2014年に公開された壮大なSF超大作『インターステラー』。世界的に高い評価を受けて大ヒット作となったものの、相対性理論だの、量子力学だの、特異点だの、物理学に馴染みのない一般ピーポーには難解な内容であったことも事実。
鑑賞して感動はしたけど、細かいディティールはよく分からなかった、という方も多いのでは?
という訳で本稿では、映画『インターステラー』をネタバレ解説! 作品が難解になってしまった理由、隠されたキリスト教的モチーフ、そして映画のテーマを深掘り考察します。
映画『インターステラー』あらすじ
異常気象によって人類滅亡の危機が訪れている近未来。元宇宙飛行士で現在はトウモロコシ農場を営んでいるクーパー(マシュー・マコノヒー)は、NASAの要請に応じてラザロ計画に参加することになる。その計画とは、土星付近に発生したワームホールを通り抜けて、新しい惑星へ人類を移住させるというプロジェクトだった。
クーパーは娘のマーフィー(マッケンジー・フォイ)に「必ず戻ってくる」と言い残し、アメリア博士(アン・ハサウェイ)、ロミリー博士(デヴィッド・ジャーシー)、ドイル博士(ウェス・ベントリー)と共に未知の銀河系に向けて出発する。果たして人類は生き残ることができるのだろうか?
※以下、映画『インターステラー』のネタバレを含みます
なぜ『インターステラー』は難解映画になってしまったのか?
そもそも『インターステラー』の企画は、『コンタクト』などで知られる映画プロデューサーのリンダ・オブストと、物理学者キップ・ソーンの二人によって、大まかなプロットが作られたことに始まる。
この物理学者キップ・ソーンという人物こそ、本作の超重要なキーパーソン。“アインシュタイン最後の宿題”といわれる「重力波」を世界で初めて検出した功績により、2017年にノーベル物理学賞を受賞! プリンストン大で博士号を取得し、現在はカリフォルニア工科大学の名誉教授として教鞭をとる、理論物理学界のスーパースターなのだ。
故スティーヴン・ホーキングの学生時代からの友人でもあり、彼とブラックホールが存在するかどうか賭けをして、負けたホーキングがソーンに男性向け雑誌「ペントハウス」1年分を贈ったというゴキゲンなエピソードは、映画『博士と彼女のセオリー』にも描かれている。
そんな物理学界の大物が『インターステラー』の製作総指揮に名を連ねているだけあって、本作には最新科学の情報がテンコ盛り。
映画の冒頭で本棚から本が勝手に落ちるというポルターガイスト的現象が発生するが、これがノーベル物理学賞受賞に至った「重力波」によるものという設定。マイケル・ケイン演じるブランド教授が黒板に書く複雑怪奇な方程式も、キップ・ソーン自らが書いたものなのだ。
だがどーにもこーにも、その科学的描写が観ているこっち側にサッパリ伝わってこない。その理由は、監督のクリストファー・ノーランにある。もともと『インターステラー』の企画に最初に興味を示したのは、スティーヴン・スピルバーグだった。
しかし、パラマウント映画と契約でモメてしまったため、シナリオを担当したジョナサン・ノーランの実兄クリストファー・ノーランにお鉢が回ってくることになる。
拙稿「クリストファー・ノーラン作品は何故、常に賛否両論が渦巻くのか?」でも指摘させていただきましたが、彼は一枚絵としての完成度は高い作家なのだが、「どこで、誰が、何をしているのか」という状況描写をモンタージュ(編集)として還元できないという弱点がある。
『インターステラー』についても、キップ・ソーンによる綿密な科学考証をストーリーの中で消化しきれていない感があるのだ。
『インターステラー』を一見しただけでは内容を咀嚼しきれないのは、ひとえにノーランの演出(不足)によるもの。皆さんの理解力が足りない訳ではありませんので、ご安心を。
ラザロ計画は本当に成功したのか?
そもそもラザロ計画とは何だったのか?
ここが理解できないと、『インターステラー』がさっぱり分からなくなってしまうので、念のためおさらいしておこう。プロジェクトの最高指揮官であるブランド教授の説明によれば、ラザロ計画にはプランAとプランBの2つがあるという。
【プランA】宇宙ステーションを建設して地球外へ脱出し、他の惑星に移住するプラン。しかし巨大な建造物を打ち上げるには、重力をコントロールするための方程式を見つける必要がある。その方程式はまだ未完成ながら、ブランド教授はクーパーに「君たちが地球に戻るまでには必ず解いてみせる」と約束する。
【プランB】万が一、方程式が解けなかった場合のためのバックアップ・プラン。受精間もない卵子を保管庫に入れて厳重に管理し、移住先の惑星で人口培養する計画。あくまで種の保存のための計画であり、地球に残された人類は助からない。
ところが、プランAには大きな大きな問題があった。重力の問題を解き明かすためには、ブラックホールの内側(特異点)を観測する必要があるが、外側(事象の地平線)からは絶対に観測できない。かといって内側に入ってしまうと、ブラックホールから脱出不能になってしまう。ブランド教授は方程式は絶対に解けないことを知りつつ、それを隠していたのだ。
[ブラックホールの想像図(Ute Kraus、2004年)]
『インターステラー』を観ていて釈然としないのは、でもナンダカンダでクーパーがブラックホールの内側(特異点)に突入し、重力に関するデータをたっぷり採取して、無事生きて帰れてしまうところだろう。このあたりの説明が全くない(あったとしても分かりにくい)のがノーラン演出。
ここまでくれば、「重力に関する莫大な情報をモールス信号だけで本当に送れるのかよ! 一体何年かかるっちゅーねん!」とツッコミを入れるのはヤボというものだ。
かくして父親からのメッセージを娘のマーフィーが解読し、重力の謎は「ユリイカ!」の絶叫と共に解き明かされる。宇宙ステーションも無事打ち上がって、人類は救済された。めでたしめでたし。…あれ、でもちょっと待てよ? そもそもラザロ計画って、別の惑星に移住することじゃなかったっけ?
