2016年1月10日、デヴィッド・ボウイが逝去されました。享年69歳。先鋭的であり続け音楽シーンを常に牽引してきた彼の死に、多くのファンやミュージシャンから哀悼の意が伝えられています。
その活動は音楽のみならず、映画でも多くの傑作を残しています。代表作には自身のコンセプト・アルバム「ジギー・スターダスト」を思わせる『地球に落ちて来た男』や、幻想的な世界を支配するゴブリンの魔王ジャレットを演じた『ラビリンス/魔王の迷宮』があります。
また、日本では特に坂本龍一やビートたけしと共演した大島渚監督作『戦場のメリー・クリスマス』で演じた妖艶で中性的なアーティスト・イメージを引き継いだジャック・セリアズ少佐がよく知られていると思います。
そんな、映画への理解が深いボウイが楽曲使用を求められながら、それを認めなかった作品があります。ボウイの曲名をそのままタイトルにした『ベルベット・ゴールドマイン』です。
『ベルベット・ゴールドマイン』
『ベルベット・ゴールドマイン』は2016年2月11日より公開される『キャロル』監督のトッド・ヘインズによる1998年の作品です。
新聞記者アーサーが編集長から命じられたのは70年代にグラム・ロックシーンを牽引しながら忽然と姿を消したアーティスト、ブライアン・スレイドの追跡調査でした。かつてイギリスのロック少年でグラム・ロックに傾倒していたアーサーは、当時のブライアン・スレイドを振り返りながらグラム・ロックシーンを回顧していきます。
劇中に登場する架空の70年代グラム・ロックスター「ブライアン・スレイド」と彼のペルソナ「マックスウェル・デイモン&ヴィーナス・イン・ファーズ」は「デヴィッド・ボウイ」とボウイのペルソナ「ジギー・スターダスト&ザ・スパイダース・フロム・マーズ」に当たります。
またユアン・マクレガーが演じる「ザ・ラッツ」の「カート・ワイルド」は「ザ・ストゥージーズ」の「イギー・ポップ」になります。劇中では2人の赤裸々な性愛の情景まで描いています。
この描写が楽曲提供の拒否に繋がったとウワサされていますが、ボウイがバイ・セクシャルであり、イギー・ポップと関係があったことはタブー視されているワケでも無く、ファンでなくとも誰でも知っていることです。
では、ボウイが本作への楽曲提供を拒んだ本当の理由は何だったのでしょうか?
(以降、作品のオチ・ネタバレにも言及していきます)
トミー・ストーンが象徴する人物とは?
劇中に国民的なスーパースターとしてポップ歌手「トミー・ストーン」が登場します。国の文化省が企画するイベントに代表として出演し、反逆的なロックの対極を行く、政府公認の健全なロックスターです。アーサーはその偽善的な姿にうんざりした表情を見せます。
その「トミー・ストーン」は、金髪のリーゼントで肩パットがこんもりと突き出したスーツを着込んでいます。その姿はボウイの「レッツ・ダンス」ツアー時の姿に酷似しているのです。終盤では、この「トミー・ストーン」こそ姿を消したブライアン・スレイドであることが突き止められます。
アーサーはかつて憧れ、夢にまで見た存在の凋落ぶりに吹っ切れたような思いを抱くことになります。
つまり「トミー・ストーン/ブライアン・スレイド=デヴィッド・ボウイ」で、トミー・ストーンもデヴィッド・ボウイを象徴しています。ここに楽曲提供拒否の理由があると思われます。
ボウイ債
1997年初頭、『ベルベット・ゴールドマイン』が公開される約2年前。デヴィッド・ボウイはそれまで発表したアルバムの著作権料やライブ活動で得るであろう収入を担保とし債券を発行します。俗に「ボウイ債(Bowie Bonds)」と呼ばれ、5,500万ドルを集めます。ボウイの後を追ってエルトン・ジョンやジェームズ・ブラウンらも、この制度を利用し活動費のねん出を行っています。
「アーティスト自身を債券化する」という、それまでボウイが象徴してきた「背徳」「反逆」のイメージからは遠くかけ離れた制度へ、正に身を投じたワケです。当然「反逆者」たるボウイへ傾倒していた人々は、大好きだった人が最も嫌っている世界へ行ってしまったような思いがあったことでしょう。
そして、その思いから作製されたのが『ベルベット・ゴールドマイン』なのです。
「快楽の金脈」から「お金の成る木」へ
「ベルベット・ゴールドマイン」=「ベルベットの金脈」とは「快楽が溢れ出る金脈」といったイメージになるでしょう。かつてボウイが倒錯した姿「ジギー・スターダスト」として多くのファンたちを快楽へいざなった様子と、ボウイ本人が「ボウイ債」により本当のお金を生みだす「金脈」に成り果てたというダブル・ミーニングにも捉えられます。
本来、本作のエンディングでかけたかったであろうボウイの「ベルベット・ゴールドマイン」の替わりには、スティーブ・ハーレイ&コックニー・レベルのヒット曲「メイク・ミー・スマイル」が流れます。
「全部オマエがブチ壊しにしたんだ。その青いおめめでどれだけウソをついたんだい? もういいよ。出て来てオレを笑わせてくれよ。何やったってもうイイよ。」
と、切々と唄われるその歌詞には監督トッド・ヘインズの、デヴィッド・ボウイに対する深い愛と熱い憎しみが入り混じった思いが読みとれます。
功罪の「功」
トッド・ヘインズがボウイを「トミー・ストーン」になぞらえて嫌っていたのは、おそらくフィリー・ソウルに傾倒していた時代を「ファンクはファンキーへ返し」と決別し、「スペース・オディティ」に登場する「トム少佐」を「あいつはただのジャンキーだった」と葬った「Ash to Ashes」を収録した1980年のアルバム「スケアリー・モンスターズ」以降でしょう。
特にナイル・ロジャースをプロデューサーに迎えた1983年のアルバム「レッツ・ダンス」は跳ねるようなキャッチーなビートで特大ヒットを記録しますが、それまでのボウイ・ファンには嫌われたそうです。
映画『ズーランダー』でボウイが登場する場面でも「レッツ・ダンス」の一節がアタック的に使用され、過剰で軽薄なオシャレを良くも悪くも象徴する扱いになっています。
ただ、もちろん。その時代以降のボウイ・ファンも存在します。
レオス・カラックスが『汚れた血』でドニ・ラヴァンを疾走させた「モダン・ラブ」は、ノア・バームバック監督の『フランシス・ハ』の疾走シーンへ受け継がれています。
また、1995年にブライアン・イーノをプロデューサーに迎えたアルバム「1.アウトサイド」は「死体でアート作品を作る連続殺人鬼」をテーマとしたコンセプト・アルバムになっています。ライナーとして付いていたボウイによるサブ・テキスト「ネイサン・アドラーの日記」に登場する殺人鬼のアート作品描写、「死の瞬間の記憶を脳みそから直接音声化して大音量で流し続ける死体で出来たスピーカー」は、先鋭的なホラー映画にも引けを取らない強烈なイメージを喚起させます。
常に変化し続け、固定のファンを突き放してでも次の一歩を踏み出さずにはいられず、楽しむようにチャレンジし続けたデヴィッド・ボウイの死は、どの時代のファンにとっても悲しいものです。
おそらくトッド・ヘインズもこの訃報には涙を流していることでしょう。
Ground control to Mr.Bowie