クリスマスがどう頑張っても「男女のイベント」になる歴史的理由

どうして「男女のイベント」なのか

キリスト教の国だって、そうでもないのに…

クリスマスイブに、なぜ、男女で過ごさないといけないのか。

不思議な風習である。

恋人がいたら、一緒に過ごさないといけないとされている。

つまり、彼女がいるのに、その日、別の男女チームでのパーティなどに行くと彼女からぶっとばされてもしかたがない、というふうに決められている。じっくり考えると意味がわからないが、こういうものをじっくり考えてもしかたがないので、ただ決まりを守るしかない。

かつてはもっと強制力があった。

とくに1980年代から1990年代にかけては、「クリスマスを一緒に過ごすためだけに恋人を見つける」という動きもあった。恋人がいないのにレストランを予約する、ということもあったし、クリスマスイブのために夏からアルバイトを続けていた、という学生もいた。それほど恋人の日としての力が強かった。

〔PHOTO〕iStock

いまはそこまでではないにしても、恋人の日である前提は揺らいではいない。

彼女がいるのに、ほったらかして遊びにいったら、ものすごく怒られてもしかたがない。後日、彼女の友人たちに囲まれて人民裁判に掛けられても受け入れるしかない、という空気はある。

しかも、漏れ聞くところによるとキリスト教国ではあまりそういう風習はないらしく、この仏教徒の多いとおもわれる日本国において、そういう意味不明の強制があるというのが、なかなか腑に落ちないところである。

起源は、バブルより遥か前にある

理由をさぐっても、たぶん、意味はない。

実感として、そしてかつてこの歴史を調べた者としては、「1980年代に女性がそう決めたから」というのが説明できる限度である。その決定が圧倒的な支持を受けてしまったので、いまだに続いているばかりである。

クリスマスの歴史を調べたところ、私が見るかぎり「恋人たちの夜」と決められたのは1980年代の前半である。強く特定するのなら、1983年の雑誌an・anによる記事から、あたりだろう。それ以来、女性は「クリスマスイブは彼女と一緒にいるよう」と強く望み、男性はそれを受け入れるしかなくなった。それは現在も続いている。

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ただ、「男と女のクリスマス」というポイントにかぎっていえば、日本ではもっと古くから始まっていた。

ちょっとそのことを書いてみようとおもう。

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