先代のときからほとんど変わらないスタイルだが、今は日本酒に力を入れている。居合わせたお客さんが出身地だという秋田のお酒を、クリームチーズ&酒盗とともに。
のんべい横丁の象徴のひとつでもあった柳。実は取材直後に、最後の柳が切られてしまったそう。これもまた、変わりゆく渋谷の光景のひとつ。
高架横の道路に面した建物と、その裏側にある路地。広くないエリアながら、一歩足を踏み入れたときのタイムスリップ感は格別!
松菊の人気メニュー「だし巻き玉子」。狭いカウンターの中で手際よく調理するさまが見られるのも、酒の肴のひとつ。
東京の横丁をもっと知ろう〈温故編〉
「渋谷のんべい横丁」が
“変わらない”でいられる理由
日本有数の繁華街・渋谷。毎日多くの人が訪れ、日々新しい建物が建ち、目まぐるしい勢いで風景が変わっている街。しかし、そんな渋谷の街にまるで時が止まったような「横丁」があるのをご存知でしょうか?
小さな店が、軒を寄せ合うように連なる渋谷のんべい横丁。変化の激しい渋谷にありながら、なぜこの横丁がありつづけるのか。その理由を語ってくれるのは、この横丁の“広報”を担当する御厨(みくりや)浩一郎さん。
御厨さんと渋谷のんべい横丁の出会い、そこには「人と人をつなげる」横丁ならではの物語がありました。
御厨浩一郎さん
渋谷のんべい横丁
渉外・広報担当/会社経営者
1965年埼玉県生まれ。大学卒業後は黎明期であったハイビジョン試験放送の制作などに関わった後に独立。ステージの企画制作・演出等を手掛けるように。2009年に渋谷のんべい横丁・飲食店「会津」の運営を引き受け、現在は隣店舗の「松菊」の経営のほか、渋谷のんべい横丁の渉外・広報も担当。
渋谷のんべい横丁の「空気感」は
昔から変わらない?
渋谷駅から程近く、線路沿いに寄り添うように並ぶ「渋谷のんべい横丁」。実のところ、正式名称は渋谷東横前飲食街協同組合と言います。東京大空襲で更地になったこの場所に、当時渋谷駅周辺で屋台を出していた人たちが移動して集まることになったのがその始まりです。
古い木造の建物の中に「く」の字のようにカウンターが誂えられ、5〜6人も入ればいっぱいになるような、小さな飲み屋がずらりと並ぶのんべい横丁。トイレは屋外で共用ですが、お店の中にはよく見るとスタイリッシュなバーがあったり、本格的なワインや料理を楽しめる店も。新旧さまざまな店がありつつ、どこも個人経営の個性的な店ばかりというのは共通しているところです。大手資本の店舗が目立つ渋谷の駅前という立地では、ある意味奇跡のような場所にも思えます。
「多分、他の古い横丁と違うところは、土地自体を組合が持っているところだと思います。だからお店を辞めても土地だけを切り売りすることができないし、家賃が釣り上がる原因になる“又貸し”もない。渋谷のこんな場所にある割には、健全な家賃でお店の経営ができるんですよ」
そう語った御厨浩一郎さん。御厨さんいわく、のんべい横丁は、お店はもちろんのことお客さんも「この街を一緒に守ろう」という意識が強い人が多いのでは、と。酔って誰かに絡んだり、喧嘩をふっかけようとすると店主や常連がたしなめる。ときには怒られたり、“出禁”になることもある。でもそうやってこの街で飲んでいくなかで、いつしか街の空気に染まっていく。
「もちろん、僕がこの街に来始めた頃と比べたら若いお客さんが増えたとか、そういう細かな変化はあります。でも、空気がガラッと変わった……みたいなことはないですね」
「お店の常連」が
店を引き継ぐことに
ちなみに御厨さん、本業は「空間演出家」なのだそう。どういう経緯で渋谷のんべい横丁に関わるようになったのでしょうか?
