「みんな力 - ウェブを味方にする技術」書評

みんな力―ウェブを味方にする技術
みんな力―ウェブを味方にする技術

この本は、簡単に言えば「炎上しないように企業がネットでモノを売るにはどうしたらいいか」という本である。

ただそれだけの本なのだが、ただそれだけのことをきちんと書くのはけっこう深い思索が必要である。単に、表面的な情報や浅薄なノウハウをかき集めている本なんか見てたら、それこそまっさきに炎上する。筋が通った本を読むべきである。


メディア論の学者、マーシャル・マクルーハンの有名な言葉に「テクノロジーやメディアは人間の身体の拡張である」というものがある。彼は、自転車は人間の足が拡張したもの、ラジオは耳が拡張したものである、と述べている。しかし、私は正確には、マスメディアは人間の拡張ではない、と思う。


マスメディアは「制度」を作り出し、情報における「上と下」を生む装置だ。情報を入手し、それをどう「ばらまく」か、を主機能とするシステムだ。それは「上」からの大量な情報の流布であり、個人にとっての身体の拡張とはいえないのではないかと考える。個人の「知りたい」という欲求の方向性に応えていないからだ。つまり、ある製品について個人がもっと情報が欲しいと思っていても、開示されている情報は限られているし、それが自分の欲しい情報であるとは限らない。企業の作った価値観の枠内での満足を最大の満足としなくてはならない世界なのである。


しかし、インターネットはさに、マクルーハンの言うように、「身体の拡張」を実現してくれたメディアであり、テクノロジーである。(中略)


そこには「送り手」と「受け手」という構造上の区別はなく、「コミュニケーションする人=コミュニケーター」のみが存在する。もちろん、発言する人、書き込みする人は全員ではないが、意思がある人はコミュニケーションできるというフラットな世界である。マスメディアだから情報を流せる、ホームページを作る能力があるから意見を言えるといった従来の情報社会における力の有無から解放され、望めばだれでもコミュニケーションできるという世界が広がったのである。

(P24)


社会心理学者エーリッヒ・フロムは、著書「生きるということ」のなかで、生きることの根源的な意味を問うている。原題である「To Have or to Be」そのままに、「所有する(have)ことに意味があるのか、それとも、どうある(be)のかということに意味があるのか」とフロムは問う。(中略)


今度は、ビジネスのあり方そのものが「to have」ではなくなってきたのではないだろうか。いかに顧客を抱えこむか、いかに情報を集めて自社で独占するかといった「to have」の様式が、時代に合わなくなりつつあるのではないか。


すべてをシェアすること。オープンにしていくこと。そのなかで、その企業の独自のあり方(to be)を打ち立てて、消費者、社会と相互作用していくこと。それがこれからの企業の使命ではないだろうか。

(P217)

かってフランスの思想家ジャン・ボードリヤールが「消費社会の神話と構造」のなかで、次のようなことを述べている(中略)


「富は財の中に生じるのではなくて、人びとの具体的交換の中に生じる。したがって富は無限に存在することになる」


くしくも、ITの進展により、未開の社会と同じように「社会関係の透明性と相互扶助」が成り立つ社会が生まれた。そのなかでの「富」はボードリヤールの言うように、所有ではなく、ネットワークでつながり交換しあい助け合うことであろう。


未開の人たちが、何も持ってなくても貧困ではなかったのは、自分が所有しなくても社会には豊かさがあり、その豊かさを独占することなくみんなが享受できたためだ。

(P219)

ね。

深いでしょ。

特に、マクルーハンを援用しての「われわれの身体の延長になっているメディアは何か?」という問題設定は見事だと思う。

「Web2.0」の定義として、オライリーのよりよくできているかもしれない。

マスメディアがネットに進出できずに滅んでいく理由としても、ひとことで言うならこれしかないだろう。

これ以外にも、たくさんビッグネームからの引用があるが、それがパッチワークでなく一本筋が通った著者自身の思索とうまくからみあっている。

そして、こういう大ネタだけでなく小ネタもたくさん散りばめられている。

  • 「社内の人事異動は、最近では2ちゃんねるで一番先に知りますよ」(ある大企業の人)(P32)
  • カナダのハミルトン警察は、殺人事件の防犯ビデオ画像をYouTubeにアップした。その後、犯人は自ら出頭(P61)
  • 年賀カードをネットで送るサービスを利用しようとした所、アドセンスの広告に「新井葬儀店」の広告が!(おそらく著者の名前とマッチした)(P102)

マーケッティングの本だけに事例もたくさんあって、特に「時をかける少女」がブログのクチコミベースでヒットした件は、いろいろな角度から分析されている。

これだけの内容をコンパクトにわかりやすくまとめるのは至難の技だと思うが、それができている本である。

「炎上しないように企業がネットでモノを売るにはどうしたらいいか」ということを、本気で真面目に考えたら、それは思想書になるしかない、それを示しながら、同時に実用書にもなっている。

これはおすすめです。