◆前期プロトタイプ◆サクッとおさらいの時間です。
スーパーファミコン(以下SFC)の試作機といえるものは少なくとも3種類が確認されています。まず世の中にその姿が初披露されたのは1988年11月21日。任天堂本社で開催されたSFC発表会の舞台でした。
(出典:ファミコン必読本12月16日号より) ブツを誇らしげにかかげているのは開発担当者の上村さんです。
実はこのときの試作機は我々が知っているSFCとはかけはなれた代物でした。これだ。
(出典:ファミリーコンピュータマガジン1988年12月16号) どちらかというとNEWファミコンを思わせるデザインです。便宜上、これを前期プロトタイプと呼びましょう。
余談になりますが、この頃、任天堂はSFCでファミコンを遊べる周辺機器「ファミコンアダプタ」なるものを考えていました。こちら↓。これがのちのNEWファミコンへとつながるのですが、それはまた別のお話。。。
(出典:ファミリーコンピュータマガジン1988年12月16号) ファミマガ誌面には前期プロトタイプの詳しい図解も載っていました。
(出典:ファミリーコンピュータマガジン1988年12月16号) このときSFCは1989年7月頃の発売とアナウンスされています。
しかし皆さんご存知のとおりSFCが実際に発売されたのは1990年11月21日なので、もしこの宣言通りに発売されていれば現実よりも1年以上早かったことになります。
◆後期プロトタイプA◆その後、SFCの試作機が表舞台に現れたのは1989年7月28日。第2回SFC発表会においてでした。このとき披露されたのがこちらの本体となります。
(出典:ファミコン通信1989年9月1日号)
ここで試作機は実際に発売されたSFCとほぼ変わらないデザインとなりました。これを後期プロトタイプAと呼びましょう。
ただしこの舞台で任天堂は「今後1年間、発売はない」という衝撃的なアナウンスをします。これには時代背景があって、任天堂の行動には少なからず1988年10月29日に先行して発売されていたメガドライブの存在が影響していたと見られています。当時から任天堂は、消費者の関心がメガドライブへにうつってしまわないように1回目の発表をわざと早めたのではないかと噂されていました。
この発表会では、任天堂は発売延期のりゆうを「世界的な半導体不足」としていましたが(それはそれで本当だったかもしれませんが)、最初から1989年に発売する気などなかったのかもしれません。
◆後期プロトタイプB◆そして次に姿を表したのが1990年に入ってからです。SFCはファミマガの特別付録「スーパーファミコンMagazin」において1年前とは少し違った姿を披露しました。これだ。
(出典:ファミリーコンピュータマガジン1990年7月20日号)
こちらを後期プロトタイプBと呼びましょう。前面の端子の部分や背面のデザインがさらに実際のSFCに近づいてきました。ただし電源スイッチやコントローラの4つボタンは赤いままです。この頃になるとファミコンアダプタの話は露と消えていました。
(出典:ファミリーコンピュータマガジン1990年7月20日号)
こちらにも詳しい図解が載っています。
そしてSFCはその後、無事に1990年11月21日に発売されました。それは一番最初の発表会から1日のズレもないきっちり2年後でした。この点にかんしては計算だったのか偶然なのかよくわかりません。笑。
◆ヤフオクの出品物は!?◆さて、それから30年以上の歳月が経過した2024年5月5日。ヤフオクに突如としてスーパーファミコンの試作機なるブツが登場。オークション締め切り前にもかかわらずYahooニュースで大拡散されてしまいウォッチリストがカンストするなど異常事態へ発展。何が目的だったのか騒ぎを聞きつけた心無い人間たちによってイタズラ入札が繰り返された結果、10億円を突破したところで(一瞬ですが30億を超えました)出品自体がキャンセルとなってしまいました。(
※参照記事)
誰がこの悲しい顛末を望んだのでしょうか。しかしレトロゲームを愛するものとして純粋に気になるのは「これがどのタイプだったのか」ということです。さっそく前面の端子の形状を見てみると、これが後期プロトタイプAとそっくりなのがわかりますね。
(
出典:Yahoo!オークション )
ゲームソフトの開発には時間がかかるもの。おそらく任天堂は2回目の発表会の時期から各メーカーへこの本体を配っていたのでしょう。そういった意味ではこれは試作機というよりもメーカーへの貸出機といえるかもしれません。(本物だったとしたら)
ということで、さいごに年表にまとめてみました。
このような流れになります。現場からは以上です。
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