新型iPad miniから見える「アップルの変化」
アップルは3月末、新製品と新サービスを相次いで発表した。
新製品の中でも、特に注目すべきは「iPad mini」の新モデルだろう。電車内での利用などのニーズもあり、日本ではかねて人気の高い製品だったが、今年ついに、3年半ぶりのリニューアルが行われた。
だが、アップルにとって、iPad miniのような「ニーズが見込めるハードウエア」をアップデートしていくビジネスは「変化の一部」にすぎない。
最も大きな変化は、ゲームや映像、雑誌といった「コンテンツへの向き合い方の変化」にこそ現れている。新製品であるiPad miniを実際に触りながら、アップルの変化がどういう意味をもっているのか考えてみたい。
「アジアでしか売れない」製品が復活した理由
iPad miniは、7.9インチのディスプレイを備えた「小型のiPad」である。ある意味では、この一言ですべての説明がすむ。
iPadの主流ラインは、9.7〜11インチのディスプレイを使ったモデルだが、いずれも470g前後と、片手でずっと持ち続けるには重いし、大きい。300g程度の重さで、よりコンパクトなiPad miniは、特に日本を中心としたアジア市場で支持を集めてきた。
だが、逆にいえば、日本やアジアの一部でしか「売れなかった」製品でもある。紙の書類のほとんどがA4サイズに統一されているように、書き込みなどの作業をしたり、電子書籍等を読んだりするには、一定のサイズがあったほうが望ましい。
本体が薄型化・軽量化していくにつれ、欧米を中心としたマーケットでは「10インチクラスのiPadでいい」という声が主流となって、iPad miniは3年半もの長きにわたって、製品が更新されない状況が続いてきたのだ。
それが今春、突如としてリニューアルされた。しかも、「ほぼ最新の性能」を備えて、だ。
画面サイズこそ小さいものの、新しいiPad miniの性能は、同時に発表された「iPad Air(2019年モデル)」と同じである。さらに、アップルのペンデバイスであるApple Pencilにも対応している。
最上位機種であるiPad Proには性能面で劣るものの、こちらは最廉価モデルでも8万9800円(税別)もするハイエンドモデルだ。4万5800円(税別)〜で、これとかなり近い性能を有するのは、十分に満足すべきだろう。
ディスプレイ性能も、輝度を除けば、色再現性も含め、iPad Proのそれにかなり近い。
じつのところ、従来のiPad miniは「小さい低価格モデル」という側面が強かった。同時期に、9.7インチサイズのiPadは、よりパワフルなプロセッサを搭載し、ディスプレイもより高品質化している。決して「安物買いの銭失い」というほど性能が低かったわけではないが、「価格重視モデル」であるのは厳然とした事実だった。
それが、「ほぼ最新・最高級のスペック」を備えた製品としてリニューアルされたのだから、iPad miniを待ち望んでいた人には文句のない製品になっている、と断言していい。実際に使用していても、まったくストレスのない快適な製品に仕上がっている。これなら、わずか1年で性能が急激に陳腐化して使えなくなる……などという事態は考えづらい。率直にいって、お買い得だ。
あのスマホの兄弟機種だった
一方で、中身を詳細に検討すると、「なぜこの時期にiPad miniがリニューアルされたのか?」という、アップルの事情も透けて見えてくる。
3月末には、iPad miniと同時に、iPad Airもリニューアルしている。この2機種は、ほぼ同じ性能を備えており、「サイズ違いの兄弟機」といっていい。
そしてじつは、“兄弟機”は他にも、意外なところに存在していた。
──「iPhone XR」だ。
ハイエンドモデルである「iPhone XS」シリーズの廉価版として、昨年秋に登場、ポップなカラーも多数用意され、アップルが「2018年のヒットモデルに」と意気込んでいた製品である。
ベンチマークソフトを使ってチェックしてみると、どうやら新しいiPad miniに使われているプロセッサは、iPhone XRに使われているものとまったく同じであるようだ。
ということは、こういう予想も成り立つ。
iPhone XRが予想外の不振となり、半導体製造会社に大量生産を委託したiPhone XR用のプロセッサである「A12 Bionic」がダブついた。iPhoneやiPadに使われるプロセッサはアップルだけが使う独自仕様のものなので、他製品に流用が難しい。となると、生産したぶんは、なんとか自分たちで使わなければならない……。
ライバルは「過去の自社製品」
もちろん、この説に明確な裏付けがあるわけではないことには留意が必要だ。
プロセッサが余ったからといって、新たにiPadを製造すれば、それはそれでビジネス上のリスクを抱えることになる。「こっちで余ったものをそっちに回せば在庫が解消できる」ほど、単純な話ではない。
だが、1つだけ確実にいえることがある。
それは、アップルが「ハードウエアの製品数を絞り、誰もが同じモデルを使う」ことを想定していた時代はすでに終わっている、ということだ。
iPhoneもiPadも、すでに市場には行き渡っている。飽和した状態の中で新しいものを買ってもらうには、性能・機能などで新奇性を求めるか、あるいは「まだ満たせていない需要(ニッチ)を細かく満たしていく」か、の二者択一になる。
特にタブレットは、iPadがきわめて強い市場だ。別の言い方をすれば、AndroidやWindowsのタブレットは、限定的な市場しか生み出せていない。その中で「過去の自社製品」と戦うには、「性能」と「ニッチ」の両方で戦い、自社で「面展開」を広げるしかない。
