日本が世界に誇るまつもとゆきひろ氏の大きな穴

まつもとゆきひろは、コンピュータの設計・構造の分野において世界的に名の知れた数少ない日本人のひとりとして、4004の嶋正利やLHAの吉崎栄泰、TRONの坂村健らとともに名を馳せている。

そういう凄い人が、実はWindowsのことをあまりよく知らないという事実は、もっと知られていいと思います。

先日、友人が遊びに来たときに紙の上に数字を並べて遊んだのが好評だったのだが、 目で判別するのが面倒だったので、Rubyスクリプトを作る。

ついでに1から10までの任意の桁数で遊べるように。 30分ほどで完成。60行。 すると、息子が「ぼくもそれ使いたい」と言う。 が、WindowsでRubyスクリプトをワンクリックで起動する方法が分からず。 というか、Cygwinターミナル以外からWindowsでRuby動かしたことってないよな。 結局、そこでつまずいてしまった。

Windowsは難しすぎて使えない。

うちの妻のマシン(OSS貢献者賞でもらった日立のPrius)は、 ネットワークが接続しているのに、「サーバーが見当たりません」というエラーをしばしば出す。 どうやら、DNSがおかしいように思うのだが、ネットワークの仕組みはわかっていても、 Windows XPの仕組みがわからないので直しようがない。 ネットワークの「修復」を行うと再接続をして、一時的には状況は改善するのだが、 すぐに再発してしまう。

パソコンのことでヘルプを頼まれて、何やら難しいことをブツブツつぶやきならがゴソゴソやっているけど、最終的に投げ出してしまっている様子が目に浮かびます。家族の方からは、「肝心な時に使えねえオヤジだなあ。これのどこが『世界的プログラマ』なんだ」などと密かに思われているかもしれません。

もちろん、これは、どう見ても能力不足ではありません。どう考えても、まつもとさんはWindowsについても「やればできる子」です。まつもとさんがWindowsのことをよくご存知ないのは、意識的な選択の結果でしょう。というか、プログラマが「Windowsのことはわかりません」「Windowsは触れません」で通してこれたのは、そんなわがままを通して仕事を選べるだけの素晴しい技能があったからです。

でも、まつもとさんのコンピュータに関する知識、技能には、世界レベルで通用する部分と、ちょっと気のきいたパソコンマニアにも劣る部分が混在しているということは事実です。

凄い人にはデコボコがあるということの、わかりやすい事例だと思います。

できれば、(ご家族の方にはご不便をおかけしますが)いつまでも「口ばっかりでパソコンのことでは頼れないオヤジ」でいてほしいものです。*1

なお、まつもとさんがWindowsを知らなくても、Ruby言語はWindowsで使えます。Rubyの言語処理系のWindows版は、Windowsでのプログラミングに関する高度なノウハウを駆使して開発されたものですが、まつもとさんではなく、他の人が開発しています。また、Ruby言語からWindows特有の機能を使う仕組みも、多くの人がさまざまな工夫をしていて、Windowsにおいても、Rubyは最も使いやすいプログラミング言語の一つです。

そこには、Windowsを熟知した多くのプログラマの工夫がつぎこまれているのですが、その基本となっているのが、まつもとさんの設計したRuby言語の基本デザインです。本当に優れたデザインは、設計者の知る範囲の外においても、見事に応用できるということの典型的な事例でもあります。

さらに言えば、RubyのWindows版が実用化していく時期に、まつもとさんは、そこには一切タッチせず、言語の基本機能の細かいブラッシュアップに専念していました。

現在、その成果がRuby on Railsという形で花開いていますが、もし、まつもとさんが、その時期に自らWindows版の開発にエネルギーを注いでいたらどうなっていたでしょうか。

おそらく、言語の基本機能の完成レベルが劣っているために、Ruby on Railsは今のようには使いやすいソフトウエアにはなってなかったと思います。Ruby on Railsは、Ruby言語の基本機能をアクロバット的に酷使している面があって、それが可能なレベルの完成度にする為には、まつもとさんが、そこだけに専念する必要があったと思うからです。

このエントリのタイトルは、「日本が世界に誇るまつもとゆきひろ氏の大きな穴」ですが、誇るべきなのは「まつもとゆきひろ氏」ではなくて「穴」の方だと思います。「日本が世界に誇る」という形容詞は、「まつもとゆきひろ氏」でなく「穴」にかかるものとして読んでください。まつもとさんが、自分の得意分野に専念し、他の所を人にまかせたから、完成された言語と、安定して動作するWindows版の処理系と、Webの分野での応用例という、三つの素晴しい成果を我々は手にしたのです。もし、まつもとさんが自分の「穴」を自分で埋める決断をしていたら、その三つとも得られなかったでしょう。

誰もが最高級品を使える経済の中では、個人としても社会全体としても、デコボコを大事にし穴を意図的に保持するという決断が必要なのだと思います。凄い人にデコボコや穴があるというのは、けっこう普遍的な法則だと思いますが、これだけ一般の人にもわかりやすい事例は珍しいので、もっと強調されてもいいような気がします。

*1:2006年8月の日記には、実家でパソコンの設定をやり終えた記述があって、もうそこそこ覚えてしまったのかもしれませんが