仲正昌樹『統一教会と私』

 あるオンライン署名活動*1をきっかけに、統一教会が話題になっている。 私は、統一教会はカルトであり、入会を希望しない限りは決して近づかないほうがいい団体だと考えている。ただし、悪魔化するものよくないと思い、たしか仲正昌樹氏が自分の入信体験を本にしていたと記憶していたので、検索して見つけた。タイトルもストレートな『統一教会と私』である。

 この本は、以前、出版された『Nの肖像』を増補・新装で出版社を変えて出したらしい。

 大変面白い本だったが、なんとも言えない。まず、この本で仲正さんは統一教会の教義やシステム、勧誘、信者の活動について明確に説明している。教義については、従来のキリスト教との聖書の解釈の違いがわかりやすく述べられる。さすが、社会思想の専門家である。また、淡々と自分の体験した勧誘や活動について描き出しており、潜入調査をもとにしたルポルタージュのようだ。しかし、肝心の信者としてのこころ模様はどう受け取っていいのか迷う。

 仲正さんは1981年に東大に入学してすぐ、原理研究会に勧誘され、統一教会の信者となる。それから11年半にわたって信者生活を続ける。共同の生活のホームで暮らし、物売りをし、合同結婚をしたうえ、世界日報の記者になる。どっぷりと統一教会に浸かって生きてきたが、その精神世界はあまりわからず、周囲とのコミュニケーションがうまくいかない若者の屈折が延々と描かれることになる。

 仲正さんが特につまずいたのは物売りである。私はこの本を読む前は「仲正さんは霊感商法にも加担したのだろうか」と詮索していた。だが、そもそも仲正さんは営業成績が悪すぎて、信仰に関する壺や印鑑は売らせてもらえなかったらしい。新人の信者は最初は「珍味売り」からスタートする。何キロもの珍味を担いで、訪問販売をして売り上げを逐一、上司に報告する。神に感謝して売るように言われるが、仲正さんは一向に売り上げが伸びない。業を煮やした上司から「もう帰ってくるな!」と言われると、「じゃあ、もう帰りません」と反抗的な態度をとってしまい、左遷されてしまう。仲正さんは落ちこぼれの信者で、ホームの部屋に閉じこもってでうつうつとしていた。

 仲正さんは、突破口を探してドイツへ留学を試みたり、大学院進学へ挑戦したりするが、全くうまくいかず、どこに行っても人とぶつかってしまう。世界日報の記者になり、やっと才覚を発揮するかと思いきや、上司と喧嘩になってしまう。そして、世界日報の賃金が下がるとやる気がなくなり、転職を目指して一念発起して大学院でドイツ思想を研究し始める。

 仲正さんは、信者としての評価が高くないため、なかなか「祝福(合同結婚のこと)」を受けられなかった。ついに日本の信者の女性と合同結婚が決まったが、容姿や態度が気に入らず、乗りきれない。(仲正さんは女性の容姿がたいそう気になるらしく、女性を描写する場合、必ず美人かどうかの評価を匂わせる*2)ついに合同結婚式に出席して、教祖に会えたというのに、お話の最中に居眠りして、ほかの信者に悪口を言われてしまう。

 時流もあり、仲正さんは脱会を決めてしまう。合同結婚は、女性から子どもをもうけるのが難しいと打ち明けられて、隠していたことに憤って、破棄する。仲正さんは、それまでの信仰生活を振り返り、「合同結婚がうまくいっていればもっと違った人生だったのではないか」などと考えたりする。そして、引き止められるがきっぱり断って、連絡を遮断してやめてしまった。

 仲正さんは、本の終章でこんなふうに書いている。

 統一教会にいたことを、私個人としては、それほど後悔していない。しかし、入信したことにより親に心配をかけたのは事実だし、私が伝道したのがきっかけで入信した人もいるので、反省しなければならない部分があるのかもしれない。

 一一年半にわたる宗教体験は、ある意味では、ごく普通の人間になるための訓練期間であったとも思える。繰りかえしになるが、人見知りの口べたで、人とコミュニケーションを取るのが苦痛だった私の性格は、統一教会にいたことにより、すこしは改善された。いまは、平気な顔をして、大学で授業ができるくらいにはなっているのだから。

 これはなんとも言えない記述である。統一教会の活動を正当化しているとも取れる。しかしながら、一冊読んで思ったことは、統一教会の人も仲正さんとの付き合いには苦労し、対応に苦慮したのではないかということだった。仲正さんの脱会時も引き止めはあったようだが、しつこくはなく、すんなりと辞められたようにも見える。だが、これはもしかすると上司も仲正さんがこれ以上、統一教会でやっていくことは難しいと思っていたのではないかと、読者としては推察してしまう。ちなみに、仲正さんが勧誘できた信者は一人だけで、その信者の方がはるかに早く出世して、合同結婚もうまくいったらしい。

 たしかに、仲正さんの場合は、統一教会に入っていなければ、もっと楽しい生活があったかというと、それはこの本を読む限り、想像できなかった。かといって、この本を読んで統一教会に入りたい人はあまりいないと思う。第一、仲正さんがどのあたりで統一教会に救われたのかもよくわからなかった。あえて言うと、居場所を見つけられたことだろうか。でもその居場所も、茨の道であったし、ずっと仲正さんは落ちこぼれでふてくされて、辛い気持ちで生活していた。突然、最後の方で死の恐怖を抱えていたという話も出てくるが、その恐怖を統一教会の信仰生活が救ってくれたという話もほとんどない。感動するポイントはひとつもなかった。

 つまり、こんなに詳しく赤裸々に統一教会について語り、その話はほぼ正確らしい*3のに、全く統一教会の魅力も恐怖も伝わらない本なのである。法事で親戚のおじさんの昔話を聞いているようだった。たぶん、これは「そういうもの」なのではなく、仲正さんの個性なのだと思う。

 そもそも、仲正さんはものすごく勉強ができる人なのだと思う。公立高校から、その気になれば塾にもいかずに東大に行くことができ、短期留学で英語を話すコツを掴み、ドイツ語に至っては英語に似ているという理由であっというまに習得して、ネイティブと哲学的議論にまで踏み込むようになる。私が何年かけてもさっぱり英語ができず、何度も挫折してきたのとは大違いすぎて、「そこは悩まないんだなあ」とちょっと羨ましくなってしまった。でも、私は頑張れば珍味は売れるかもしれず、人はそれぞれ違うからな、と自分を納得させた*4。

 一つ心に残ったのは、物売りで落ちこぼれ、統一教会でも居心地が悪くなった仲正さんの心が、唯一晴々としたのが「左翼との闘い」だったことである。1980年代の学生運動はほとんど形骸化し、内ゲバを繰り返していたと言われている。その左翼学生たちと時には暴力沙汰になりながら闘うことときにだけ元気になり、ストレス発散になったのだと言う。

 この部分を読んだ時に、私は在特会と反在特会の衝突を思い出してしまった。最近では、一部のフェミニストと表現規制反対派の中で起きる激しい言葉のやり取りもそうだ。もちろん、相手を激しく批判する必要があることもある。だが、そこに暴力に魅入られる契機があることに注意は必要だと思う。

 さて、もっと、常人がカルトについて理解できる本もある。以下の本はカルトの魅力と恐怖、入信した人のこころ模様がリアリティを持って描かれている。

 瓜生さんも、大学に進学してすぐに親鸞会に入会する。そこから、親鸞会の組織にどっぷりと浸かっていく。カルトによる救済と、内部の矛盾、自責、さらに脱会後の苦悩などが詳しく語られている。また、「脱会支援」をしている人たちの言葉で、脱会者が傷つく問題についても、丁寧に書かれている。カルトの危険性を指摘することは大事だけれど、カルトに救いを求めていく人たちの心情を理解することも必要だろうと思う。

*1:発端の騒動は、署名活動の賛同団体のひとつが統一教会の関連団体だったことである。それも、その指摘があってすぐに削除された。署名活動によって個人情報を集め、それをもとに勧誘活動を行うのは昔ながらの手法である。もちろん、署名のための個人情報を勧誘活動に使うのは違法だが、一部の活動団体や宗教団体は、自分たちの勧誘は正しいものであるという確信があるため、社会のルールを守らないことがある。(もしくは特異な解釈をしてルールを守らないことを正当化する)そのため、特定団体が参加していることを伏せるような署名活動は危険であるし、私なら避ける

*2:女性に縁がなく、恋愛の経験もないというような話もあったが、たいていの女性は自分の容姿をジャッジされるのに敏感だし、そういう人は親密な関係を築く相手としては、敬遠する。仲正さんが「美人かどうか」で相手をジャッジしてるのが、ばれてるのもあるんだろうな、と私は思った。

*3:Amazonのレビューでも信者らしき人が、真実が書いてあると認め、声をあげて笑える本として褒めていた。

*4:研究者になるのは仲正さんの方がアドバンテージがある。そこは本当に羨ましい。私は仲正さんは十分にアベルだと思う。でも私は、他人が羨ましくても「野原に行こう」とは言わないし、うじうじ一人で野原にいたら誰かが慰めてくれる人生なので、それはそれで良さがある。