ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

西園寺実氏

さいおんじさねうじ

西園寺実氏とは鎌倉時代の公卿。
目次 [非表示]

概要編集

父は西園寺公経、母は一条全子(一条能保の娘)、官位は従一位・太政大臣後深草亀山天皇の外祖父。


プロフィール編集

時代鎌倉時代
生誕 建久5年(1194年)
死没 文永6年6月7日(1269年7月7日
官位従一位、太政大臣
主君後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇
氏族西園寺家
父母父:西園寺公経、母:一条全子(一条能保の娘)
兄弟掄子実氏実有実雄、道融、実藤実材、女子、成子、実意、実助、尊恵、実顕、行安、慈助、実勝、三条実親室、嘉子、公子
四条貞子四条隆衡の娘)、藤原幸子(藤原親雅の娘)
公基公相姞子公子、道勝、道耀、守助、教子

経歴編集

建久8年(1198年)に従五位下となる。侍従・遠江介・左少将・左中将などを歴任した後、承元5年(1211年)に従三位・参議となる。正三位・権中納言左衛門督に進み、承久3年(1221年)の承久の乱後に右近衛大将になった。元仁元年(1224年)に権大納言、寛喜3年(1231年)に内大臣、嘉禄元年(1235年)に右大臣となり翌年の嘉禄2年(1236年)に従一位、寛元4年(1246年)に太政大臣に就任した。


外部リンク編集

西園寺実氏 - Wikipedia


関連タグ編集

公家 鎌倉時代 西園寺家

関連記事

親記事

西園寺家 さいおんじけ

兄弟記事

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました