がぶちゃんの日記

札幌からフルリモートCTO

スタートアップと人生、とある39歳エンジニアのリアル

こんにちは、がぶです。この記事はモニクル Advent Calendar 2024の1日目です。

2019年11月に株式会社モニクル(入社当時はOneMile Partners)へ入社してからあっという間に5年経ちました。

これまでのキャリアとしては、SIer、フリーランス、上場ベンチャー、スタートアップを2社経験してきたので、モニクルはスタートアップとしては3社目になります。

この記事では「スタートアップ」という切り口で自分の経験について書いてみたいと思います。何をどう考えて何を学んだのか、何がしたい人生だったのか、とある39歳エンジニアのリアルをお届けします。

SIerからフリーランス、Webの世界へ

自分がスタートアップに興味を持ち始めたのはおそらく2006年頃(21歳の頃)です。この頃はSIerでスーツを着てJavaエンジニアとして働く普通のサラリーマンでした。この頃はまだTwitterなどないので、RSSリーダーでテキストサイトやGIGAZINE、CNet、TechCrunchなどを巡回し情報収集をしていました。そんなことをしていると海外のWebサービスの情報に触れる機会も多く、自然と興味を持つようになりました。

中でも特にGoogleはどんどん進化するし「時代が変わっていく」のを肌で感じていたと思います。

そして自分の人生の1つ目の転換点として、Web 2.0という言葉を見聞きするようになっていた頃、梅田望夫さんのウェブ進化論が出版され話題になりました。これが2006年です。

インターネットが登場して10年。いま、IT関連コストの劇的な低下=「チープ革命」と検索技術の革新により、ネット社会が地殻変動を起こし、リアル世界との関係にも大きな変化が生じている。ネット参加者の急増とグーグルが牽引する検索技術の進化は、旧来の権威をつきくずし、「知」の秩序を再編成しつつある。そして、ネット上にたまった富の再分配による全く新しい経済圏も生まれてきている。このウェブ時代をどう生きるか。ブログ、ロングテール、Web2.0などの新現象を読み解きながら、大変化の本質をとらえ、変化に創造的・積極的に対処する知恵を説く、待望の書。

「SIerではなくもっとWebに近い環境で働きたい」という思いが日に日に強くなっていたのを覚えています。そして2007年、どこかに転職するのではなく、とある縁でフリーランスの集まりみたいなグループに誘われてフリーランスになりました。

そこからまた縁がありお世話になっていた来栖川電算の佐藤さん、山口さん、是安さんの勧めで、これまた人生の転換点となるIPAの未踏に挑戦しました。ちなみに来栖川電算の皆さんは2003年の未踏本体に採択された大先輩です。

未踏事業(みとうじぎょう)は、ITを駆使して様々な事業を展開できる優秀な人材を発掘・育成することを目的とした日本のプロジェクト。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AA%E8%B8%8F%E4%BA%8B%E6%A5%AD

これを書きながら忘れていた過去を知ることになったのですが、こぼれ話として未踏ユース(当時は20代前半に限定した未踏ユースという枠もありました)にも応募して書類審査で落ちていたみたいです。

未踏ユース落ちてた

未踏ユースには落ちましたが、未踏本体(年齢制限のない方)で採択されました。

gabu.hatenablog.com

成果発表についてはこちら。

gabu.hatenablog.com

そしてこの後、人生で1つ苦い経験をします。スタートアップや起業に憧れ、数年に渡りライフワークのようにネット上の情報を漁り、たくさんの本も読み知識を蓄えてきたつもりでしたが、未踏の開発後に...サービス化することができませんでした...。

周囲に起業してシステムの受託開発などを行っている方は多くいましたし、自分もフリーランスとしてお仕事をもらって納品してということはできるのですが、いかんせん自社サービスを運営したことがない。本当に何をどうすれば自社サービスというものは運営できるのか想像もできないというのが本音でした。悶々と悩む日々、そんな時また縁があり、まさに自社サービスで成功し急成長していた名古屋のとあるITベンチャーに勤める友人から誘われることになります。

自社サービスの経験を積みたくてITベンチャーへ

そのITベンチャーには2010年から2013年まで勤め、まさに自社サービスの企画・開発・運用の経験を存分に積むことができました。市場調査やビジネスモデル、マネタイズ、マーケティングなどもこの時期にどっぷり浸かりました。在職中にマザーズへ上場する経験もでき、その勢いのまま東証一部への鞍替えもしました。同僚や上司、経営陣は素晴らしい方ばかりで、ハードスキルとソフトスキルの高い方が多く、組織としても本当に最高だったと思います。様々な面でとても学びの多い3年間でした。

ちょうどこの頃はアジャイル開発やリーンスタートアップに触れはじめた時期で、2011年には「アジャイルサムライ」が、2012年には「リーン・スタートアップ」の日本語訳が出版されました。この2冊は自分の人生に大きな影響を与えました。

特にリーンスタートアップの考え方は未だに自分の新しいサービスを立ち上げる際のベースになっています。もはや当たり前にもなった MVP や Build-Measure-Learn などをこのタイミングで学び、実際の仕事の中で実践できたことは幸運でした。最後に携わっていた新規事業では一定の成果を出せたことも大きな自信になりました。

やり方が分かってくると次に「自分でもゼロからやってみたい」という気持ちが高まります。そんなタイミングでまさに新しいサービスを立ち上げようとしているスタートアップから「CTOをやって欲しい」と誘われることになります。

