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Column

2024.02.28 18:00

【ネタバレなし解説】「三体」入門:“再現性”が崩壊する世界で科学者たちは何を見るか?

  • Joshua

世界で爆発的なヒットを記録した劉慈欣によるSF小説「三体」(早川書房)。SF界のノーベル賞と呼ばれるヒューゴー賞(長編部門)をアジア圏作品として初めて受賞し、その累計発行部数は2,900万部に上る。「世界で最も売れたSF小説の1つ」と呼んでも過言ではないだろう。かくいう筆者も原作小説の大ファンの1人で、翻訳版が発売されたその日は直ちに徹夜が確約されてしまうくらいには夢中になって読んだ。本当に尋常じゃないレベルで面白いのだ。

原作を読んだことのない人にこの面白さをどうにかして伝えたいとき、私はこんな喩え話をよくする。人類の行く末を、現代のテクノロジーが行き着く先を見たいと思ったことはないだろうか?仮にここに、人類が2024年以降に経験する出来事が記載された未来日記があるとする。その日記には10年後、100年後の人類が開発する新たなテクノロジーや、襲来する厄災について、全てが詳細に書かれているわけだ。たかだか80年程度の人間の一生は、文明の発展の時間スケールに比べればとても短い。そのため、文明の進化を包括的に観察することが叶うのは、実質歴史書を読んで過去を翻る瞬間に限られる。ところがこの未来日記を読めば、人類が今後辿る未来を余すことなく知ることができる。そんな日記があったとしたら、それはもう貪りつくかのように読むに決まっているだろう。「三体」を読む体験は、そのような感覚に似ていると思っている。

「三体」が必ずしも“現実的”な未来を提案しているとは思ってはいないが、一度この世界観に浸り始めると、「三体」が築き上げる世界は貴方の世界と緩やかに接続し、文章上で勃発する少々突飛な出来事も、その珍奇さが返って現実味に説得力を与えてくれるかのような倒錯した感覚に、自身が陥っていることに気がつくだろうと思う。「三体」は奇妙で予想外な未来を描き上げるのだが、それだけに魅力的で好奇心を刺激する未来なのである。

劉慈欣(リウ・ツーシン)「三体」©早川書房

さて、そんな最高のSF小説である「三体」シリーズだが、中国の配信プラットフォーム“テンセントビデオ”によって2023年1月からついに実写ドラマ版の配信が開始された。日本ではWOWOWによって2023年10月から順次放送され、現在は全30話がWOWOWオンデマンドで配信中だ。映像媒体を持たない小説の実写化というのは(クオリティが担保されている限り)心躍るものである。実際「三体」シリーズの主要登場人物である楊冬(ヤン・ドン)、汪淼(ワン・ミャオ)、葉文潔(イエ・ウェンジエ)の3人は、それこそ小説から飛び出してきたかのように完璧で、これだけでも「三体」をドラマ化したことに意義を与えるものだと強く言いたい。

さらには、ドラマ『三体』が醸す独特な不穏な雰囲気、全編中国語というリアリティ(個人的にはこの部分はとても大きい。多くのハリウッド作品は、例えばドイツが舞台の作品にも関わらず会話の出だしで少しばかりのドイツ語を話したと思ったら、いつの間にかドイツ語訛りの英語に切り替わっている、なんてことがよくある。こうした便宜的なウソがあまりに散見されるがゆえに、観客として慣れてしまっていることに気がつく良い機会を、『三体』は提供してくれた)、汪淼が陥る狂気を我々観客に鮮明に擬似体験させてくれる点など、製作者の手腕が「三体」という原作小説が本来持つ魅力をさらに加速させていることに、私は疑いを持たない。

ただもう一つ、「三体」を実写化したことの大きな意義があると思う。それは、これが紛れもないハードSFの実写化である、という点。SFと言った際に思い浮かべるSF作品は人によって異なるかもしれないが、特にハードSFというのは、物語の根本に科学的考証ないし科学的アイディアが深く関わっているSF作品のことを指す。これまで多数のSF作品が映画やドラマとして実写化されてきたが、その多くはソフトSFとでも呼ぶべき、あくまで副軸に科学が据えられているだけの作品だったと言っても決して過言ではないだろう。

スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』に、クリストファー・ノーランの『インターステラー』と、ハードSFジャンルに分類されるSF作品が作られてきたのは事実ではあるが、残念ながらそうした作品は未だに多くない。だが、「三体」シリーズという科学的考証が頑強なハードSF作品が、30話に達する巨大な物語形式に実写化されたというのは、SF界における極めて大きな一歩であると私は感じざるをえない。やっとここまできた、というのが率直な想いである。

日本でも石川慶がSF作家ケン・リュウの短編小説『円弧(アーク)』を映画化するなど、SF映画の新展開が徐々に始まっている。素晴らしいSF作品が作られるたびに、「これはもはやSFではない」などという見当違いの広告文が付される映画宣伝にはそろそろお別れを告げようではないか。

さて、ドラマ『三体』を鑑賞したまではいいものの、X(Twitter)などで調べてみる限り、まだまだ観ていない人も多いようである。また3月21日(木)には、『ゲーム・オブ・スローンズ』を生んだデヴィッド・ベニオフとD・B・ワイスの製作総指揮によるNetflixシリーズ『三体』の配信も控えている。

今回はネタバレは殆どせずに、あらすじ的な視点からドラマ『三体』の魅力を解きほぐすことで、「三体」シリーズの醍醐味を伝えていきたいと思う。ただし2話「射撃主と農場主」までの内容についてまでは触れるものとし、「三体」がファーストコンタクト系SFであるくらいのところは予め言及させて欲しい。事前に2話までのあらましを知ったところで、「三体」の魅力は微塵も失われないことは保証しよう。

再現性と物理学

『三体』が舞台とするのは、北京オリンピック開催間際の2007年の中国。ナノテクノロジーの研究者である汪淼を、停職中の刑事・史強(シー・チアン)が突然訪ねてくる。史強は汪淼に学術組織〈科学境界〉との接触が過去にあったことを尋ねるが、史強の横柄な態度に、汪淼は返答を拒む。だが、史強と帯同していた軍人らから丁重に同行を依頼された汪淼は、渋々了承し、彼らに連れられて、ある会議に出席させられる。その会議には多国の軍人や著名な学者達が出席しており、昨今各国が受けている“攻撃”について議論を交わしていた。作戦司令センター陸軍少将の常偉思(チャン・ウェイスー)によると、その“攻撃”とは「科学者の大量自殺」であるという。中国の宇宙論研究者である楊冬が遺したメモには、「これまでも、これからも、物理学は存在しない」と書かれていた。そして楊冬だけでなく自殺した他の科学者も、その死の直前に〈科学境界〉と接触があったことが告げられる。過去に〈科学境界〉と接触があった汪淼に、警察側は〈科学境界〉と再度接触を図り、内部状況の調査を依頼する。紆余曲折の後、汪淼が〈科学境界〉と連絡を取り合う中で、様々な異常現象が彼を襲う──。

ドラマ 『三体』の冒頭はこんなところだろう。2話では、楊冬が遺した「物理学は存在しない」というメモについて、物理学が土台にする“再現性”という事象が持つ性質について、楊冬の恋人である丁儀(彼もまた物理学者である)が議論する場面と、〈科学境界〉が開いたセミナーの中で、「射撃主と農場主の仮説」という今作を象徴する例え話が登場する場面がある。ドラマ冒頭におけるこの2つの場面は、『三体』が持つ魅力の出発点を凝縮したような場面であり、ここについて言及することは、『三体』が創る“センスオブワンダー”の世界の入り口に案内することに等しいと言えるだろう。

まず、「射撃主と農場主の仮説」とは何か。これは「射撃手の仮説」と「農場主の仮説」という独立した2つの仮説を指しているが、言わんとしていることは一緒である。「射撃手の仮説」とは、卓抜した腕を持つ射撃手が10センチ間隔で的に一つずつ穴を空けるとする。この的の表面には、三次元には干渉することが出来ない二次元生物が住んでおり、その二次元生物のある科学者は、“宇宙は十センチごとにかならず穴が空いている”という法則を、宇宙の不変の法則だと“発見”する。勿論そんなことはなく、それらの穴の存在は射撃主の気まぐれに過ぎない産物だったというわけである。

