2人の言うことも一理あるぞ。実例を見ながらのほうがわかりやすいこともある」
「しょうがないわね、わかりました」
「ありがとう。やはり、現場を見たほうがいいからな。すき家をめぐる――」
ハルキがいつにも増して、もったいぶった様子で一呼吸おいて言葉をつなぐ。
「『牛丼最終戦争』の話をするにはな」
「牛丼最終戦争!?」
「ああ。それじゃあ黒井さん、午後6時に龍岡門近くのすき家に来てください。そこで本当の外食企業とはなにかをお話ししますよ」
すき家で語られる牛丼レジェンド
「ねぎ玉牛丼大盛り、卵追加で。ほら、みんなも早く頼めよ」
カンタが手慣れた様子で注文する。
午後6時。4人は東大の〝裏正門〟と呼ばれる龍岡門近くの「すき家」に来ていた。
「私は『とろ〜りチーズカレー』で。……カンタ、あなた本来の目的を忘れたわけじゃないでしょうね?」
「もちろんさ。夜のピーク時まではまだ1時間ほどあるのに、店内にお客さんは10人。オレらと入れ違いの人もいたよな。これを2人の店員さんだけでまわすのは大変だろうな。なのにテーブルはどこもきれいに拭かれているし対応も早い。たいしたもんだよ」
店内を見渡しながら、観察したことをつらつらと述べるカンタ。注文を受けた店員はせわしなく厨房側で丼を用意して機械の台の上に載せ、出てきたご飯の上に手盛りで具を加え、それをトレイまで運ぶ。
「……?」
カンタはその光景に微かな違和感を覚えたが、勢いよく話し出したハルキに意識を奪われた。
「吉野家が仕掛けた消耗戦とBSEのダブルパンチを食らった牛丼業界だが、そんな中で伸びてきたのがすき家だ。2009年に吉野家を抜いて店舗数日本一になると同時に、ライバルたちに『戦争』を仕掛けた」
牛丼再開直後は各社ともに牛丼並380円で横並びだった。すき家はそこに2000年代初頭の吉野家と同じ1杯280円の価格破壊を起こしたのだ。
「2001年と違ったのは、低利益率にあえぐ競合他社がついてこられなかったことだ。結果、1年で売上高を1・25倍に伸ばしたすき家は一人勝ち。国内ナンバーワン牛丼チェーンの座を確固たるものとした」
すき家の快進撃を止めた吉野家の一手
「すごい、すき家(ゼンショー)だけが伸びてる……」(図1-7)
ハルキが示すグラフに感嘆する3人。ハルキはなおも続ける。
「低価格・店舗拡大路線で突っ走る。すき家がやってきたことはそれさ。しかしそのしわ寄せは現場の消耗と財務体質の悪化をもたらした」
「なぜほどほどでやめておけなかったんだ? もうナンバーワンになったんだから、無理することはなかったのに」
「それはな……そもそもすき家が低価格で牛丼を提供できた理由と表裏一体なんだよ」
ゼンショーグループの強みは、規模を活かした原料の大量発注による低コスト構造だ。それを維持するためには大量の在庫を抱えなくてはいけない。そうして在庫が処理できるまでの日数を表す「棚卸資産回転期間」はどんどん伸び、2004年度は7・65日だったのが2014年度には33・04日と、4倍以上になった。(図1-8)
それだけの在庫をさばききるために積極的に進められたのが新規出店だ。人手が要らなくなればなるほど新規出店はしやすい。だからこそゼンショーは、店舗数ナンバーワンになって以降、極端な省力化を進めてきたのだ。それが従業員の給料・賞与・福利厚生費を含む指標である売上高販管費率の低下として如実に表れている。(同前)
「松屋・吉野家と比べて、財務の健全性を示す『自己資本比率』もきわめて低い。ハイペースの成長を前提に借り入れをしていたから、歩みを止めるわけにもいかなかったんだ」(図1-9)
ひとつひとつの資料が、生き延びるために限界を超えて拡大しようとするゼンショーグループの全容を明らかにしていく。
「なんだか、泳ぎ続けないと死んでしまうカツオやマグロみたいだな……。ほかの、吉野家とか松屋はどうしてたんだ?」
カンタは興奮ぎみにハルキを問い詰める。
「メニューによる差別化だ。吉野家と松屋は、丼ものや定食、カレーそれぞれで多彩なラインナップを取り揃えた。だがそれもコストのかからない差別化でしかないから、ほぼすべてすき家は模倣した」
たとえば、マオが注文した「とろ〜りチーズカレー」のようなすき家のメニューは、ほぼ同様のものが吉野家にも松屋にもある。
「じゃあなぜ、圧倒的王者のゼンショーはやられちゃったんだ?」
「それは、吉野家が、ゲームの構造を変える巧妙な一手を打ったからだ」
それは2013年末のことだった。吉野家は新メニュー「牛すき鍋膳」を並580円という高価格で販売開始。鍋は丼よりも手間がかかり、通常ならばオペレーションに支障をきたすところだが、専用の什器を開発することで現場の負担を抑えることに成功した。
