「大学生で結婚、でもうまくいかなかった」「山下達郎君らとの出会い」坂本龍一さんが振り返った「新しい時代が始まった瞬間」

「教授」「世界のサカモト」と呼ばれ、数々の名曲を世に生み出した音楽家の坂本龍一さんが逝去した。享年71。「週刊現代」では2012年1月に人気連載「私の地図」にて坂本氏のインタビューを掲載していた。
前編「過激な左翼だった」「三島由紀夫の遺体に会いたかった」坂本龍一さんが明かしてた「世界のサカモトの壮絶人生」』では学生になるまでが語られたが、後編では様々な才能と出会った時代を振り返ったパートをお届けする。

結婚はうまくいかなかった

大学3年の時に、油絵科の3歳年上の女性と結婚。子供ができ、お金を稼がなければならなくなったので、道路工事などいろいろなバイトをしました。男っぽい肉体労働は当時の流行で、僕もやる気満々だったんですが、すぐクビにされちゃいました。それで音楽のバイトを始めたら、夜だけで5000円。そりゃ、みんながピアノを弾けるわけがないので、実入りがいいんですよね。

しかし、人が好む曲ばかり弾くのは音楽家としての僕には拷問でした。頭から旋律がなかなか出て行かないから。耐えられなくなり、呼ばれた時だけ弾きに行く「トラ」(エキストラ)に仕事を変えました。

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シャンソンの殿堂「銀巴里」でも弾くようになりましたが、ここの仕事はチャレンジものでした。僕は初見といって、初めて見る譜面でも適当に弾けるんですが、シャンソンは語りが入るので、譜面通りに弾いても歌と合なくなることがあるんです。美輪明宏さんの伴奏も務めましたが、彼のことをちゃんと知らなかったのでなかなか伴奏を合せられず「こんなに崩して歌いやがって。今どこを歌っているんだ?」と心の中で毒づきながら弾いていました。

子供のために頑張ったんですが、結局、当時の妻とは別れることに。お互い、子供が結婚したようなものだから、うまくいきませんでした。

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