これは何かの冗談ですか? 日本の「アート教育」現場での驚きの実態
黒は色じゃないって、ウソでしょこのように一見すると、アートの世界は大きく盛り上がっているように見えるが、その入り口となる美術教育の現場はどうなっているのか? 芸術大国フランスで、「至宝」と称された日本人画家が、日本の美術教育の現場で感じた違和感とは?
アートか、アートではないか
芸術とは何でしょうか。それが芸術であるか否かは、感動を与えるか与えないかだ、と僕は考えます。
絵を見たときに、よく日本人が口にする言葉は、「きれいに描けている」です。
美しい花を描いて、それがきれいだというのだけが価値ならば、絵は本物の花には勝てないことになります。
ですから「きれいに描けている」ことのみに価値を置くのは、写真の技術が発達していなかった時代の、古い考え方ではないでしょうか。
もっとおかしなことを言うのを聞いたことがあります。フクロウを専門に描く画家が日本にいます。その作品を見て、「これはアートじゃないよ」と僕が否定すると、僕の知人は、「松井さん、何を言っているのですか。フクロウはとても縁起がいいのですよ」と真顔で言うのです。
待って下さい。縁起がいいものならフクロウのほかにも、先の富士山でも、初日の出でも、七福神でも、たくさんあります。単に縁起物を描けばアートになるなんてことはあり得ません。ばかばかしい。
繰り返しますが、アートかどうかは、それに接して感動するかしないか。ぱっと見がきれいだとか、縁起がいいとかは関係がないのです。これは世界の標準的な考えです。
フクロウばかりを描く画家がいるだけでなく、日本には、描くのは、富士山ばかり、海ばかり、滝ばかり、馬ばかりという画家がいます。
これは人づてに聞いたことですが、そういった画家の一人が、「他のものも描きたい」と言っていたそうです。
でもそれを、画商が絶対に許さないそうなのです。高値で売るためにそうしているのです。その画家は、「大家」と呼ばれる人ですよ。どうして画商と戦わないのか。