エルサの「自己実現」はどう描かれる?
2013年に大ヒットを飛ばし、文化現象と言えるほどの影響力を持つようになったディズニー映画『アナと雪の女王』の続編である『アナと雪の女王2』が11月22日に公開された。この原稿を書いている12月9日時点でもヒット中で、世界興行収入は9億ドルを超えた。
この続編については賛否両論あるが、現時点で映画のレビュー点数化サイトであるロットントマトズではプロの批評家による評価が78%、それ以外の観客の評価が92%で、人々はおおむね満足して映画館から出てきていると言える。
本レビューの著者は、第1作について「理想宮か、公共彫刻か?――『アナと雪の女王』」という批評を書いたことがある。そこで指摘したのは、ヒロインのひとりであるエルサが一度は捨てた故郷アレンデールに戻り、女王としてのつとめを果たすことを決意するという結末は幸せと言えるのか、ということだった。
エルサは類いまれな才能を持っているが、シャイであまり人付き合いの得意な人物ではない。本来であれば、エルサはひとりで氷の城に住み、女王としての責任から逃れて浮き世離れした芸術家のような暮らしをするほうが幸せなのかもしれないが、ディズニーはそういう結末にはしなかった。『アナと雪の女王』第1作は、エルサがコミュニティに復帰することがあるべき責任の果たし方である、という終わり方だった。
今回の批評で考えたいのは、それでは続編はエルサの幸せと自己実現について、どういうアプローチをとっているのか、ということだ。第1作は、ややいびつなところはあってもしっかりまとまって終わっている作品で、あまり続編が作りやすい物語だとは言えない。
さらに、期待でいっぱいのファンを失望させないような形にしつつ、新たな芸術的可能性も追求しなければならない。ディズニーはこの課題にどのように応えたのだろうか? ネタバレを交えながら考えていきたい。