第79回ヴェネチア国際映画祭で最優秀女優賞受賞、第80回ゴールデングローブ賞、第76回英国アカデミー賞、第28回放送映画批評家協会賞で主演女優賞受賞、そして第95回アカデミー賞では作品賞など6部門にノミネートされた怪作『TAR/ター』が、ついに5月12日(金)より日本で公開された。
本記事では、ケイト・ブランシェット演じる主人公のターを軸に、彼女と関わった人物を通してその人間性をネタバレありで深堀していく。
『TAR/ター』あらすじ
世界最高峰のオーケストラの一つであるドイツのベルリン・フィルで、女性として初めて首席指揮者に任命されたリディア・ター。彼女は天才的な能力とそれを上回る努力、類稀なるプロデュース力で、自身を輝けるブランドとして作り上げることに成功する。今や作曲家としても、圧倒的な地位を手にしたターだったが、マーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。そんな時、かつてターが指導した若手指揮者の訃報が入り、ある疑惑をかけられたターは、追いつめられていく……。
※以下、ネタバレを含みます。
“リディア・ター”という人物について
世界屈指のオーケストラ初の女性首席指揮者という肩書を持ち、世界中を飛び回るリディア・ター。映画冒頭は彼女がインタビューを受けるシーンから始まり、インタビュアーは彼女の輝かしい経歴や栄光の数々を称賛、ターはプロとしてそれに応えていく。
そこで語られる彼女は、まさに“カリスマ”であり、世界がその才能を認めるアーティストという印象を我々観客に植え付けていった。
しかし、物語が進んでいくうちに、その皮は徐々に剥がされていく。決して説明的ではないが、行動と言動の節々で「ター」がどのような人物であるかを暴いていくのだ。仕立てる衣装は男性物のシルエット、“マエストロ”という男性名詞で呼ばれることに対しても抵抗がない。養女のペトラをいじめた子供に話しかけ、自分はペトラの“父親”であり「ペトラを虐めればただではおかない」と脅す。
また、講義中に1人の学生と意見が食い違い、クラス全員の前で見事に論破するシーンでは、周りの学生が引いてしまうほどの自論を捲し立てる。この段階から、ある人の目には“カリスマ”に映り、ある人によっては“エゴイスト”の烙印を捺されていく。男性社会のクラシック界でトップにのし上がってきた努力や強靭な精神、音楽への愛と造詣の深さばかりに注目されていたターだったが、アンオフィシャルな場での政治的行動も匂わせてくる。
このように、自分というものに絶対的な自信を持つターはどこか名誉男性的な振る舞いをし、エゴイスティックで冷徹な顔を徐々に表していく。常に「完璧」なアーティストとして振る舞うター。しかし、少しづつ「完璧」から狂い始める彼女の人生の顛末と、それを取り巻く人々との関係性について解説していく。
ターの周りの女性たち
パートナーが女性であるターは、世間的にはレズビアンのアクティビストのような立ち位置を確率しつつも、その実は不誠実な行動を繰り返している。周囲の女性との性的な関係性はパートナーであるシャロン以外はハッキリと描かれていないが、他にも関係を持っていたことが劇中で暗示されている。まずは、周囲の女性たちから解説していく。
・シャロンと養女のペトラ
パートナーのシャロンは、ベルリン・フィルの第一バイオリン(コンサートマスター)であり、ターを公私共に支えている。動悸が日常的に起こるようで、立場も有り様々な女性と関わるターの女性関係に厳しい目を向けつつも、大人の態度でそれを静観していた。
そんな二人が愛を注ぐ養女のペトラはベルリンの学校に通っているが、そこでいじめを受けていることが発覚。(前述の通り)ターはいじめっ子に対して、大人に話すような口調で釘を刺す。劇中後半でも出てくるように、ペトラへの曲を作ろうとするほどターにとっては何よりも大切な存在である。
・フランチェスカ
ターのアシスタントで指揮者を目指している。かつてはフランチェスカと共にターのアシスタントをしていたクリスタに友情を感じていた。クリスタがいなくなった経緯を含め、これまでのターの行いを知っている彼女は、ターがクリスタのメッセージを無視するように命令するたびに心を痛めていた。クリスタが自殺したことを知って泣きながらターに伝えるが、ターの気持ちはフランチェスカと同じ温度感ではない。さらに、副指揮者のセバスティアンの後任として真っ先に選ばれなかったこともあり、ターの元を去っていく。
