政治記者として31年間取材を続けてきたが、こうも長く続けてこられたのは、その時々で魅入られる政治家と出会えたからだ。人間を観察する対象として、政治家ほど面白いものはない。元首相・田中角栄、元自民党副総裁・金丸信、民主党元代表・小沢一郎、元官房長官・梶山静六…… 枚挙に暇がないが、彼らが発散する強烈な熱を受けながら、自分も成長してきたような気がする。
そして、今、その熱を感じるのは私が政治取材を始めたあとに生まれた29歳の衆院議員・小泉進次郎だ。自分の子どもよりもっと若いこの政治家にどうしてひかれるのだろうか。
進次郎とは、自民党機関紙「自由民主」の対談で出会った。同紙から「昨年夏の総選挙で初当選した4人の1回生とそれぞれ、対談してほしい」と依頼されたのがきっかけだった。政党機関紙にかかわることにためらいはあった。だが、対談ならば、と引き受けた。
進次郎はそれまで対談、インタビューの依頼をすべて断り、私との対談が初めてだった。この対談は10月上旬に同紙に5分の1程度が掲載され、11月10日発売の『文藝春秋』にほぼ全文が転載された。
その反応がすこぶる良い。20代の女性記者が「読みました。面白かったです」と話し、90歳近い文壇の長老も進次郎の話を絶賛していたというのだから、進次郎を支持する層は厚い。進次郎に魅入られたのは、どうやら私だけではないようだ。
進次郎との対談が行われたのは実は、民主党代表選中の9月10日のことだった。それから文春の発売まで2カ月。この間に民主党政権を見つめる国民の目は様変わりしたのに、進次郎の発言の鮮度は保たれた。また、対談をまとめた文春のゲラに進次郎はまったくといっていいほど手を入れなかった。
話してまず驚いたのは、その素直さだ。世襲議員はおうおうにして父親と比較されることを嫌がる。しかし、父の元首相・小泉純一郎のことに触れると、こう言った。
「プレッシャーがまったくないと言ったら嘘になります。でも、父親のことを言われて、それがいやということはないですよ。父親があってこそ、今のぼくがあるわけですから。なぜマスコミがこれだけ小泉進次郎を取り上げてくれたり、人が注目をしてくれるのかと考えたら、それは小泉純一郎抜きには語れませんよ」
その通りではあるのだが、これほど父親のことを素直に語る国会議員を初めて見た。これまで会った世襲議員は、父親と一緒に見られたくないと片意地を張ったり、父親に妙に遠慮したりする人ばかりだった。当選回数を重ねるにつれて、その呪縛から逃れるようになるのだが、当選したばかりの段階で彼のような態度を示した議員はこれまでなかった。
進次郎はまた、どんな質問にも話をそらさず、真正面から答えた。政治家で、こちらの問いかけにまともに答える人は案外少ない。関係のない答えをしたり、含みを持たせてスパッとした話をしなかったりすることは日常茶飯事だ。
一連のインタビューでどの議員にも、私は質問項目を示さなかった。インタビュー前に事前の取材はできるかぎり行うが、対談の妙味はお互いの話がかみ合うと、当初予期しなかったことが生まれることにある。質問をとっさに思いつくこともあり、話の流れの中で聞く方が結果としては中身が充実すると思っている。向こうから、質問内容の事前通知を要求されることもなかった。
進次郎は考え方もしっかりしていた。自民党の生きる道を聞くと、こう話した。
「自民党が目指すのは、『自助、共助、公助』のバランスを大切にする社会です。まずは自らが自らを助けるという『自助』が基本の国づくりをして、それでもダメだったら、民間と一緒になって『共助』というものを築いて、それでもまだ足りないところを、『公助』で国がしっかり面倒を見るというものです。ぼくはこの考え方がこれからの日本で必要だと思いますから、その考えをもとにした政策や国づくりをできない環境にあるならば、自民党は与党になる必要はない」
今、自民党の支持率が上昇しているのは、民主党に対する失望感、怒りが原因だ。自民党に対する期待が戻ってきたわけでは決してない。しかし、進次郎のような議員が増えてくれば、自民党が再生する可能性も十二分にあるだろう。(敬称略)