第3回はこちらをご覧ください。
ソーシャル断捨離のすすめ
安藤: ちょっとつながる話かどうかわからないんですが、私は最近「ソーシャル断捨離」というようなことを言っていて、元々情報の断捨離としてテレビも家にないですし、新聞も読んでいなくて、自分で本を読んだり、最近は有料メルマガを読んで情報をつかみ取っている感じなんです。

たとえばFacebookの友人もリアルで親しい友人に限定するとか、わかりやすい例でいうとTwitterのフォローも100人ちょっとまで減らして、その100人についてはすべてのタイムラインを読むんですが、ブログもむやみに読者登録はせずに本当に読みたいものだけをちゃんと読み続けるようにしています。
そのつながりというのは、たとえば私はTwitterでいろいろな人とつながっていると、「リアルの生活でも毎日飲み歩いたり、お友達もたくさんいるんじゃないですか?」と聞かれるんですが、実際は不特定多数の人たちとつながることで、友人づきあいというのは減ったんですよ。
本当に自分にとって大事な片手で数えれば足りる程度の友人と、本当に濃い密度でトライブのようにつながって、あとの人たちはFacebookやTwitterで何をやっているのかを知る、という感じで、二段階の構造ができています。だから、ソーシャル断捨離というのは、極力人とのつながりの拡大を求めずに限定していくということなんです。
佐々木: ああ、仲間と部屋の片づけをやるわけではなくて(笑)、人間関係を断捨離するという意味なんですね。
安藤: 極力シンプルにして、よけいな情報を入れないことなんです。
大石: 僕は、会社などでは崩壊している共同体がネットのなかで再構成されてムラを形作るのであれば、それは元の木阿弥というか、あまり従来と変わらないな、と思っていて、僕はそういう同調圧力が高いようなムラ的な中間共同体とは馴染めないので、ネットでもまったくダメですね。ネットでも人とつるんだりすることはまったくしないんですよ。
佐々木: 大石さんにとって、仲間のような交友関係はないということですか?
大石: ないですね。すごくピンポイントで、「あ、この人おもしろいな」と思ったら一対一でお話をして、ザッツオールですね。その先大勢でつるんだり共同体を形成するようになれば、そこには入りません。
佐々木: それはおもしろい考え方ですね。僕は最近、ソーシャルメディアの方向性には二つあると言っていて、場を作るような広場型のソーシャルメディアと、フィード型のソーシャルメディアがある、と。広場型というのは、mixiのコミュニティとか2ちゃんねるのような、書き込む場所があってみんなが集まるという形でコミュニティ的なものです。
ところが、Twitterはそういうコアになる場がないわけで、同じ話題を共有するハッシュタグのような仕組みはあるけれど、個人と個人がつながることで網の目のようにラインが走っていてそこに情報が流れている。そこには中心となる場がないわけですね。