結婚・出産なんてゼイタクだ! 大人が知らない「貧困世代」のリアル
日本を衰退させる大問題「結婚・出産なんてぜいたくだ」――。いつから若者たちはこんなに追い詰められてしまったのか。貧困問題を取材し、その結果を『貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち』にまとめた藤田孝典氏の特別リポート。
文/藤田孝典
わたしが所属しているNPO法人「ほっとプラス」(埼玉県さいたま市)には、食べるものに困り、栄養失調状態で訪れる10代や20代の若者もいる。
何日も食事をしていない若者が相談に来たら、支援団体から配給してもらった乾パンやアルファ米(乾燥加工米)、カップラーメンなどの食糧を提供する。栄養状態が著しく悪い場合は、病院に付き添ったり、実際に救急車を手配したこともある。こんな切迫した若者の相談は後を絶たない。
これから紹介するのは、特殊な事例では決してない。わたしが向き合ってきた、生活上の課題や生きにくさを抱える人たちの実例である。
所持金13円で野宿していた伊藤さん(21歳男性)
蒸し暑い真夏のある日、苦しそうに顔を歪めながら、くたびれたTシャツとジーンズ姿で突然「ほっとプラス」に現れた伊藤さん(仮名)は、倒れこむように相談の席につくと、身の上話を聞いているうちに意識を失ってしまった。あとでわかったことだが、群馬県前橋市から、埼玉県さいたま市まで、歩いて(!)きたそうだ。
工業高校卒業後に建設会社に就職した伊藤さんは、会社の社員寮に住みながら、首都圏を中心に建設現場でビル建設の足場を設置する作業に従事していた。
しかしある日、足場から転落して左足を骨折し、後遺症を抱えてしまう。それをきっかけに、仕事を休みがちになった。当時、労働者災害補償保険(労災)は申請せず、給与は働いた分しか支給されなかったため、会社の寮費が払えなくなったという。それからも寮費の滞納が続き、生活費も足りないことから仕事を辞め、友人宅を転々とする生活が始まった。
初めのころは友人も快く部屋や食事を提供してくれていたが、それが長期化するにしたがって、援助を断られるようになった。伊藤さんには青森県で暮らす両親と兄がいる。しかし、家族はそれぞれ貧しい暮らしをしており、頼れる状況にはない。そのため、実家にも帰れないという。
頼れる友人もいなくなった伊藤さんは、最後に食事をさせてもらった群馬県前橋市の友人宅から、以前、短期間の住み込み仕事をしたことがある企業に行こうと決意し、さいたま市大宮区を目指して歩いたという。所持金はたったの13円であったため、電車には乗れない。
途中の公園で野宿をしながら、水道水を飲み、スーパーマーケットで試食を繰り返し、飢えをしのいで4日間歩き、さいたま市に到着した。早速、企業に相談したがあいにくすぐに雇用されることはなく、ただちにハローワークに通ったが、自身の住所がないため、就職先も見つからなかった。
いよいよ空腹と腹痛のため、交番に助けを求めた。警察官による情報提供によって、わたしたちのNPOの存在を知り、倒れこむように来所されたのだ。