金融のロジックと庶民(有権者)のロジック
リーマンショック以降の金融の現場で起こっているひとつの特徴的現象は「金融のロジック」が「庶民(有権者)のロジック」に取って代わられていると言うことではないだろうか?言葉を変えれば、これまで独善的ともいえる金融ロジックによってレバレッジを掛けたり金融商品を作ったりしてきた行動様式からいわゆる「常識」の世界へと大きく逆流してきていると言うことだろうと思う。それにとどまらず、ある意味当然だが、人々は金融のことなど考えずに自分たちの利益のために発言し行動し、選挙で投票をするという力を持つことが再認識されたと言うことだ。
これは二つの点で極めて重要である。ひとつは庶民の「常識」とは「借金」がよくないということであり、常識回帰はレバレッジ減少に結びつく。このことは金融業の大きなダウンサイジングにつながる。二つ目は庶民のロジックによる行動がときに金融界から見た予測可能性を著しく損なうことが多くなることだ。これは市場の不確実性の増大すなわちリスクやボラティリティーの増大につながっている。
民衆主導型の金融市場の不確実性。こうしたリスクは意外に過小評価されているのではないかと思う。
最近あちこちで見られるさまざまな規制への試みは、よく物事を知っている人々が良く練った上で試みようとするならいいのだが、しばしば「庶民のロジック」で行われるから、意外に厳しい市場からの反応をうけてしまう。そしてそれが全体に金融資産の市場価格を押し下げ景気にマイナスの影響すら与えることもある。庶民のロジックを使うことがそこまで覚悟してのことであればかまわないのだけれど、大体そういう覚悟だけはできていないからさらに犯人探しやら的外れのバッシングが始まりますますセンチメントを悪化させてしまうのである。
その極端な例が昨日ドイツで実行された「空売り規制」である。即日実施でドイツの主要金融機関の株の空売り禁止をはじめ欧州の国債で上場しているものの空売り禁止、ドイツの証券会社が顧客からの売り注文を受ける際に適法性確認(実際に顧客がモノを確保しているかどうか宣誓でもさせるのでしょうか?)させるとか言う話もあって、要するに流動性が落ちる可能性がある。物が動かなくなったら、損失処理も遅れるから景気回復も遅れる。空売りして市場を落とすのはけしからんということなのだろうが、そもそもギリシャだのなんだのっていう今ほとんど流動性のない証券でしかも公的機関が買い支えようとしているものの裸のショートは結構度胸がいると思うんで、本当に意味があるのかなぁとか思ってしまう。かえってこういう規制が突然出てくることが「不確実性」という評価において海外投資家が手を引く原因を作ってしまうのである。すでに周辺国国債市場ではフェイルの連鎖が起きているという話もあり、そのファンディングコストがかなり大きくなっているから、これを機に買戻しを誘発したかったのかといううがった見方もあるが、いずれにしても市場の動きを止めてしまったため、結果的に売れるもの(通貨としてのユーロ)に売りが集中すると言う皮肉。
一連の動きのなかで、ユーロ安はドイツを中心とする欧州が競争政策としてかなり意図的に誘導しているという見方もあるが、それはまったくないとはいえないけれどコントロール不能になるリスクを犯してまでやるようなテーマではないと思う。競争政策的なユーロ安がもたらすリスクは実はもっと深いものがあると思っている。いくらユーロ安になってもそれでメリットを受けるのはユーロ圏以外の国々へ輸出できる物もたくさん持っているドイツやフランスなどだけであり、内にこもっている国々(最近問題になっている国が多い)にとってそれほど恩恵はないだろう。結局ドイツなどの大国がますます力をつける一方で弱小国の競争力やバランスは改善しないから、ユーロの仕組みにこだわる限りドイツなどが自分たちが儲けたお金で救済を続けていくしかない。つまり仕組みにこだわり続ける限り大国と小国の力関係が極めて歴然としたものとなる。その上で財政統一を目指すとなれば国家の従属関係をイメージせざるを得なくなってくる。それは果たして許容できるものだろうか?というのがワタクシの疑問である。ナポレオンやヒトラーの出現を望んでいるのか?ということだ。
