EM菌 まとめ(仮)

水伝は様々なところで話題になり、纏まった反論も書かれたことにより教育への適用は沈静化、または反論が容易になった。
しかしここに来て教育の場へ急速に浸透する別種のトンデモが襲来している:EM菌である。
そこで、本来ならば力不足ではあるのだが、個人的にざっと反論すべき点をまとめておきたい。
これを元に専門の方がきちんとしたものを執筆して頂けると有り難い。

EM菌とは

Effective Micro-organisms(有用微生物群)の頭文字を取ったもので、要するに「複数の菌類を一個の群体として認識する」というもの。元々は1982年に琉球大学農学部の比嘉照夫教授によって、土壌改良用として研究開発された。
通常、自然界の微生物バランスでは酸化型の微生物が優勢であるために腐敗分解し易い。これを、抗酸化力の強い微生物群の投入によってバランスを変えることで腐敗し難い状態を作ることができるのではないかという発想であった。
まあ農業土壌としてはむしろ腐敗が進んだ方が肥沃なんじゃないかというような疑問はあるにせよ、少なくとも目の付けどころは悪くないし、真面目な研究であった……筈である。
しかし農業試験場でのテストにより「EMによる改良をしてもしなくても大差なし」という結果が出てしまった辺りから徐々におかしくなっていったようで、現在では単なる農業土壌改良の域を越え、あらゆる環境問題を一挙に解決する万能薬であるかのようなアピールや、その裏付けを波動測定器に求めるというトンデモぶりを見せている。

EMの何が問題なのか

未検証であること、にも関らず環境にバラ蒔こうとしていること。これに尽きる。
新薬をいきなり患者に投与したらどうなるか。死亡または重大な副作用を引き起こすかも知れないし、そうでないとしてもまったく効果ないかも知れない。そういうことを防ぐために、普通は動物実験などで入念に安全性と有効性を検証し、更に臨床試験……同意を得て実際の患者に投与して結果を見て、そうして多数のデータを集めた上でやっと「使って良い薬」になるわけだ。
同様に、環境に適用する「薬」も安全性や効果についてきちんと試験しなければならない。

自然由来の微生物だから安全でしょ?

そうとも限らない。元々EMは「群体とすることで、単体では得られない相乗効果を期待する」という研究である。この主張が正しいのだとすれば、通常では発生しない効果による副作用も考えられる。
そこまでのことはないとしても、何らかの形で自然状態のバランスを歪める行為であることは事実だ(環境を改善するということは、現時点での自然状態を歪めることと等しい)。そして生態系のような複雑系は、時にほんの些細な変化が拡大して波及する可能性を否めない。たかが数種の微生物が、結果として環境のバランスを劇的に変えてしまうかも知れない。

環境を考える教材ですよ

きちんと環境問題を教えたいなら「これを使うだけで改善されます」みたいなインスタントなやり方は逆効果だろう。自然環境には無数の生物が存在し、微妙なバランスでひとつの生態系が成り立っていること、どこか一箇所のバランスが崩れたことで全体が破綻する例、そういうことを教えるべきだ。
そうした真っ当な教育からすれば、むしろ「安易で劇的な手段は却って危険」という結論に至る筈で……結局、環境のためにEMを使おうという人の方が環境問題に無知だってことなんだよなぁ。
間違ったものを正しいと教えてしまうのは教育にも宜しくないのは自明のこと。

川が綺麗になるんだよ?

実はこれを一番問題視している。
「川が汚い」状態というのは大雑把に言って3種類あって、「水の透明度が低い」と「臭いが強い」それに「動物が少ない」である。いずれも微生物濃度が関係する。
川の水に有機物が多く含まれる(富栄養)と、それを餌とする微生物が増える。赤潮や青粉状態である。これら微生物は光を遮り透明度を下げるので、結果として水草の光合成を妨げ、水中の酸素濃度が低下する。無論、微生物自身もまた多くの酸素を消費するので、付近の水中は動植物が生存できないほどに酸素のない状態になってしまう。
そうして死滅した生物も、また微生物自身の死骸も有機物であるので、微生物だけがどんどん増える。
好気性の微生物であっても、酸素のない状態では嫌気性の代謝を行なう例は多い。往々にしてこれで生じる呼気は腐敗臭のあるガスであったりする。「臭いが強い」状態だ。
また、分解された死骸の類は河底に積もってヘドロとなる。この中は酸素が少なく有機物が豊富なので、ここでも嫌気性の分解が進む。


さて、こうした状況に新たに菌を投入するとどうなるか?
少量なら、場の多数を占める菌に押されて消える。無害だが意味もない。
多量なら、場の酸素を消費する要素と有機物が増加し、更に環境が悪化する。
無論、本当にEMがその他の菌を駆逐するなら、最終的にはバランスが戻るのかも知れない。が、そうなる保証はなにもない-----なにしろ、きちんと検証を行なっていないのだから。

自分たちで効果を体験したよ?

体験は必ずしも効果を立証しない:何故なら、『偶々そうなっただけ』である可能性を否定できないからだ。
単なる偶然でないことを立証するためには、それなりのサンプル数を集め、また「実は他の原因でした」とならないように比較すべきデータも数を集め、「使用した時にはこれだけ改善された」ということを数を以て示さねばならない。
また、これは事後の体験談として集めるのではなく、最初からデータを取るための実験環境を整える必要がある。何故なら、往々にして失敗した事例は忘れられてしまうからだ。
例えば、生ゴミに対し100回使ったうち実際には20回しか臭いの改善がなかったとしても、「効果あった」という印象の方が強いために残り80回はなかったことになってしまい、結果として「これは効く」と思ってしまうということもある。
しかし最初から記録の準備をしておけば、効果のあったデータもなかったデータもきちんと集計される。

EMの効果を検証するには

検証できてないのが問題なら、自分たちで検証してみればいいんじゃないか。
その通り、でも正しい検証方法を知らないと無意味なトンデモ実験になってしまう-----水伝実験によくあるように。
(続きはあとで)