いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

テイクアウト弁当でのソースの入れ忘れとか、Amazonの配送トラブルが増えてきている気がする。


 失敗した失敗した失敗した。

 とは言っても、後から考えると大したことではないのだけれど、某チェーン店で、とんかつ弁当をネット注文してテイクアウトしたところ、ソースが入っていなかったのだ。
 家のソースもちょうどなくなっている。
 塩で食べるのも一興なのかもしれないが、僕はトンカツはソースかおろしポン酢で食べたい派なのだ。

 その店に取りに行こうにも、仕事帰りに買ってきたので、けっこう遠いし、閉店時間も過ぎている。

 なんだよあの店!ソースのついてないとんかつ弁当なんて、どうしろっていうんだよ!

 くそ、食べログとかGoogleに「この店のとんかつ弁当にはソースが付いていません。気をつけましょう」とか、☆1つで投稿してやるバカにしやがって!

 などと心の中で悪態をつきまくりながら、結局、近所のコンビニでソースを買ってきて、それを使って食べた。食べ終わったら、なんかもうどうでも良くなった、というか、そんなことでいちいちムカつくのも時間のムダであり、脳や心臓の血管障害のリスクを上げるだけだよな、と。まさに賢者タイム。

 そういえば、最近、Amazonで注文した商品が「郵便受けに入れました」となっているのに、郵便受けのなかには影も形もない、ということもあった。Amazonに連絡するつもりが、そのうち来るのでは、と思っているうちに、もう数日経ってしまった。

 以前、うちの郵便受けに、同じマンションの住人あての荷物が投函されていて、どうしようか、差し戻そうかと思ったけれど、そのままその部屋番号に投函しなおしてしまったのだが、それでよかったのかどうか。

 ネットとかで、飲食店の人手不足とか、宅配業者の大変さとかを知ってしまうと、向こうは向こうで大変なんだよなあ、と同情してしまうのだが、自分が被害者になると、それはそれでやはり腹は立つし、なんとかしろよ、金返せ!という気持ちにはなる。

 今の時代は、なんでもネットで手続きができるようになって、僕のような電話も人と話すのも会うのも苦手な人間にとっては、かなり生きやすくなった。そのことにはとても感謝している。飲食店やホテルの予約の電話とか、ほんと苦手だったものなあ。この時間は忙しいんじゃないか、とか「そんな時間、いま電話してきても空いてるわけないじゃん、とか、内心バカにされているんじゃないかなあ」とか、電話しようとするとネガティブな想像ばかりしてしまうのだ。

 その一方で、僕の観測範囲では、コロナ禍以降からとくに、デリバリーやテイクアウトなどの「ネット経由で注文できるもの」が増えていくのにつれて、商品の入れ忘れや注文がうまく通っておらず、取りに行ったら「ちょっとお待ちください!」と言われ、厨房の奥から慌てて調理を始める音が聞こえてきて、しばらく待たされて、忘れられていた(あるいは、注文が受けられていなかった)ことはスルーされてしまう、という小事故が増えてきている。

 今回のように、弁当などで、こちら側は当然付いているものと想定しているソースとかドレッシング、付いているはずの小鉢などが忘れられている、注文したものと商品が違っている、ということも増えてきているのだ。

 もちろん、そういうことは昔からあって、マクドナルドのドライブスルーでの商品入れ忘れ、なんていうのは、以前にも経験したことがあるし、コロナ禍以降、テイクアウト可能な店が増え、利用頻度が増えているので、それに比例して、こういう小さなインシデント(事例)が増えている、というだけなのかもしれないけど。


fujipon.hatenablog.com


 利用している側の印象としては、店内のお客さんに直接店に来てテイクアウトを注文する人に、ネット予約での受け取りと、あまりにもオーダーがやってくる間口が広く、アクセス手段が増えてしまっていることに、店員さんは対応するのが難しくなっている感じはする。

 持ち帰り弁当屋で、来店して弁当を注文した人は、レジで支払いをしながら、その弁当が袋に入れられるところを見ていることが多いし、違う弁当だったり、調味料が違ったら、「あっ、あれが入ってないです」とわかりやすい。
 店員さんも、個人差はあれど、注文した客と内容をある程度紐付けしているはずだ。

 でも、ネット注文の場合、後は渡すだけの状態まで準備され、客が来ると、誰からのどの注文かを伝票で確認して、そのまま受け取りとなることが多い。


 今回の件に関しては、僕自身、冷静になってみると、ちょっと油断していたな、と反省もしている。

 何度も何度もこの「詰め忘れ、商品取り違えで、家であけてみて悶絶」という目にあってきたので、最近は、基本的に、店内で受け取る時点で、中身をきっちり確認するようになっていた。

 店員さんからすれば、信用していないのか?と、感じ悪いかもしれないけれど、僕はもう、そういうミスは一定の確率で起こるし、いまはシステムの進化にラストワンマイルを担当する人間のスキルが追いついていない時代だと思っているので。

 家に帰って、ソースがない、ドレッシングがない、なんていうことになると、冒頭の僕のように、けっこう不快になる人も多いはず。あの店員、ちゃんと確認しろよ!と恨めしくもなる。

 でも、受け取った店内で、即座にチェックしておけば、その場で「ソース入ってないです」「あっ、すみませんでした。どうぞ」で、済んでしまう。僕は夜中に着替えてコンビニに不機嫌なまま行かなくて済むし、店員さんを恨むこともない。親切心でやっているわけじゃなくて、こういうことでイライラすることに年齢とともに心底疲れているので、自分の機嫌を保つために気をつけるようにしているのだ。

 ソースの小袋ひとつがないことに苛立ち、そのくらいのことで怒ってしまう自分の器の小ささに幻滅して落ち込む。年齢とともに、感情がマイナスの方に大きく振れやすくなっているのに。
 
 同じ「詰め忘れ」でも、早期発見・早期治療ができれば、ダメージはお互いに少なくなる。
 だから、店員さんの側も、受け取った商品を丁寧に確認しているウザいおっさんを見かけても、あまり気にしないでほしい。


 ……ということで、今回は僕が油断していたのも悪かったなあ、こうしてブログのネタにもできたし(ブログを書いていて良かったと思うのは、多少の不幸であればネタにすれば半分くらいは取り返した気分になれることです。もっと切実なことは、やっぱり書けないものではありますが)、という話でした。

 いやしかし、なんのかんの言って、50も過ぎると、僕の「世間知」能力も緩やかに向上してきてはいるんですよね。初代『ウィザードリィ』の忍者かよ、っていうくらいの成長速度なんですが。遅いよ。人生って大概手遅れだよな。20代のときに、今くらい脱力できていたら、もうちょっとモテたかもなあ。


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