「農場主の仮説」は次の通りだ。ある農場では、農場主が毎朝11時に七面鳥に給餌する。七面鳥のうち、知性のある一羽は、「明日の11時も、その次の日も11時に我々に食事が与えられる」という予言を打ち立てる。七面鳥の予言は当たり、「毎朝11時に食べ物が出現する」という不変の法則が認められることとなる。しかしある日の朝11時、食べ物は与えられなかった。農場主は七面鳥の首を切り始めたのである。その日は感謝祭だった。

物理学に代表される科学一般は、物事がもつ「再現性」という性質を前提にした理論により構成されている。『三体』では、丁儀がビリヤードを用いてそれを鮮明に説明していたが、要はなんでも良い。手に持った野球ボールを投げれば放物線軌道を描くし、熱々の紅茶を淹れても、テーブルに放置してしまえばみるみるうちに冷めていくだろう。こうした事象は気まぐれに起こるわけではない──少なくとも我々人類はそう信じている。有史以来人類が経験してきた中で、こうした事象はどの瞬間も、何処であっても条件が等しい限り、同じ現象を再現する。

野球ボールが突然ひとりでに大気圏に突入していくことはないし、何もしていないのにテーブルに置いた紅茶が沸騰し始めることはないだろう。こうしたことが「過去」に一度たりとも起こったことがないから、我々は現在から始まる「未来」の全ての瞬間において、現象の再現性が担保されるものだと仮定するわけだ。これはあくまで仮定であり、この仮定を証明することは、理論の枠組みの中では決してできない。物理学者とは、我々の世界に一定の規則があることに感銘を受け、そうした規則を作り上げる宇宙の根源とは何かを考えることを生き甲斐にしている存在なのである。

我々自身が先の仮説における二次元生物、もしくは七面鳥なのかを確認する方法は、あるにはある。それは、我々より宇宙の法則に精通した生命体との邂逅によって成される。しかし、そうした高次の生命体が存在することは、我々人類にとって絶望的なニュースともなりえる。人類が持つ多くの宗教は、人類を宇宙の中核に据えた人類中心主義的思想を基盤としている。我々よりも洗練された生命体との邂逅を果たしたとき、我々は種としてのアイデンティティの瓦解を経験するだろう。太陽が地球を中心にして周っていなかったように、宇宙は最初から人類に興味などなかったのである。

三体問題

ところでこの物語には「三体」という表題が与えられているが、これは物理学における有名な「三体問題」から来ている。物語が進んでいく中で三体問題について言及がなされるが、先回りして物理学における三体問題の話をしておこう。当然物語にどう絡んでくるかまでは観てのお楽しみというわけで、そこまでは踏み込まないため安心して欲しい。

「三体問題」と言われれば予想がつくように、「二体問題」というのも存在する。二体問題というのは、17世紀頃に物理学者や天文学者たちが真面目に考え出した問題であり、「互いに相互作用を及ぼす2つの物質の運動を解析する問題」と言い換えられる。身近な例で言うと、地球と月の運動を分析するだとか、我々の世界を構成する原子核と電子の運動を解析するだとか、そういった2つの物体が登場する状況についての物理学を考えるとき、物理学者たちは「二体問題を解く」などと言う。

現代ではこういった「二体問題」は、高校の物理学で扱うことになっている。二体問題を真面目に解こうとすると、特にニュートンの時代の物理学をよく理解している必要があるため、理科系の大学の入試には頻繁に登場する(例えば下図を見てほしい)。言い換えれば、現代では高校生程度が解けるくらいには易しい問題にすぎないということでもある。

