琥珀色の戯言

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商店街はなぜ滅びるのか ☆☆☆☆


商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

内容紹介
◎虚を衝かれた。古いはずの商店街は実は新しかった。そして滅びるにはそれだけの理由がある? 再生のための必読の書。 上野千鶴子氏推薦!
◎商店街はまったく伝統的な存在ではない。現存する多くの商店街は二〇世紀になって人為的に創られたものだからである。(本文より) ――極めて近代的な存在である商店街は、どういう理由で発明され、そして、繁栄し、衰退したのか? よく言われるように、郊外型ショッピングモールの乱立だけが、商店街衰退の原因なのか? さらに、地域コミュニティの要となる商店街の再生には、どういう政策が必要なのか? 膨大な資料をもとに解き明かす、気鋭の社会学者による画期的な論考!


僕が住んでいる地方都市では、「商店街」は寂れきっています。
というか、商店街に近づくことさえ、ほとんどありません。
買い物は郊外のショッピングモールやスーパーマーケット、コンビニがほとんどで、たまに商店街を通りかかると、開いている店を数えて、「お客さんいないと思うけど、よくやっていけるなあ」と感心してしまうくらいです。
昔からの伝統とか近所づきあいで商売をしているんだろうけど、もうそんな時代じゃないしね……とも感じます。


商店街というのは昔からあって、そこにデパートや郊外型の店が浸食してきた、というのが僕のイメージだったのですが、この新書を読むと、それが思い込みであったことがよくわかります。

 商店街はまったく伝統的な存在ではない。現存する多くの商店街は20世紀になって人為的に創られたものだからである。
 20世紀前半に生じた最大の社会変動は、農民層の減少と都市人口の急増だった。都市流入者の多くは、雇用層ではなく、「生業」と称される零細自営業に移り変わった。そのなかで多かったのが、資本をそれほど必要としない小売業であった。
 当時の零細小売商は、貧相な店舗、屋台での商い、あるいは店舗がなく行商をする者が多かった。そのため、当時の日本社会は、零細規模の商売を営む人々を増やさないこと、そして、零細小売の人々を貧困化させないことが課題となった。こうした課題を克服するなかで生まれたのが「商店街」という理念であった。
 要するに、20世紀初頭の都市化と流動化に対して、「よき地域」をつくりあげるための方策として、商店街は発明されたのである。
 商店街はあくまでも近代的なものである。それも、流動化という、現代とつながる社会現象への方策のなかで形成された人工物だったのだ。
 こうして、戦後日本は、「日本型雇用慣行」による雇用者層と、商店街などの自営業層という「両翼の安定」によって支えられることになった。

百貨店(デパート)は、「商店街」以前から存在していて、百貨店に対抗するために、小さな店が住宅街・繁華街に集まって「商店街」化してきたのだそうです。
この「急増した都市人口を支えるための商店街」は、国策として「守るべきもの」だったのですが、時代の変遷の波にさらされていきます。


1973年に第一次オイルショックが起こりました。
オイルショックの頃のイギリスは、「ゆりかごから墓場まで」という手厚い福祉政策を行っており、最低賃金と福祉手当の額がほとんど変わらないくらいだったそうです。
そのため、若者たちが「働かずに失業手当をもらえばいい」と考えるようになり。イギリス企業の生産性は低下し、財政赤字が膨らむ一方となったのです。
これを是正し、「強いイギリス」を取り戻そうとしたのが、サッチャー首相でした。
この時代のイギリスの状況を自民党政策担当者は「英国病」と名付けたのです。

 では日本が「英国病」に罹らないためには何をすべきなのか。それは、国家に頼らない福祉モデルをつくることだ、そう自民党政策担当者は考えた。
 自民党政策担当者の日本イメージは次のようなものだった。もともと、日本では、終身雇用・年功賃金・企業内福利厚生などで、従業員の人生全体を企業が包み込んでいた。そして、その従業員は、家族のなかでは男性家長として、専業主婦と子どもの生活をささえていた。老人の介護が必要になっても、専業主婦が無償で面倒を見ていた。
 こうした企業と家族による福祉システムことが西欧の福祉モデルにはない点である。彼らにとって、福祉国家とは、多くのフリーライダーを生み出し、財政赤字を垂れ流すことになった悪玉であった。だからこそ、日本は、依存者を大量に生み出す福祉国家ではなく、企業福祉と家族福祉を基軸とした「日本型福祉社会」を構築すべきだと、自民党政策担当者は提案したのである。
 この考え方は、日本の安定イメージを根底から覆すものだった。なぜなら、日本型福祉社会論における「社会」とは、企業と家族であり、そこに自営業や地域は含まれていないからである。それはサラリーマン男性と専業主婦のセットを前提として組み立てられた福祉モデルだった。言ってしまえば、サラリーマン家庭以外の人々は、日本における例外的な層と位置づけられたのである。
 経済学者の大沢真理が指摘するように、もともと日本の社会保障は、大企業中心、かつ男性本位に制度がつくられていたが、「日本型福祉社会論」は、「家族だのみ」・「大企業本位」・「男性本位」の社会政策を、日本の”よき伝統”として、維持強化することになった。