・オルガ
ベルリン・フィルに加入したロシア人のチェリストで、ターはその若々しい才能に惹かれていく。決めかねていた2曲目をチェロのソリストが必要な曲にし、シャロンの姉である第一奏者を差し置いて、あえて公平にオーディションで決めようとする。明らかにオルガを贔屓しているのが分かるが、結局ブラインドテストでオルガは合格。オケに実力を認められ、フランチェスカの代わりにターとアメリカに向かう。しかし、それ以降のオルガは一切ターに興味がないそぶりを見せる。ターは彼女に利用されていたのだ。
ターによって虐げられた人物たち
いわゆる「キャンセル・カルチャー」を描いた本作に登場する人物たちの中で、被害にあった彼らの行動は様々だった。その顛末を解説していく。
・マックス
ジュリアード音楽院の学生で、ターの元で指揮を学んでいる。ターは彼にバッハから影響を受けてみてはどうかと聞くが、バッハが女性差別者のため支持ができないと話す。しかし、ターは芸術と私生活は分けて考えるべきだと、クラス全員の前で彼の考えを全否定。それにひどく憤慨したマックスは教室から飛び出し、後日何者かによってその様子がSNSにアップロードされてしまう。
・セバスティアン
ベルリン・フィルの副指揮者。しかし、すでに歳であり、ターが指揮をする曲の音楽的バランスに異なる意見を述べたことが引き金となり、クビにされてしまう。遠回しに「辞めてくれ」と伝えるターの態度に驚いたセバスティアンは、「みんなあなたが女性を特別扱いしていることを知っている」とオーケストラ団員からの評判を口に出してしまう。
・クリスタ
この物語の軸となる人物で、ターに指揮者としてのキャリアを妨害されていたクリスタ。様々な楽団にエントリーするたびに、ターはその楽団に「(クリスタは)精神的に不安定」だからおすすめしないというメールを送っていたのだ。そのせいでクリスタは仕事に就くことができず、何度もターに問題の解決を求めていた。
一方ターは、クリスタからのメールを無視するようフランチェスカに言い続ける。ある日、いつもより必死なメールが来るがいつも通り無視。そしてクリスタは自死してしまう。結果的にターは、今までのパワハラ行為を訴えられることになる。
ラストはどうなる?
クリスタの家族とフランチェスカがターのハラスメントを告発したことをきっかけに、これまで行ってきた不誠実な行動の数々が明るみに出て、ターは世間から見放されていく。そこに追い打ちをかけるように、ターがマックスを表に立たせて行ったジュリアード音楽院での授業の様子がSNSに拡散されるなど、畳み掛けるように「キャンセル」されていくター。シャロンと別れ、愛するペトラにも会えず、幻聴や幻覚がエスカレートしていき、その行動はより狂気をはらみ、狂っていった。
ターは、彼女の代わりにエリオットが指揮者を務めて行われていたマーラーの交響曲第5番の演奏に乱入し、無理やり指揮者の座を奪おうとする。その狂気的な行動がトドメとなり、彼女はベルリンを去る。幼少期に自分が住んでいた家に戻り、過去を振り返った彼女は、かつて憧れ師事を受けていたバーンスタインの映像を見返し、心を少しづつ取り戻していく。そして、アジアでキャリアを再出発することにしたのだ。
冒頭に畳みかけるように説明される栄光の数々から、少しずつ明らかになる芸術家のエゴと傲慢。それが周りの人々を苦しめ、最終的には自分の首を絞めて「キャンセル」されることとなったター。しかし、ラストで指揮棒を再び振るう彼女の目は、以前のような狂気を孕んではいなかった。世間でもしばしば論される「作品とその作者」を切り離すべきか、否か。この作品は、この問いに対してのトッド・フィールド監督が出した結論なのかもしれない。
『TAR/ター』作品情報
■上映日:2023年5月12日(金)
■製作国:アメリカ
■監督:トッド・フィールド
■公式HP:https://gaga.ne.jp/TAR/
(C)2022 FOCUS FEATURES LLC.
※2023年5月19日時点の情報です。