「もともとは、単なるお客だったんですよ」
そう言って笑います。御厨さんがのんべい横丁に足を踏み入れたのは、30歳を超えた頃。最初は、働いていた会社の同僚に連れられて。その後、独立して渋谷に事務所を構えることになり、仕事終わりにのんべい横丁に飲みに来るのが日常になったのだとか。大体週3で飲みに来ていたというその店が、今は御厨さんが毎週火曜日にカウンターに立つ「会津」でした。
通い始めて10年ほど経ったところで、会津の先代店主が体調を崩すように。当時で90歳前後(!)だったという先代店主は「大ママ」と親しまれ、当時ののんべい横丁でも名物的存在だったといいます。御厨さんは長年店に通ううちに、いつしか大ママから「具合が悪い」と連絡が来ると自宅に様子を見に行ったりするような間柄になっていました。
「『もうお店を閉める』っていうから、じゃあしばらく友達と僕とでお店やるよ、と。大ママも『好きにしていいよ』といった反応だったので、僕達や常連でお店を開けて営業してたんですよ。最初は僕が結構お店に立っていたんですけど、仕事との兼ね合いもあって大変になってきたので、何人かの常連で回すようになって。でもそうしていたら、その様子を見て大ママが元気になってきたんですよね(笑)」
寄る年波と体調不良から、お店を開ける気力をなくしていたという大ママ。しかし御厨さんたち常連が手探りでお店を営業し、多くのお客さんがお店を必要としている様子を見て、毎日ではないもののまたお店に顔を見せるように。97歳で亡くなられた大ママは、最終的には95歳までお店に立ち続けていたといいます。
そういう経緯で、ひょんなことから会津の経営を担当することになった御厨さん。大ママが亡くなったあとの会津は、のちに御厨さんの元同僚の女性が正式に経営を引き継ぐこととなりました。しかし御厨さんは今でも週に1日、会津のカウンターに立ち続けます。それは、自分がお店を守るという「会津の大ママとの約束」を守るためです。
その後、お隣の「松菊」がやはり店主の高齢化で店を閉めることに。
「松菊は店主の姪御さんがお店を引き継いだのですが、誰か経営してくれる人を探していたんですね。でも誰でもいいというわけではなく、『おばさんと自分の思い出が詰まったこの建物を変えてほしくない、そのままで使ってくれる人がいい』というのが条件だったんです」
そこで“お隣さん”としてよく知っていて、かつ「お店はそのまま使いたい」という御厨さんが松菊の経営を引き継ぐこととなりました。松菊は先代店主のときと内装もお店のコンセプトも変わらないまま、日替わりのママがお店を回していくスタイルで現在も営業中です。
渋谷のんべい横丁という場所が今まで続いてきたのには、こういった人と人との関わり、そして「約束」の積み重ねなのかもしれません。
会話と出会いを楽しむ!
横丁の醍醐味がここにある
さて、この記事を読んで「渋谷のんべい横丁に行ってみたい!」と思った人のために、御厨さんにアドバイスをいただきました。
「まず鉄則は、大人数で来ないこと! 2人、もしくは1人がオススメです。1人だとちょっと……という人は、最初は2人で来て、2回目は1人という形でもいいと思いますよ」
渋谷のんべい横丁の店はどこも狭く、5〜6人も入ればいっぱいになってしまうような小さなお店が大半。それ以上に、グループで来るとお店の人やその場で出会った人と会話するチャンスがなくなってしまいます。のんべい横丁の魅力は、そういった一期一会の出会いを楽しめることなのです。
「パッと見は入りづらそうでも、のんべい横丁のお店は“一見さんお断り”のところはまずないです。なので、少しだけ勇気を出して声をかけてみてください。いろいろな店があるので、自分にあう店を探してみて欲しいですね」
現在進行形で、大規模な再開発が進む東京・渋谷。この渋谷のんべい横丁のすぐ横には、多くの人が集まる話題のスポット「MIYASHITA PARK」や、地元の人から観光客まで幅広いお客さんで賑わう「渋谷横丁」など、“いま”の渋谷を象徴するような新しい場所がたくさんあります。
そんな大きな変化を続ける渋谷のなかでは、一見「変わらない」ように見えるのんべい横丁。しかし以前に比べて若いお客さんが増えたり、新しい店主のお店が登場したりと、横丁のなかでの新陳代謝は繰り返されています。それでいて「のんべい横丁らしさ」が失われないのは、この場所を愛し、守り続けたいという人たちが集う場所だから。その空気の居心地の良さに魅了された人が“一見さん”の酔客に街の魅力を伝え、そして新たな常連ができていく……。そんな良い循環が、ここではできているように思えるのです。
東京にはどこか懐かしい面影を残している場所がほかにもたくさんあります。それは、渋谷のんべい横丁と同じように、多くの人がその景色を愛し、守ろうとしているからにほかなりません。そんな魅力的な場所をぜひ探してみてはいかがでしょうか?
ちょっと勇気を出して、一歩路地へ。あなたの知らない東京を、ぜひ発見してください。
渋谷のんべい横丁
渋谷駅からほど近く、JR山手線の高架に沿うように伸びる30mほどの横丁。昭和25年に誕生し、代替わりなどを重ねながら現在も多くの個性的な店舗が営業中。
- 所在地東京都渋谷区渋谷1-25
Google Maps - 営業時間店舗ごとに異なります。店舗に直接お問い合わせください。
・未成年者の飲酒は法律で禁じられています。お酒は20歳になってから。
・妊娠中や授乳期の飲酒は、胎児・乳児の発育に悪影響を与えるおそれがあります。
・飲酒運転は法律で禁止されています。
・飲みすぎに注意、お酒は適量を。