僕は7年間、政治家や大学教授、ジャーナリストなどのブログを転載するBLOGOSというメディアに携わってきました。

業務を通じて、毎日のように政治家のブログを読み、その考えに触れると同時に、数少ないながらもインタビュー取材なども行い、日々流れる政治関連ニュースの背景を読者に伝える努力をしてきたつもりです。

僕自身は、東京の中流サラリーマン家庭に育ち、新卒で一般企業に就職。その後、縁あってライブドアに入社し、BLOGOSというメディアに携わるに至った、普通のサラリーマンです。

業務上、必要な知識を身につけるために、それなりに努力してきたつもりですが、政治や経済に関する知識は一般の人たちと大きな差があるわけではありません。個人的には、左右どちらの思想にも偏ってないと考えています。

僕は今日をもってBLOGOSを離れますが、最後に皆さんに伝えたいことを書かせてもらおうと思います。

政治家だろうが大学教授だろうが「立派な人」とは限らない

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僕が、この7年間の業務を通じて痛感したことは、「政治家だろうが大学教授だろうが、ワイドショーで訳知り顔で事情を語るコメンテーターであろうが『立派な人』とは限らない」ということです。当たり前のことと思われるかもしれません。しかし、いわゆる有識者の中には、「立派ではない」どころか、それなりの数のトンデモさんたちも含まれていると思うのです。

政治家という職業の重要性を否定する人はいないでしょう。時に人の生死や国の行く末に直結する重要な仕事です。重要であるからこそ、個人的な利害や思想を切り離して、確かな知見やエビデンスに基づいて行われるべきです。そして、そうした事象を解説するジャーナリストや分析するコメンテーターの人たちにも確かな見識が必要でしょう。

僕もかつて、20代中盤ぐらいまではピュアに信じていました。「政治家というのは深い見識と良識をもった人がなるものに違いない」「たまに不祥事もあるけれど、日本の官僚機構は優秀だ」「大学教授といえば、自らの専門分野について確かな知見に基づいた発言をするはずだ」「あれだけ自信満々で語るのだからワイドショーのコメンテーターは正しいこと言っているのだろう」…。

しかし、僕はこの7年間を通じて、それらが大いなる幻想であることを存分に思い知らされました。

すべては「普通の人間」がやること

ぱくたそ

もちろん確かな見識をもった政治家や大学教授、ジャーナリストも数多くいます。実際にそういう方のお話を聞いて、僕自身学ぶところはありました。

ただ、7年間の業務を通して、政治家を含めた有識者の発言に「おまえは何を言ってるんだ??©ミルコ・クロコップ」と思わされることが多かったのも事実です。それは与野党問わず多くの政治家、メディアに出演しているコメンテーター、ジャーナリストすべてに対して感じたことがある感情でした。

実際、Twitterでは毎日のように政治家同士の誹謗中傷合戦が繰り広げられています。そこには「良識」というものは感じられません。特定分野の専門家が、専門外の分野に言及した結果、的外れな言説を拡散、炎上するという場面も珍しくありません。

2000年に入って18年も経つというのに、いまだに男女平等を否定したり、少しリテラシーがあれば信じないような陰謀論を平気で信じてしまう国会議員も実際に存在します。「ワクチンはうったほうがよい」という、当たり前のことにすら異を唱える政治家が存在し、コンセンサスを取ることを難しくしています。

「政治ジャーナリスト」が経済について語り、「経済ジャーナリスト」が本来はまったく問題ないはずの豊洲の危険性を指摘する。単なるネット企業の一社員が外交問題について訳知り顔で日本の立場を語る。そうした状況が、当たり前のように存在する。

以前、ある政治家さんを取材した時に聞いたことがあります。

「官僚出身の政治家が、官僚に厳しく当たるのは官僚時代にメインの出世コースに乗れなかったルサンチマンがあるからではないか」。

また、ある大学教授はこんなことを言っていました。

「『同じ大学の偉い先生を批判すると、来年の資料を買うための予算が取れなくなってしまう。だからお前やってくれよ』と、別の大学にいる同期から頼まれたりするんだよね」

こうした話を聞いて、僕は当たり前のことに気付かされました。それは、どんな職業も実際に仕事をするのは、感情のある「人間」だということです。確かに立場は人を作りますが、それでも「人間」であることからは逃れません。

自身が心地のよい言説に流され、嫉妬や個人的な出世という思惑に縛られる。見栄やその時々の事情に身を任せた結果、本来詳しくもない分野について実際には何も言ってないに等しい、知ったようなことを言ってしまう。それはサラリーマンだろうが、政治家であろうが、大学教授であろうがコメンテーターだろうが同じなのだと思います。そして、一般の社会と同じような割合で、政治家や大学教授の世界にもトンデモな人がいたりするのです。

幻想を抱かず自分で考えるしかない


投票箱

時々、「政治家・官僚のレベルが下がってきている」という言説をメディア上で目にすることがありますが、おそらく違うと僕は考えています。昔から、見識が足りない、おかしな政治家も官僚もいたのでしょう。ただ、それがSNSを通じて可視化されているだけなのではないでしょうか。

なので、政治家というのは、我々と大きくは変わらない「一般人」であるという認識を持つことが必要でしょう。あるいは、この時代に「政治家を志そう!」というぐらいなので、一般人よりは少し強めに思想の偏りがある人たちがなる職業と考えた方がよいかもしれません(ただ、大臣クラスなどになるとレベルも変わってくると考えられるので、地方議員やいわゆる”風”にのって比例で国会議員になる人たちの話だと思ってください)。

日本という国は、かつての高度成長期と比較すると、右肩下がりにあることは事実です。そうした中で、「時代が変化している」という認識を持てない、政治家やそれを支持する有権者は、今現在でも数多く存在します。

一有権者としてできることはわずかでしょう。僕も今の仕事を離れれば、今ほど政治の動きをチェックしなくなるだろうと思います。ただ、それでも残念ながら、我々は政治というものの存在から逃れられません。

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「愚民の上に苛き政府あり」などという言葉がありますが、我々が政治から興味を失えば、充分な見識を持っていない政治家たちは、我々有権者を巻き込んだ上で道を誤るだけです。

若干偉そうになってしまいますが、「この人なら安心して政治を任せられる」という人は多くないこと、そうした人ですら我々が関心を失うと、我々一般人と同じように様々な理由で、当初の志を失い、安き方に流れていってしまうということをお伝えできればと思います。

当たり前ですが、皆さん投票には行きましょう。今後、僕自身もそこだけは譲らないようにしようと思います。じゃないと、本当にとんでもない人が議員になってしまいますし、現在でも議員になっています。ほら、あなたの住んでいる自治体にも…。

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