2018年に出題された東京大学の入試問題。小球と台の二物体が登場する紛れもない「二体問題」である

そこで登場する物体を1つ増やした「三体問題」を考えてみる。太陽、地球、月の三体系の運動を考えるのが、最も身近な例かもしれない。ただ、扱う対象が1つ増えただけだといって、「三体問題」を安易に大学入試に出題したら、それこそ大問題になるだろう。三体問題は極めて特殊な例を除いて、普通は解くことができないことが、19世紀に示されている。真面目に取り扱おうとすると、カオス力学という現象の複雑性を扱う特殊な物理学に突入することになるため、高校生はおろか、現代の物理学者・数学者によって盛んに研究されているテーマの一つなのである。

しかし、三体問題がそこまで難しいというのならば、我々の太陽系において天文学というのは上手く機能しないのではないか、と思われるかもしれない。部分的にはそうなのだが、我々の太陽系は太陽を中心に据えた「多体問題」になるわけとはいえ、太陽の質量が他の惑星と比べて極めて重いために、多くの相互作用を無視することが可能である。さらに現代では、計算することができない問題についても、シミュレーションを実行して解を出すというアプローチもあり、惑星の運行の推定は極めて高い精度で行うことができるのである。恒星である太陽が1つだけという状況は、その生活圏に静穏を与えることと同義なのである。

既に「三体」の物語に慣れ親しんでいる人は、私が言外に何をにおわせようとしているかが分かって「はいはい、アレのことね」とニヤニヤしているかもしれないが、これ以上はネタバレになってしまうだろうから、ここらで止めておこう。「三体」に出会う前から私は「三体問題」について単に知識として知っていたが、これが物語の中で意味を持った形で回収されたときの気持ち良さには、言いようがないものがあった。それこそが、ハードSFの醍醐味の一つである。ここまで読んでこられた皆様には、その準備が実は整っているわけだが。

人類が築き上げてきた物理学の歴史とは謂わば、自然に対する統一的な理解を獲得していく流れの中で、神の存在の論理的必然性をより根源的なものだけに追いやっていくという、解釈の“更新”の繰り返しである。

地球を宇宙の中心に据えたアリストテレス体系からコペルニクスによる地動説への転換は、地上からの神の追放を意味した。本来、神の存在証明を自然現象に求める行為から出発した物理学は、学者たちの観察技術が頭上に広がる宇宙から原子レベルのミクロな現象まで包括するほどに発展していく中で、いつしか神の不在を証明していく結果を次々と出すようになったのである。神を外へ外へと排斥していく物理学を見て、物理学こそが神なのではないかと考える傲慢な物理学者も現代では数多くいるだろう。それだけ物理学者たちが物理学、ひいては科学を根底から信じることができているのは、少なくとも有史以来この瞬間に至るまで現象の「再現性」が確認されているからだ。

しかし、その「再現性」がある日、消えて無くなったら?何度同じ条件で実験しても、毎回違う結果が出たら?「再現性」の崩壊は、物理学の瓦解を意味する。人類が築き上げてきた物理学は、神にも打ち勝ってきた。それら全てが、実は勘違いの歴史だったとしたら?貴方が科学者だったとしたら、絶望が眼前を覆い尽くすことだろう。さあ、ここからが「三体」の世界の始まりである。

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『三体』(英題:Three-Body)

2007年、北京オリンピック開催間近の中国。ナノ素材(マテリアル)の研究者・汪淼(ワン・ミャオ)は、突然訪ねてきた警官・史強(シー・チアン)によって正体不明の秘密会議に招集される。そこで世界各地で相次ぐ科学者の自殺、そして知り合いの女性物理学者の死を知らされた汪淼。一連の自殺の陰に潜む学術組織“科学境界(フロンティア)”への潜入を依頼された彼は、科学境界の“主”を探るべく、史強とともに異星が舞台のVRゲーム「三体」の世界に入るが、そこにはある秘密が……。

監督:ヤン・レイ
脚本:ティエン・リャンリャン、チェン・チェン
キャスト:チャン・ルーイー、ユー・ホーウェイ、チェン・ジン、ワン・ズーウェン、リン・ヨンジエン、リー・シャオラン 他

2023年10月7日(土)WOWOWにて日本独占放送・配信スタート
© TENCENT TECHNOLOGY BEIJING CO., LTD.

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