【ネタバレあり】『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』クソシネフィルの生態系を解像度8Kでお届け!

I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ(2022)
I Like Movies

監督:チャンドラー・レバック
出演:アイザイア・レティネン、ロミーナ・ドゥーゴ、クリスタ・ブリッジス、パーシー・ハインズ・ホワイトetc

評価:90点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

新宿シネマカリテにて『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』を観てきた。POPEYEの表紙になっているからてっきりオシャレミニシアター映画、あるいは『クラークス』や『僕らのミライへ逆回転』のようなゆるふわボンクラ雑談映画なのかと思っていたら違った。なんとクソシネフィルをぶった切る映画だったのだ。本作が凄いのは、その手の映画は露悪的だったり自虐になりすぎたり,変に凝った演出が施されるようなイメージがあるが、ストレートに描き切っているところにある。もちろん、シネフィルらしいマニアックなネタはあるのだが、物語を阻害しないよう隅に置かれている。これは凄いぞということでレビューしていく。

『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』あらすじ

レンタルDVD全盛期の2003年カナダを舞台に、他人との交流が苦手でトラブルばかり起こしてしまう映画好きな高校生の奮闘を描いた青春コメディ。

カナダの田舎町で暮らす高校生ローレンスは映画が生きがいで、ニューヨーク大学でトッド・ソロンズ監督から映画を学ぶことを夢見ている。社交性に乏しい彼は唯一の友人マットと毎日つるみながらも、そんな日常が大学で一変することを願っていた。高額な学費を貯めるために地元のビデオ店「Sequels」でアルバイトを始めたローレンスは、かつて女優を目指していた店長アラナらさまざまな人たちと出会い、奇妙な友情を育んでいく。そんなある日、ローレンスは自分の将来に対する不安から、大事な人を決定的に傷つけてしまう。

監督・脚本は、本作が長編デビューとなるチャンドラー・レバック。監督の自伝的ストーリーながら、主人公の性別をあえて男性に変更して撮りあげた。主演はラッパーとしても活動する若手俳優アイザイア・レティネン。

映画.comより引用

クソシネフィルの生態系を解像度8Kでお届け!

未熟なシネフィルは「映画」で社会を知った気になっている。「映画」とは複雑な社会を整理しナラティブに落とし込んでいるものであり、現実では複雑な世界を自らの手で整理していく必要があるのだ。本作の主人公であるローレンスはそれを全く理解しておらず、傲慢な態度で周囲に接している。シネフィルである自分を高く見積もり、友人であるマットを見下しているし、メディア論の課題にも取り組まない。思い出ビデオの進捗を先生に訊かれても拘りから提出する素振りを魅せることができない。社会を整理できないから「映画」を作れないし、映画の登場人物にしか興味がないから、映画を作っても独りよがりなものしかできないのである。

そんな彼はレンタルビデオ屋に履歴書を送り続けるのだが、仕事ができなさそうなシネフィルを雇ったところでトラブルの種になるだけなのでマネージャーは「受け取っておくね」といって、横に放置し続けるのだが、欠員発生でやむを得ず彼を雇うことになる。映画業界に限らず、オタクを雇うことは厄介だったりする。ビジネスも分かっていないクセにビジネスに口を出してくるからだ。マネージャーの仕事は経営層から降りてくるミッションを達成するために知恵を絞ることである。『シュレック』を売れと言われたら『シュレック』を売らねばならないのに、「あんなの売れないから別の作品を売ろうと」こき始めるのだ。どうやって経営層に説明しろと?思うのだが、高校生のガキに経営のことが分かるはずもないので、マネージャーは彼のポンコツっぷりをやんわり軌道修正しながら業務遂行を図る。マネージャーの鏡を魅せるのである。周囲もそんな感じで、彼に面と向かって拒絶したりはしない。

自己の外部化として他者が存在するに過ぎない彼は段々と孤立してくる。ローレンスは映画をたくさん観ているのに自分のクソさに気づけない。特に思い出ビデオ作りに混ぜた方が良いとマットが女学生ローレンPを招くのだがミソジニーを発揮するのである。マットは彼と距離を置くようになりローレンPと映画を作り始め、レンタルビデオショップも別店舗に乗り換えるのである。同僚の店員はそうした関係性の亀裂を察するのだが、ローレンスだけが気づかない痛ましさの物語へと転がっていく。このまま成長しなければ有害なシネフィルおじとなり、無駄に会話好きだから若者が集まる映画コミュニティに入り込んで、年齢の差から上から目線でどうでもいい思い出話をしたり、Wikipediaレベルの情報を語ってウザがられるのである(意外といるよな。おめぇとの関係は指2本以下だってのに領域侵入してくるクソシネフィルおじが!)。

では映画はそんな彼が改心する話なのかというと、確かにそうなのだが、そういったクソシネフィルの行動はそう簡単に変わるわけもなく、気持ち悪いプロセスによって改善されていく。ニューヨーク大学に堕ちて、施錠管理をちゃんとやらなかったことからバイト先もクビになり、思い出ビデオも最終的にノークレジットになった彼がマットに「どうして距離を置くようになったの」と訊くのだ。「えっなにが悪かったのか気づいていなかったのかよ!」とドン引きしつつも、理由を語り去っていく。彼の背中からは「もうこないからねー」とたまごっちの残像がチラつく。ローレンスはまた会えると思っているようだが、恐らく無理だろう。でも少しだけ反省し、大学の寮で知った学生のことを知ろうとする、他者への興味を示すところで映画が終わるのである。

では、彼のようなクソッぷりが自分になかったかと言えばウソになる。高校時代、大学時代はクソシネフィルであり映画制作ゼミは生徒のレベルが低いと蹴り飛ばしていたし、松竹や日本映画専門チャンネルの新卒採用試験で『鴛鴦歌合戦』から和製ミュージカルの魅力について語り、周囲の受験生のヘイトを爆溜めした思い出がある。映画のオフ会でも失敗したことがある。だから、人と映画の話をする時には最新の注意を払うし、マニアックな映画の話はブログやYouTubeで公開し、自己の外部化として他者を介在させないようにしているのである。だから、本作のクソシネフィルあるあるは自戒の映画として面白かった。

細かい演出面でみると、いくつか興味深いものがある。まず、ローレンスがレンタルビデオ屋に入店する際、背後にあるポスターがガイ・マディン『世界で一番悲しい音楽』である。彼が回り込んで夫婦にトッド・ソロンズ『ハピネス』を紹介する際に、隣にあったのが『世界で一番悲しい音楽』であり、最終的にスタッフの推し映画として彼はこの映画を設置する。ガイ・マディンはカナダの映画監督であり、彼の故郷ウィニペグへ行けば、マニトバ大学へ行けば映画のことが学べるのにそれが選択肢にない。つまり視野の狭さを暗示しているといえるのである。

また、ローレンスの相棒の名前がマットなのだが、ひょっよするとマット・ジョンソン監督を重ね合わせているのかもしれない。あのマットが将来映画監督になるとしたら、カナダ版桐島、部活やめるってよこと『The Dirties』を撮っていたかもしれない。あれもクソシネフィル高校生の生態系を解剖する作品であったし、マット・ジョンソン映画から漂う哀愁と共鳴するものがあるからだ。

そして、ローレンスの『マグノリア』は観ているが『マグノリアの花たち』は観ていない問題は意外とシネフィルの中で当てはまる人が多いのではないだろうか?あのハーバート・ロス監督作にもかかわらず私は未観であり、観たくなってきた。

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