文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「琉球新報」と「週刊金曜日」に連載エッセイと対談が載ります。


「琉球新報」の今月、25日、26日、27日の紙面に、三日連続で連載エッセイが載ることになった。もちろん、テーマは「沖縄集団自決裁判」問題で、タイトルは、「大江、岩波裁判について、保守論壇を憂う」というものだ。新聞が手に入る人は、是非、一読してもらいたい。内容は、今まで書いてきたものと重複することも少なくないが、かなり力を入れて書いたので、読むに値するはずである。特に小林よしのり氏の「沖縄集団自決裁判」論をちょっとだけだが、批判しているので、注目していいかもしれない。もう一つは、近日中に、「週刊金曜日」で、「歴史協議会」とかいう会の会長(?)の石山久男氏と対談することになっている。「琉球新報」も「週刊金曜日」も、どちらかと言えば、左翼的傾向のメディアらしいから、僕の元来の政治的立ち位置から見れば、思想的にも政治的にも対極にあるのかもしれないが、今は、右翼とか左翼、あるいは保守とか革新というような二項対立でものを考えている時代ではなくなっているので、別に気にはしていない。「琉球新報」も「週刊金曜日」も、僕の保守的・右翼的な政治思想を熟知した上で原稿依頼や対談を企画しているはずで、当然ながら、僕の思想や政治意識が変化したわけでも、動揺しているわけでもない。むしろ、今、問われている問題は、思想や政治の立場の相違や党派的対立という次元の問題ではなく、「二項対立」が隠蔽した「差異」の回復とも呼ぶべき問題、つまり思想や政治の質と中身の次元の問題が問われていると考えるべきだろう。左翼にしろ右翼にしろ、ダメなものはダメなのであり、いいものはいいのである。僕は、元々、大江健三郎や柄谷行人の著作は一行一行を熟読し、ほとんどの著作を片っ端から買い集めているが、曽野綾子や石原慎太郎の著作は、読むに値しないと思うが故に、「書評」依頼でも来ない限り、つまり外部的な必要でもない限り読まないし、買いもしない。今回は、たまたま問題が大江健三郎にからんでいたために、曽野綾子の『ある神話の背景』を買い求め、しつかり熟読することになっただけで、そうでなければ、せいぜい立ち読み程度で終わっていただろう。(続)





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