最初の問題に戻れば、たとえばギリシャ国民が政治的にドイツのいうことを聞かなければならないような事態は、今の段階では到底飲める案ではないだろうから、ますます困難な問題を生み出してしまうような気がしてならない。一般的にも、少なくとも物事の推移を予測するとき上から目線(高い教育を受けた政策担当者などの目線)ではなく庶民目線を使わないと大きく間違うこともあるだろう。
金融のロジックがこれまで庶民のロジックと乖離し続けてきたことの修正が入り始めているのだと思うが、一方で全面的に庶民のロジックで金融を扱っていいとは思わないしそれはかなり危険である。少数の経験ある人々が、多数の物事を良く知らない人々の反対意見を押しのけてでも実行しなければならないことも多いと思う。それをしなかったために危機や不況が長引いた例は多い。裸の感情で社会や金融を語ることの危険はこれまで十分証明されていると思う。考えうる最小の害悪を持つという民主主義という制度との折り合いは、最後は教育しかないのだろう。
余談だが、こういう世の中で経済的に強いのは実は何らかの形での独裁国家だったりする。なにせ民の声を必ずしも聞かないでもいいのだから。
これは二つの点で極めて重要である。ひとつは庶民の「常識」とは「借金」がよくないということであり、常識回帰はレバレッジ減少に結びつく。このことは金融業の大きなダウンサイジングにつながる。二つ目は庶民のロジックによる行動がときに金融界から見た予測可能性を著しく損なうことが多くなることだ。これは市場の不確実性の増大すなわちリスクやボラティリティーの増大につながっている。
民衆主導型の金融市場の不確実性。こうしたリスクは意外に過小評価されているのではないかと思う。
最近あちこちで見られるさまざまな規制への試みは、よく物事を知っている人々が良く練った上で試みようとするならいいのだが、しばしば「庶民のロジック」で行われるから、意外に厳しい市場からの反応をうけてしまう。そしてそれが全体に金融資産の市場価格を押し下げ景気にマイナスの影響すら与えることもある。庶民のロジックを使うことがそこまで覚悟してのことであればかまわないのだけれど、大体そういう覚悟だけはできていないからさらに犯人探しやら的外れのバッシングが始まりますますセンチメントを悪化させてしまうのである。
その極端な例が昨日ドイツで実行された「空売り規制」である。即日実施でドイツの主要金融機関の株の空売り禁止をはじめ欧州の国債で上場しているものの空売り禁止、ドイツの証券会社が顧客からの売り注文を受ける際に適法性確認(実際に顧客がモノを確保しているかどうか宣誓でもさせるのでしょうか?)させるとか言う話もあって、要するに流動性が落ちる可能性がある。物が動かなくなったら、損失処理も遅れるから景気回復も遅れる。空売りして市場を落とすのはけしからんということなのだろうが、そもそもギリシャだのなんだのっていう今ほとんど流動性のない証券でしかも公的機関が買い支えようとしているものの裸のショートは結構度胸がいると思うんで、本当に意味があるのかなぁとか思ってしまう。かえってこういう規制が突然出てくることが「不確実性」という評価において海外投資家が手を引く原因を作ってしまうのである。すでに周辺国国債市場ではフェイルの連鎖が起きているという話もあり、そのファンディングコストがかなり大きくなっているから、これを機に買戻しを誘発したかったのかといううがった見方もあるが、いずれにしても市場の動きを止めてしまったため、結果的に売れるもの(通貨としてのユーロ)に売りが集中すると言う皮肉。