日本社会が、「サラリーマン家庭中心」にシフトしていったため、「零細小売業者」は厳しい立場に追い詰められていくようになります。
そしてそこには「家族関係の変化」も絡んでくるのです。


1970年代の終わりから、コンビニが急速に増加していきます。
著者は、コンビニが増加していった理由として、「大店法」「小売商業調整特別措置法」(大規模な小売資本が食品を販売するには、近隣の商業者の承諾を得る必要があるため、大資本は既存の小規模の店舗をフランチャイズ化しようとしたのです)という規制の存在とともに、「零細小売店の後継者問題」があったと指摘します。
1972年の「小規模企業経営調査」によると、後継者を子どもにするという企業は79%もある一方で、41%の零細企業は、子どもが後継したがらないと答えていたそうです。
この調査は、僕がちょうど生まれたくらいに行われたものですが、僕が子どもの頃〜青年期も、「親の商売を継ぎたい」と積極的に考えていた友人はほとんどいなかったと思います。


著者は、自分の体験もふまえて、こう述べています。

 ちなみに、わたしは酒屋の息子として育てられたが、長らく店舗と住居が同じ建物であった。零細小売店は、家庭生活と商売とを混在させるのが普通であったが、このような公私が分離していない情緒的関係が、徐々に零細小売店主たちにとって好ましいものと思われなくなった。
 こうした文脈のなかで登場したのがコンビニである。コンビニは、当時の小売業者がかかえていた悩みを解決するものだった。
 当時の零細小売商の悩みは、店舗と販売システムの刷新であった。コンビニに転換することは、あらゆる面での刷新を意味した。また、コンビニという新しい店舗を手に入れることで、先に述べた店舗と住居の分離を果たすことができた。実際、わたしの両親は、酒屋からコンビニに業態を変えたときに、店舗と住居の分離をおこなった。
 また、長時間営業にコンビニが対応していたことも重要であった。当時の零細小売商は、スーパーマーケットの長時間化に苦しんでいた。だが、一般の小売店は、家族だけで人のやりくりをしたため、長時間化にうまく対応できなかった。コンビニに業態変化することは、長時間営業の問題、および人材の確保(若者・主婦のパート労働力を容易に確保できる)という点において大きなメリットがあった。
 こうして、コンビニは、大規模小売資本と零細小売商の思惑が合致して、日本全国にひろがる。

既存の「商店街の小さな店」よりも「近代化」されたようにみえるコンビニへの転換なのですが、これは「店舗経営者家族」の負担を軽減するものではありませんでした。

 近年まで、ほとんどのチェーンが、コンビニでのフランチャイズ契約を結ぶにあたって、夫婦での共同経営が最低要件とされてきた。コンビニ本部は、24時間365日の運営を可能にするため、オーナー夫婦が基幹労働力となることを期待していた。
 国友によると、1980年代のセブン‐イレブンがフランチャイズ契約前におこなうチェック事項として、「夫婦仲が良い」、「上の子供は中学生くらいが望ましい」「目安として40歳代くらい」が設けられていた。夫婦仲や健康面に問題があるオーナーだと、長時間営業にいきづまるのではないか、そんなコンビニ本部の判断がすけて見える。コンビニが、零細小売業の家族経営を前提にしていたことがわかるエピソードである。

日本の個々の家族レベルでは、「家族の絆」というか「家族のしがらみ」みたいなものは、どんどん薄れていっていると僕は感じています。
しかしながら、これを読んでいると、政治や経済の上流にいる人たちは、依然として、あるいは今まで以上に「家族による助け合いに期待、あるいはそれを強要している」ように思えてなりません。
家族仲、夫婦仲は良いに越したことはないでしょうけど、こうして、国が掲げる「理想の家族」をもとにしてつくられた政策が、「現実の家族関係」と適合しなくなっているのは、ごく当たり前のことですよね。
「子供も少なく、親との同居を好まない」「老々介護」それが現実であるのに、為政者の「理想」だけが独り歩きしているのです。


この新書の「あとがき」は、同世代である僕にとって、すごく共感できるものでした。

 わたしはサラリーマンと主婦の家庭にあこがれていた。スーツを着た父親とそれを待つ母親――それが当たり前の家庭だと思っていた。そこには、リビングルームと自分だけの子ども部屋があって、楽しい平穏な生活が待っているはずだ。小さい時分からそうした家庭こそが理想的なのだと、勝手に想像していた。
 わたしは一刻も早くこの町から出て行きたかった。両親はわたしの心中をくみとっていたのか、酒屋を継いでくれと一度も言わなかった。両親もわたしも、近代家族の規範と事業継承のあいだで切り裂かれていた。

僕も「自分の父親がサラリーマンだったらよかったのに」と、子どもの頃はずっと思っていました。
それが「ふつう」なのだと思い込んでいたのです。
でも、いまになって思うと、地方都市で、小さい店をやって生活していけるという選択肢がある時代は、けっこう幸せだったような気もするのです。
当時は、そんなことは全く感じていなかったのだとしても。

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