テレビの美術制作会社の社員として業務日報代わりに呟いていたTwitterが反響を呼び、執筆活動をスタートした燃え殻さん。ベストセラーとなった処女小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』は、今年Netflixで映画化されることが決定している。
最新作のエッセイ『夢に迷って、タクシーを呼んだ』(扶桑社)では、燃え殻さんが「自分の社会性のなさに引く」姿や、出会った人々の汚さや優しさが過去の記憶と溶け合うように綴られている。
40代で文学という新しい世界に飛び込んだことを「僕にできたんだからみんなできます」と言う燃え殻さん。その仕事観や、30代、40代の人たちに伝えたいことを語ってくれた。
(撮影:林直幸)
なぜ40代で新しい挑戦をしたのか
――燃え殻さんが、今もテレビ美術制作会社と小説家の2足のわらじを履き続けているのはなぜなのでしょうか?
燃え殻 こういう状態を続けているのは、30代、40代の会社の後輩達に、「これからいろんなことができる」とプレゼンしたい、「まだ終わっていない」と言いたいというのがあります。僕らの世界はものすごい狭くて「仕方ない」になりがちなんです。
僕は43歳くらいから物書きを始めたんですけど、27歳くらいの頃、「27歳で転職できなかったらヤバイ」と雑誌に書かれてるのを見ました。それが「30歳までに!」、「35歳までには!」とだんだん上がっていくんです(笑)。でも40歳になるとそれも言われなくなって、「さすがに色々なことを諦めないといけないのかな」と思ってたので、40歳という年齢はすごく意識していました。
――それでも小説を書くことに挑戦されたのはなぜだったのでしょうか。
燃え殻 「cakes(ケイクス)」で書かせてもらえることになって、年甲斐もなく「与えられたものは一生懸命やろう」と思ったんです。僕の周りの人は普段あまり本を読まないタイプの人ばかりだったんですが、「本の世界を甘くみるな!」と言われました(笑)。
甘く見ていたわけじゃなくて、他の誰でもない自分自身に対して「俺、まだ色々あるよ」と思いたかった。
僕は社内で新規事業を立ち上げたことがあるんですが、小説に限らずそういうことを後輩にもたくさんやってほしいんです。「アイツであれくらいでできるんだから、俺も可能性なくはなくはないのか」と思ってもらえたらいいですね。