共働き世帯の理想と現実 ―忍び寄る「男性稼ぎ手モデル」の影―

今年の4月2日に結婚式を挙げ、妻との共働き生活も一年ちょっとになる。

当初は妻に頻繁に怒られることに悩んでいたものの、最近は随分と穏やかになって、仲良く暮らしている。現状の家庭運営はかなり上手くいっていると評価できると思うのだけれど、どこか私の考える理想の共働き世帯の姿とずれているということがいつも気になっている。

私の中の理想の共働き世帯 ―男も女もキャリア形成と家事参加の機会を十分に持てる―

まず、私の中にある理想の共働き世帯の有り方として、労働と家事の分担が対等に近く、その両方の活動に充実感を持って参加できているということがある。これを実現するためには、キャリアプランの形成に性差別が無いことと、労働時間が(家事を行うために十分な余裕が持てるほど)短いことが必要になる。具体的には労働時間は1日7時間以下であるべきだと感じている。

現実 ―「男性稼ぎ手モデル」の追認と子育ての不可能性―

しかし現実には、家事は妻が多く、生活費負担は私の方が多くという分担になっている。具体的には、風呂掃除とゴミ出しと休日の料理と休日のクリーニングと休日の洗濯物の取り込みは私の担当で、その他の平日の料理や掃除洗濯全般は妻の担当になっている。家事についてはほぼすべて妻がやっているということだ。

死ぬほどキツい日本の「メンバーシップ型雇用」の働き方

日本において長時間労働の根本的な原因は、雇用システム、および労働市場の問題です。この根本的な問題に踏み込まない限り、いかなる「改革」なるものも「改善」にすぎないものになるのではないかと私は捉えています。

前者においては、メンバーシップ型雇用のもと、労働契約時も、その後も任される業務の範囲が必ずしも明確ではなく、どんどん書き換えられていきます。仕事に人を就けるのではなく、人に仕事をつけるシステムです。

私は中小IT企業で、この記事で語られているというような「メンバーシップ型」の働き方をしている。とにかく何でもやらされるので、一日のタスク数が10を越えることも珍しくない。今の私は朝起きたら脳内で何度も仕事の優先順位のシミュレーション(イメージトレーニング)を重ね、仕事の中で新しいタスクが舞い込む度にそのシミュレーションを更新し、一つずつタスクを完了させるようにしている。仕事への集中度は常に限界レベルで本気を出してやっている(そうしないととてもじゃないけれど定時に仕事を終らせることができない)。一日中パソコンと向き合う仕事ということもあり、目の負担も凄まじく、仕事を終える頃にはほとんど廃人のように消耗している。帰ったらぼーっとして、11時前には寝るのが最近のスタイルになっている。帰ってから料理を作ったりする余裕はまったくない。今の仕事は一切やりがいが感じられないつまらないもので、上の人間からドヤされるなどして溜まるストレスも尋常ではなく、残業も月20時間前後は発生するため、毎日11時前に寝ても仕事のストレスは一週間を通じで蓄積し、土日は一日中寝ないと回復しないので、実質的に余暇も無い。私には趣味がたくさんあったけれども、そのほとんどは失われ、今はファイアーエムブレムのソシャゲくらいしかやっていない(そのソシャゲさえもしんどいと感じるときがある)。こうやってブログを書いているのもGWなので例外的にできているのだ。労働によって私の人生は破綻しかけている。

壊滅している妻のキャリアプラン

一方で、妻の仕事が楽かと言えばそんなこともまったくない。妻は小売店で販売員をやっているけれど、この会社が無償労働、サービス残業等何でもありの典型的なブラック企業で、それでも業界の中では一番ホワイトな部類だというのだから訳が分からない。人手不足で他店舗へのヘルプを含む出鱈目なシフトが組まれていて、休日は平日に不定で、7連勤なども普通にあったりしてキツそうだ。そして月給が安く、昇給の見込みもほぼ無い。この会社が業界の中で一番マシということなので(他社から転職して来た同僚が口々にそう言うらしい)、新卒の就職先をこの業界に決めた時点で妻のキャリアプランは終っていたということだろう。一応唯一のキャリアアップのモデルとして、副店長、店長、エリアマネージャーのように昇格し、プライベートを犠牲にする過酷な労働と引き換えに僅かな昇給を得るというものがあるけれど、現在妻の会社で副店長格以上の社員はほぼ全員男性となっている。

と、ボロカスに書いてしまったけれど、私と違って妻は仕事にやりがいを感じていて、また体力的にタフなので、家事をテキパキと効率良くこなしつつ、休日にはいつも友達と遊ぶ予定を入れたりしていて、充実した日々を過ごしている。妻が疲れているときは、私も出来る限りのサポートをするように努めている。

子育てとかできないよねっていう

という訳で、現状は、

  • 私:奴隷のような労働で廃人化しつつ、生活費を稼ぐ。
  • 妻:奴隷のような労働をしつつ、家事をこなし、交友関係も充実している。

このような感じになっており、労働と家事の対等な分担という理想からは遠いものの、概ね上手くやれていると言えなくもない。

ただ、子育ての可能性まで考慮すると話は別だ。もし子育てをするなら、妻は負担の少ない仕事に転職するか退職し、より私の生活費負担を重くしなければならない(妻の今の会社で育休がまともに取れたという前例は過去に一度もない)。結局のところ旧態的な「男性稼ぎ手モデル」に収斂していくという訳だ。しかも昔の男と違って、私の場合は一人で余裕をもって家計を支えられるほど昇給する見込みが無いし、個人主義的な教育を受けて育ったので、心を殺してひたすら会社に奉公する人生にあと何十年も耐え続けられる自信も無い。2人とも子育てをしてみたいという気持ちはあるものの、今のところ私たちはその可能性を無期限に保留することに決めている。

*1

日本の少子化は最早手遅れというレベルで進行しているけれど、私の今の立場からは、

この2つが共働き世帯が子育てに取り組むハードルを低くするために必要だと言いたい。

子育ての問題に限らず、性役割に柔軟性を持たせることは生きやすさの観点で重要だと思う。今の私は、「逃げ場がない」と感じている。あともう少しでGWも終り、地獄の会社労働が再開する。既にストレスの予感で胃にいつもの痛みの兆しが顕れ、柔軟な思考は失われ始めている。本当に他にどうすることもできないのだろうか。こんなことはすぐにでも辞めたい。

*1:2019/02/09追記。リンク切れのため、はてブページに差し替えた。