ハードウエアのバリエーションを広げ、「アップル製品が欲しい」と思っているファンの需要をとにかく満たす──。そうした戦略を考えている中で、部品調達上の事情として「使いやすいプロセッサ」があった……、というのが実際のところではないか。筆者はそう推測している。
主役は「ハード」から「サービス」へ
アップルは今回、これら新しいハードウエアを「発表会で華々しくデビュー」させなかった。従来は、こうした製品のために発表会を開催してきたのだが、今年は、発表会を別の目的で開いた。
──コンテンツだ。
アップルは今春から秋にかけて、複数の「定額制コンテンツサービス」を開始する。
先陣を切るのは「Apple News+」だ。雑誌とニュースの有料による読み放題サービスで、「ナショナルジオグラフィック」や「TIME」など、300以上の雑誌と新聞が、月額9.99ドルで読み放題になる。すでに3月25日からスタートしているが、料金をドルで表記したところからもおわかりのように、日本での対応予定は決まっていない。日本の雑誌向けのレイアウトに対応する難易度は高く、
次が「Apple Arcade」で、今秋に150以上の国でのサービス開始を予定している(価格はまだ公表されていない)。
「スマホでゲーム」はもう珍しくないが、Apple Arcadeで提供されるゲームは、「過去にiPhoneに提供されたゲーム」でも「他のプラットフォームに提供されたゲーム」でもない。このサービス向けにつくられたオリジナルのゲームが、100本以上用意されている。そして、毎週のように追加されていく。
すべてのゲームがオリジナルであるだけでなく、Apple Arcadeの会員であれば、iPhone・iPad・Apple TV・Macのどのデバイス上でもプレイ可能で、しかも、追加料金はいっさい発生しない。
そして最後が「Apple TV+」。こちらも秋スタートで、オリジナル作品を軸にした映像配信サービスだ。発表会にはスティーブン・スピルバーグ監督やJ・J・エイブラムズ監督など、そうそうたる面々が登壇し、オリジナル作品の提供をアピールしていた。
映像配信の世界では、Netflixに代表される、月額料金制で見放題型の「サブスクリプション」サービスが広がっている。アップルもその流れに乗り、「自社での映像配信」「ゲームや雑誌へのサブスクリプション」をビジネス化して、ハードウエアだけでなく「サービス」面での収益基盤の強化を図る……。多くのニュースで、そうした解説がなされていたはずだ。
安直な分析が見落としがちな視点
ハードウエアからサービスへ、というアップルの方針転換は明確だ。
iPhoneの特定モデルが大量に売れる時代は過ぎ去った。ユーザーのニーズに合わせて細かく製品ラインナップをメンテナンスする時代になり、だからこそ、iPad miniのようなモデルも復活した、という経緯がある。
一方で、「ハードからサービスへ」を単純に収益構造の変化と分析したのでは、見落としてしまうものがある。
今回の発表は、アップルの「自前主義」を踏まえると、非常にわかりやすい。特に、Apple ArcadeとApple TV+で顕著だが、これらのサービスでは、アップルが出資するかたちでオリジナルコンテンツが制作される。
この点が重要だ。
ゲームにしても映像作品にしても、新規作品の制作は大きなリスクを伴う。特にゲームについては、スマホの「基本プレイ無料+追加課金」というビジネスモデルに馴染まないものは、いくらアイデアが良くても制作にいたれない。家庭用ゲーム機やPC向けであれば「売り切り」のゲームソフトもあるが、数億ドルをかけて開発される大規模なものはごく少数の企業しか取
アップルは、「月額料金制」で集めた収益を自社の責任において、ゲームの開発出資に使う。そうやってゲームメーカー側に「スマホゲームとも家庭用ゲームとも違うエコシステム」の中で開発を促すことで、プラットフォームとしての独自性を高めようとしている。
これは、映像の世界でNetflixやAmazon Prime Videoなどが成功した方法論に近い。アップルも今回、「Apple TV+」というサービスでNetflixなどと競合する道を選ぶが、同時に、ゲームにおいても同じ課題に挑戦する。
“自前主義”が可能にする強力なシナジー
月額で使い放題というと、我々は「たくさん見られてお得」というイメージをもつ。だが、実際には、そうそうたくさん見たり遊んだりする時間はとれないものだ。「見切れない」「遊び切れない」と思われたり、「他社サービスでも同じ」と思われたりしたら、ユーザーは容易に離れていく。
そこで、ユーザーから集めた費用を積極的に新作に投じるサイクルをつくり、「ここは自分たちがいいと思うものをつくってくれる」という信頼感を生み出すことが、長期的に契約が継続していくことにつながる。
要はブランドビジネスなのだが、アップルのように「資金力がある」「ユーザーからの支持もある」「プラットフォームもある」ところが乗り出す意味は大きい。
特に同社は、プライバシー重視の方針を打ち出している関係上、広告ビジネスを行わないポリシーを貫いている。「いかにユーザーを味方につけ、長期的にお金を落としてもらうか」がビジネスのカギを握っている。
従来はそれを「ハードウエアの新奇性+それを支えるソフト」で行っていたが、これからのアップルは「ハード+ソフト+サービス+コンテンツ」で行う方針に舵を切ったのである。
もちろん、視界がすべて良好というわけではない。自前でコンテンツをつくるといっても競合は多い。収益性を維持するには、スタートから相応の契約者を集める必要がある。
そしてその際のライバルはスマホメーカーではなく、コンテンツメーカーだ。アップルだからといって、必ず勝てると決まっているわけではない。クリエイターとどれだけ密な関係を築き、成功に導けるか──。
これまでとはまったく異なるノウハウが必要とされる戦いが、アップルを待ち受けている。