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江連卓

えづれたかし

江連卓とは、日本の脚本家(1941 - 2024)
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概要編集

1941年6月2日生まれ。栃木県出身。別名着として龍達彦、海野朗、遠野海彦、水沢又三郎などがある

早稲田大学文学部演劇科卒業。在学中はシナリオ研究会に所属しており、先輩に仮面ライダー脚本家の先輩である阿部征司がいた。


当初は映画監督を志望していたが、当時は映画部門の採用があまりなかった。1964年、大学卒業後に東宝に入社するが、演出部での採用ではなかったため3日ほどで退社。助監督として契約した。並行して東宝の演劇部に所属し舞台の脚本・演出を手がける。

30歳の時に実験劇場を立ち上げ、芸術座で自作の戯曲を上演するが、内容が難解だという東宝側との対立や俳優とのトラブルなどにより実験劇場は解散。その後は出社せずにテレビドラマの脚本を執筆するなどしていた。


30代前半で独立して劇団を立ち上げ、フリーの脚本家としても活動する。

その後、第三次怪獣ブームに伴いウルトラマン仮面ライダースーパー戦隊の三大特撮ヒーローの脚本を手掛けた。手掛けた作品は『ウルトラマン80』『仮面ライダー(スカイライダー)』『仮面ライダースーパー1』『仮面ライダーBLACKRX』『バトルフィーバーJ』『電子戦隊デンジマン』。


2024年1月22日感染症心内膜炎により死去。享年82歳。


作風編集

民話を題材に難しい漢字や熟語を日常的に使用することや独特な言い回し・演出が特徴的。その時不思議な事が起こったは彼の担当回である。

「世界の児童文学を読みあさって、血沸き肉躍りましたから、自分の子どもの世代にも、そんな思いをさせてあげたいという欲求がすごく強かった。だから、常に子どもを感動させることと、同時に何か大事なメッセージを送るということを考えて」いたという思想の持ち主であり、途中参加してメインライターとなった『仮面ライダー(スカイライダー)』では「ヒーローがすごい力で敵を倒す」という展開を嫌い、「人間は肉体の鍛錬や思考を限界まで行って敵に打ち勝つ」という展開を行い、強化スカイライダーにするための特訓という展開を取り入れた。

江連本人は仮面ライダーの事は「悪魔からもらった能力を善のために使うもの」と解釈し、「変身」はどうしようもなくなった時の選択肢の一つと位置づけている。

仮面ライダースーパー1』が赤心少林拳の使い手なのも実際に江連本人が中国武術を習っていたことから生まれた設定である。視聴率低下や玩具売り上げの低迷からスカイライダーの時のように歴代ライダーの客演を求められたが、主人公の人間性を描くのには不要として登場させなかった。(歴代ライダーの客演は『劇場版仮面ライダースーパー1』で後付けで実現した)


東映の監督・プロデューサーだった小林義明とは『おもいっきり探偵団 覇悪怒組』『仮面ライダーBLACKRX』『大予言_復活の巨神』などの作品で組んだ。「今でもときどき会いますから、本当に長い付き合いです(笑)」と語っている。


外部リンク編集

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