当事者として「新潮45」を読む
「(LGBTは)生産性がない」といった言説を中心に大きな批判に晒された、杉田水脈衆議院議員による「新潮45」への寄稿問題から約2ヵ月。
本人からの謝罪等の対応がない中、「新潮45」は一連の大バッシングは「見当はずれ」であるとし、10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特集を掲載した。
これがさらに炎上し、25日、新潮社から「新潮45」の休刊が発表された。
もともとは、杉田水脈議員による「子どもを産むかどうか=生産性」で人を選別する思想に多くの批判が集まったわけだが、今回の特集では、さらに暴力的な言葉でLGBTという存在を排除する意向へと広げる文章も寄稿され、非常に危険だと感じた。
杉田氏の擁護特集が組まれることを知ったのは、発売前日の知人のFacebook投稿からだった。
これだけ批判にさらされても「何が問題なのか」という姿勢だったことに驚きつつ、まずは読んでみるしかないと本屋に足を運んだ。
「新潮45」を手に取ろうとした時、たまたま隣に立っている人もこれを立ち読みしていた。この人はLGBTについてどう思っているのか、杉田氏と同じような考えを持っているのだろうか、それともどんな内容なのか確かめにきたのだろうか…と想像してしまい、相手を決めつけるのは良くないと思いつつも、少し足が引けてしまった。
近くのカフェに入り一通り読んでみて、想定より酷い内容に心が荒んだ。特に小川榮太郎氏の文章については、なぜこういう言い方が出来てしまうのだろうかと、沸々と怒りが込み上げ、心がすり減っていくのも感じた。
再び起きたインターネット上の炎上には、やはり杉田氏や今回の特集に賛同する意見も多かった。
中には「LGBTは病気だ、異常だ、気持ち悪い」といったような心ない発言も目立ち、SNSを見るのが怖くなった、夜眠れなくなったという知人もいた。同じように傷ついた当事者も多いのではと感じる。
一番懸念することは、この特集やSNS上での批判の応酬を見て「LGBTはやっぱり生産性ないよね」「気持ち悪いよね」と思っている人に言葉を与えてしまったり、「LGBTの話題って何か怖くて触れたくないね」という人が壁を作ったりしてしまうこと。
それが、現実にその人たちの周りにいるLGBTを傷つけることにつながってしまうのではないかということだ。
一方で、周りを見渡してみると「新潮45」に対して批判の声をあげ、連帯する人も明らかに増えたことを実感した。
新潮社内でも、新潮社出版文芸のツイッターアカウントが「新潮45」に対する批判をリツイートし、新潮社から出版している作家やクリエイターからも声があがった。「新潮45」を店頭に置かない決断をした書店もあった。
そして21日、新潮社は、謝罪はなかったが「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました。弊社は今後とも、差別的な表現には十分に配慮する所存です」という声明を、25日には「新潮45」の休刊を発表した。
休刊という判断について、これ以上差別的な言葉が生み出されなくなることに安堵しつつも、一方で疑問も感じた。
問題に蓋をするのではなく、なぜこういった特集が組まれてしまったのか、再び繰り返さないために必要なことは何かを提示した上で、より良い言論を探って欲しかったからだ。
夢物語なのかもしれないが、本当に"問題があった"と感じているのであれば、言論で示して欲しかった。
LGBTをはじめ、性の多様性に関する世の中の認識は過渡期と言える中、どうすれば当事者が攻撃にさらされず身を守りながら、漸進的に世の中の認識を変えていけるだろうか。
その鍵となるのは、やはり第一に「法整備」、そして「対話の広がり」だと考える。