スタートアップ1社目

2013年から2016年まで。前職ではビジネスドリブンな事業が多かった反動もあり、CEOのビジョンと情熱にあてられて「このサービスを多くの人に使ってもらいたい」なんていうプロダクトドリブンな青い炎でとにかく突っ走った3年間でした。20代でしたしね。仲間たちと苦楽をともにし、海外にも飛び出し、多くの新しい体験を世に生み出すことはできましたが、とある事情で転職を決意することになりました。突っ走り続けて、気付けば31歳になっていました。

スタートアップ2社目

2016年から2019年まで。前職で身の振り方を考えはじめていた頃に、これまた縁があり、証券会社をやめて起業してエンジニアを探しているという方と出会いました。はじめは開発会社を紹介するなどしていたのですが話を聞いているうちに解決したい業界の課題や意義に共感し興味を持ち始めている自分がいました。CEOの人柄や情熱にもあてられて入社することを決めました。

結果としては、業界のとある課題を解決する僕らのソリューションは大正解で、たくさんの企業やユーザーに使われるプロダクトを作ることができました。

自分ができること、できないことが分かってきた

ITベンチャー、スタートアップ1社目、スタートアップ2社目の経験から自分は「課題を理解し、ソリューションを考えて、プロダクトを作ること」は得意だと感じました。一定のユーザーを獲得する経験も繰り返しできたのである程度の自信も持てるまでなりました。

一方で自分に足りないものも分かってきました。「正しいものを正しく作る」ことができても「稼ぐ」ことがこの頃の自分には上手くできませんでした。

スタートアップが生き残るために目指すこと

PMF(Product Market Fit)の定義は諸説ありますが、当時の自分はプロダクトがユーザーに受け入れられアクティブに使われていれば第一段階クリア。そこからマネタイズに進めば良いというフリーミアム的な考え方が前提になっていました。ところがよく言われている「PMFの前にユニットエコノミクスが成立しているべき」というのが重要。というか絶対に目指さなければいけない状態なんだということをやっと理解できました。

ユニットエコノミクスというのは、LTV(顧客生涯価値)÷ CAC(顧客獲得コスト)で計算できるのですが、1顧客単位で粗利がどれだけ出るか、ようは一番小さい単位で黒字になっているかどうかということです。この単位で黒字にならないことにはスケールすればするだけ赤字になります。なので、スタートアップはまずもってこのユニットエコノミクスが成立している状態を目指さなければいけません。

思い返せば自分は無料ユーザーの獲得後にマネタイズしようと考えていました。ですが、本来はビジネスモデルを検討しプロダクトを作り始める前から収益化の戦略や計画を持っておくべきだったんですね。経営者やビジネスマンの方にとっては当たり前の話だと思いますが、自分は教科書的に知っていても腹落ちするレベルで分かっていたかと言われると、そこまで分かっていなかったというのが本音です。

心のどこかでまだ「良いものを作ればなんとかなる」という楽観的なフリーミアムな思考がどうしてもあったのです。

そんなことを身をもって経験して腹落ちするに至るまでに6年も使ってしまいました。気付けば34歳になっていました。

人生を見つめ直す、最もつらい時期

この頃は自分の人生を見つめ直すことが多くなり、最もつらい時期でした。2人目の子どもが生まれて父親としてのプレッシャーがより一層高まったというのもあり、もう普通に就職するべきなのでは?ということも当たり前に考えました。

しかしながら、どうしても諦めきれない思いが。何度考えても同じ気持ちが浮かび上がってきます。言語化すると、「スタートアップをやりたい」とか「スタートアップで成功したい」というモチベーションではなく、純粋に「世の中にまだない新しい価値を作りたい」という思いだけが捨てられませんでした。

思い返せば未踏に挑戦した時もそういう気持ちでした。そしてそれを最後までやりきれなかった、つまり事業化してさらに多くの人に価値を提供できなかった後悔。その後も様々なかたちで挑戦をしては悔しい思いをするということを何年も繰り返し続けています。それでも、自分の人生や運命というのはそういう挑戦なしにはありえないと思え、どうしても普通に就職するという選択肢は選べませんでした。

そんな時、本当に幸運なことに今在籍しているモニクル(当時はOneMile Partners)の原田さんと泉田さんから声をかけていただきました。

そして、モニクルで理想に出会う

入社を決めた理由はいくつかあるのですが、一番の決め手は自分の人生の目的である「世の中にまだない新しい価値を作りたい」という想いと全く同じ考えを原田さんと泉田さんがお持ちだったということ。さらに、日本の金融領域に残る大きな課題を解決する具体的な方策とビジネスモデルが既にあったこと。

それまで超高難度だと感じていた「正しいことをやる」と「ビジネスとして成立させる」は両立できるんだ。と、感動したのを今でも覚えています。

最後はお二人の誠実さ。お二人の成し遂げたいことにこれからの人生の時間を使いたいと強く思いました。

その5年前の答え合わせはというと、5年経った今も「正しいことをやる」と「ビジネスとして成立させる」を両立しながら成長し続けられていることから自分の選択は正解だったと感じています。

モニクルが作りたい世界は数年で完成するものではないのでまだまだやることがたくさんありますし、まだまだ時間がかかると思います。でも少なくとも今は、たくさんの仲間と力を合わせて確かな手応えを感じながら進み続けることができています。

おわりに

18歳で就職してから39歳までの21年間をこんな風に駆け抜けてきた自分も来月でいよいよ40歳になります。

最後は自分の好きな言葉で締めくくりたいと思います。それはモニクルのパーパスにもなっている創業者2人のこの言葉です。

金融の専門知識がなくても、正しい意思決定ができる人を増やす。

40代も今まで以上にアクセルを踏んで駆け抜けたいと思います。それでは!