一連の動きのなかで、ユーロ安はドイツを中心とする欧州が競争政策としてかなり意図的に誘導しているという見方もあるが、それはまったくないとはいえないけれどコントロール不能になるリスクを犯してまでやるようなテーマではないと思う。競争政策的なユーロ安がもたらすリスクは実はもっと深いものがあると思っている。いくらユーロ安になってもそれでメリットを受けるのはユーロ圏以外の国々へ輸出できる物もたくさん持っているドイツやフランスなどだけであり、内にこもっている国々(最近問題になっている国が多い)にとってそれほど恩恵はないだろう。結局ドイツなどの大国がますます力をつける一方で弱小国の競争力やバランスは改善しないから、ユーロの仕組みにこだわる限りドイツなどが自分たちが儲けたお金で救済を続けていくしかない。つまり仕組みにこだわり続ける限り大国と小国の力関係が極めて歴然としたものとなる。その上で財政統一を目指すとなれば国家の従属関係をイメージせざるを得なくなってくる。それは果たして許容できるものだろうか?というのがワタクシの疑問である。ナポレオンやヒトラーの出現を望んでいるのか?ということだ。
最初の問題に戻れば、たとえばギリシャ国民が政治的にドイツのいうことを聞かなければならないような事態は、今の段階では到底飲める案ではないだろうから、ますます困難な問題を生み出してしまうような気がしてならない。一般的にも、少なくとも物事の推移を予測するとき上から目線(高い教育を受けた政策担当者などの目線)ではなく庶民目線を使わないと大きく間違うこともあるだろう。
金融のロジックがこれまで庶民のロジックと乖離し続けてきたことの修正が入り始めているのだと思うが、一方で全面的に庶民のロジックで金融を扱っていいとは思わないしそれはかなり危険である。少数の経験ある人々が、多数の物事を良く知らない人々の反対意見を押しのけてでも実行しなければならないことも多いと思う。それをしなかったために危機や不況が長引いた例は多い。裸の感情で社会や金融を語ることの危険はこれまで十分証明されていると思う。考えうる最小の害悪を持つという民主主義という制度との折り合いは、最後は教育しかないのだろう。
余談だが、こういう世の中で経済的に強いのは実は何らかの形での独裁国家だったりする。なにせ民の声を必ずしも聞かないでもいいのだから。
この記事へのコメント
個人的には、空売り規制には反対します。日本でも株価が下落したときに主張された話でよく覚えています。
空売りがあるから、価格下落局面でも取引が成立するとう事実を見落としている人が多すぎます。
もし空売りができなければ、価格下落局面では、値がつかずストップ安を煽る可能性が高いということです。
空売りは値が上がった時には天井知らずの損失をもたらすリスクを背負った取引です。
そういった意味で決して不平等な取引ではありません。
しかしながら、金融のロジックに異常なものがあるのではないかという疑念もあります。
それは先物取引などのデリバティブ取引です。
これに関しては個人的に全廃すべきものと考えます。
想定元本をいくらでも膨張させることができるという意味で、人類が制御不能なリスクを生み出す可能性が高いです。
人類には危険すぎます。
行き過ぎた金融ロジックには極めて慎重な対応が不可欠だと考えます。
>>民衆主導型の金融市場
衆愚政治の金融市場版でしょうか・・・
>>反対意見を押しのけてでも
短期的にはこうした形で「正しい施策」を進めていくべきだと思います。
>>最後は教育しかないのだろう。
しかし、そんなやり方では長続きしないでしょうから、長期的には(私のようなのも含めた)一般大衆の金融リテラシーの向上が必要ということですね。
ようやくそういうインチキにだまされない、というかそれになれてきた人たちが増えてきたということでしょうか。
40歳無職さん、どうもです。今回の流れが進めば金融というものの意味が大きく変わっていく可能性を秘めていると思っています。問題は、その過程で失うものがどれほど大きなものかというのが見えないで十分な検討ができないまま議論が進んでしまうことです。ですから、かなり突飛で一方的な話が出やすいことになり、今回のドイツのように市場にいきなりショックを与えることになります。
karuさんどうもです。これまでの行き過ぎた部分への修正はある程度いたしかたないとワタクシも思います。しかし、それを前提にどういう世界が成り立っているのか、という部分をきちんと理解したうえで当局者には対応してもらいたいと切に願っています。
日本の国民は自分たちがいかに馬鹿であったか考えるべきですね。アホマスコミは常に日本人の絶対的を標的とするが、小澤がいなくなったら誰を敵にしていいかわからん、検察のアホどもの失態ですね。