「超」古代文明

字義通りに捉えれば「既知の古代文明より古い文明」である。つまり「超古代」文明。
現状、最古として知られるシュメール文明は車輪や文字など数々の重要技術で知られるが、明らかに他地域に比較して技術知識分野の発展が著しい。また、シュメールの民はこの地の土着ではなく他から移入してきたらしいのだが、その元民族が不明である。
専門家ではないので仔細な検討は行なっていないが、単純にこの情報だけから判断するに「どこかにシュメールの元となる未発見の古代文明が存在したのでは」という想像は強ち的外れでもないように思われる。
或いは「マスターキートン」で語られたドナウ文明仮説。何が発見されているわけでもないが、大河流域に文明が発生するという現象が普遍的であるなら、ドナウ流域にそれが存在するという考えはまったく不思議なものではあるまい。目立つ巨石建造物などが見当たらぬところを見るに、文明としては原始的な、それゆえに古いものかも知れない。
……と、こういうのがまあ「真っ当な」超古代文明論。


ところが実際のところ、世間一般に超古代文明という言葉で広まっているのは、何故か「現代文明よりも科学技術の発達した過去の文明」のようなのだ。それは「超」の掛かる位置が違う。古代「超文明」だ。
もしそんなものが実在したらえらいことである。現代よりも科学技術が発達していたということは、当然アスファルト舗装の道路や鉄筋コンクリートの超高層ビルなんかが立ち並び、鉄道網が発達し、巨大船舶や航空機が行き交い、核分裂どころか核融合を実用化させ宇宙開発を推し進め近隣惑星にまで乗り出していたのであろう。当然ながらその遺跡たるや発掘するまでもなく遍く世界中に残存することになる。
無論、実際にはそんなものが見当たらないのは明らかである。ということは、現代を越える科学などというものが過去に存在したことはなかったのだ。


……なんてことはちょっと想像を働かせれば容易に考えつくことだと思うのだけれど、どうも超文明支持者は変な方向にしか想像力が働かないようだ。「研究しようとすれば陰謀により消される」みたいな考えならいくらでも出てくるのに。