あえて人手のかかる鍋で差別化することにより、省力化こそを強みとしていたゼンショーの隙を突くこととなったのだ。
この吉野家の逆襲に対して、すき家は躍起になってわずか3ヵ月後に「牛すき鍋定食」をスタート。しかし省力化しきっていたすき家のオペレーションでは対応できるはずもなく、結果として現場は完全に崩壊して閉店が相次いだ。
「ゼンショーは、どうしてみすみす吉野家の罠にハマってしまったんだ?」
「円安のせいでコスト構造は悪化していた。これまでの価格で提供して潰れないためにはシェアを死守する必要があったんだろう。しかし、もしかしたらそれ以上に、社長の思い入れが関係しているのかもな」
小川賢太郎。ゼンショーグループの創業者にして現在もゼンショーホールディングスの会長兼社長として豪腕を振るう人物である。
「彼が昔勤めていた企業を知っているか……? 吉野家なんだよ」
「ええっ!?」
革命戦士だったゼンショー社長の志
1948年生まれの小川賢太郎は、東京大学時代に安田講堂に立てこもるなど「全共闘」世代の学生運動に身を投じ大学を中退した後、1978年に吉野家に入社。しかしそのわずか2年後に同社は巨額の負債を抱えて会社更生法の適用を受ける(事実上の倒産)。
「当時アメリカにも進出中だった吉野家は、先兵として送り込んでいたある男を日本に呼び戻す。この男こそ後に〝ミスター牛丼〟と呼ばれる、吉野家の前社長・安部修仁だ」
小川のひとつ歳下、1949年生まれの安部修仁はその後出世街道を駆け上り、1992年には当時42歳の若さで社長に就任。以来トップとして君臨してきた。
一方の小川賢太郎は経理部で会社建て直しの最前線を担うも、しばらくして辞職し、弁当屋を起業。2年後に「ゼンショー」と名前を改め牛丼業界にも参入したその企業は、次々と外食ブランドのM&A(企業の合併・買収)を成功させ、やがて日本最大の外食企業となる。
「2人のキャリアはあまりに対照的だ。宿命のライバルの仕掛けに対し、小川社長には撤退のオプションなどなかったんだろう」
ゼンショーが連日マスコミを騒がせていた2014年5月、安部修仁は吉野家の社長職勇退を発表している。1980年代以降ともに牛丼チェーン業界を引っ張り、幾度となく対決してきたかつての同門、最大のライバルとの〝最終戦争〟を制したことが関係しているのかもしれない。
直後の6月には象徴的な出来事があった。ファミレスを展開する「ジョイフル」代表取締役相談役であり衆議院議員も務める穴見陽一のパーティに両者が出席したときのことだ。なんと小川のほうから安部に歩み寄り、握手をしたのだ。30年以上にわたる戦いに幕が下ろされた、歴史的和解の瞬間である。
その直後の半期決算で吉野家ホールディングスは、純利益昨年比4・4倍という数字をたたき出している。
「ちなみに、むかし吉野家が会社更生法の適用を受けた理由って何だったんだ?」
「……無茶な拡大戦略と、それによってしわ寄せが来たコストカットの限界だ」
まさに、歴史は繰り返すということだ。
「今回はゼンショーが派手にコケたけど、吉野家や松屋だって安泰なわけじゃない」
「な、なんだかお話をうかがっていると、牛丼チェーンをやっている企業はどこも厳しくて将来性が暗いように聞こえます……」
内定先業界の過酷な競争を初めて聞くこととなり、ヤスシはいっそうしなびた様子で、ひとりごとのようにこぼす。
「いや、牛丼チェーンに限らない……。外食チェーンは、あまりに強いコスト切り詰めの圧力にさらされ、苦し紛れのメニューの多様化で質の低いファミレスのようになっている。……ところでカンタ、人件費の切り詰めの究極の形は何だと思う?」
「店員を減らしたり給料を下げるんだろ。でもそれもすでに限界までやってるし……あっ」
先ほど店員を観察したときの違和感がフラッシュバックし、ひとつの仮説へと繋がる。
「店員さんはご飯を盛るのを機械に任せていた……。そうか、ゆくゆくは機械にオーダーも調理も何でも任せて、牛丼の店からは店員がいなくなるんだ!」
椅子をガタッといわせて立ち上がり叫ぶカンタ。先ほどからなにごとかと心配そうにちらちらと見てきていた店員とまともに目が合ってしまって、とても気まずい。
「要は『自動化』ってことね」
久しぶりにマオが口を開く。「とろ〜りチーズカレー」は早々に食べ終わり、ほかの3人のやり取りを聞きながらノートパソコンで何か調べていたようだ。
「そう、自動化。人がどんどん機械に置き換えられていく。だからといって牛丼チェーン業界の厳しさは変わらないが……」
ハルキはにやりと笑った。
「回転寿司業界には超優良企業がいるんだ」
https://sites.google.com/site/tseminar2013/apply
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