そう! なんだかハッピーエンド風で終わっているので見過ごしがちだが、宇宙ステーションが打ち上がっただけで、ラザロ計画の目的はまだ半分しか達成されていないのだ。鑑賞後、妙にモヤモヤ感が残るのはそのため。だがそれは、映画のテーマとして必要不可欠なものだったのだ、と筆者は推察する。それについては後述しよう。
クーパーは人類を救済する“神”だった?
ブランド教授がラザロ計画の話をすると、クーパーが「不吉な名前だ」と呟くシーンがある。そもそもラザロとは聖書に登場するユダヤ人のこと。彼が葬られた後にキリストが奇跡を起こして蘇生させた有名なエピソードがあり、これを一般的に「ラザロの蘇生」という。
[ラザロの蘇生(フアン・デ・フランデス、1514〜1519年頃)]
クーパーは一度ラザロが死んでいることから「人類が生き残れない」と解釈したのだが、ブランドは「彼は生き返ったじゃないか」と反論する。深読みすれば、このブランド教授の発言は「プランB(卵子を厳重に管理し、移住先の惑星で人口培養する計画)」のことを予見したものといえるかもしれない。
ラザロをはじめとして、実は『インターステラー』にはキリスト教的なモチーフが隠されている。そもそもラザロ計画は、マン博士(マット・デイモン)率いる勇敢な12人の乗組員たちが、命を賭けて惑星探査に向かうことからスタートしている。
人類を救済するために立ち上がった12人の殉教者…、これはどうしたってイエス・キリストの12人の使徒たちを連想してしまう。
しかも、生き残った3人の乗組員の元に向かう主人公クーパーの名前はジョゼフ。ジョセフ(ヨセフ)とは新約聖書におけるマリアの夫であり、イエス・キリストの父でもある。実際、人工冬眠から目覚めたマン博士は、助け出されたことに感謝の念を込めて「君たちが神に見えたよ」というセリフまで吐いているのだ!
誰よりも有能で、誰よりも任務の遂行に情熱を抱いていたはずのマン博士は、自分の降り立った惑星が移住不可能であったことを認識していたが、ただ孤独に死を待つことに耐えられず、地球に信号を送って救助を待つという行動に出る。
一見すると単なるヒール役にしか見えないが、精神的に脆くてか弱い彼は、ある意味で最も人間らしいキャラクターともいえる。まさにマン(MAN)=我々人類そのものではないか。
「愛こそが全て」なエモーショナル展開からラストへ
クリストファー・ノーランは、『インターステラー』の製作にあたって最も意識した映画が『2001年宇宙の旅』であると告白している。
だが筆者の私見では、『2001年宇宙の旅』と『インターステラー』では映画としての手触りが全く違う。『2001年宇宙の旅』が理路整然とした二進数的な作品とするなら、『インターステラー』は一見クールだがその奥に激しいエモーションがほとばしっている。
そのエモさを最も象徴するのが中盤の「マン博士の惑星とエドマンズ博士の惑星、どちらに行くべきか」を激論するシーンだろう。
クーパーは生存信号を送っているマン博士の惑星に行くことを推すが、アメリアはエドマンズ博士の惑星を優先すべきだと主張。クーパーはエドマンズがアメリアの恋人であったことを見抜き、判断に私情を挟んでいると非難する。アメリアはその指摘を認めた上で、こんなセリフを語る。
「ええ…。正直な気持ちに従いたいの。私たちは理論に縛られすぎていた。聞いて。だって愛は人間が発明したものじゃない。愛は観察可能な力よ。何か意味がある。(中略)愛には特別な意味がある。私たちはまだ理解していないだけ。これは手がかりなのかも。(中略)10年も会ってない人に銀河を超え引き寄せられている。おそらくもう死んでいる人に。愛は私たちにも感知できる。時間も空間も超えるの。愛が未知の力でも信じていいと思う」
『インターステラー』のテーマはこのセリフに全て込められている、といっても過言ではないだろう。ALL YOU NEED IS LOVE、愛こそが全て。そう考えると、宇宙ステーションを打ち上げてオシマイ、というオチも納得がいく。
ラストシーンでアメリアが宇宙服のヘルメットを脱いでいたことでも明らかなように、エドマンズ博士の星こそ移住可能な新しいフロンティアだったことを意味する。愛の力が人類最後の希望を引き寄せ、愛の力によってラザロ計画が達成されることが、高らかに謳いあげられているのだ。
クリストファー・ノーランは一見ロジック・モンスターのように見えて、実はエモーション重視のアツい男。ハードSFにもかかわらず、ファミリー映画として成立させているのが『インターステラー』の偉大なトコロなのである。
『2001年宇宙の旅』とは一線を画すエモSF映画として、本作もまた長く愛され続けることだろう。
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