ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

島津義久

9

しまづよしひさ

島津義久とは、戦国時代・安土桃山時代の薩摩国の武将。島津貴久の長男で島津家の島津氏16代当主。所謂島津四兄弟の長兄である。 戦国時代最高峰の政治家であるが、ネット等の批評によると「最強の引きこもり」 ※某漫画家曰く「戦国最強のニート&自宅警備員」

生涯

天文2年(1533年)2月9日、島津貴久の長男として生まれる。幼名は虎寿丸。仮名は又三郎。通称は三郎左衛門。初名は祖父の俗名と同じ忠良、のち足利義輝の偏諱を受け義辰さらに義久と改めた。

母親は入来院重聡の娘で、同母弟に島津義弘島津歳久、異母弟に島津家久がいる。

規格外ともいえる程の素質を持った弟達(自身も規格外)と精強な軍団を束ねて九州を圧巻し、

九州制覇をあと一歩のところまで成し遂げた人物。

また豊臣秀吉徳川家康と言った三英傑相手に渡り合った最高峰の政治家としてその名を

後世に残している。

幼少期は大人しい性格で、優秀な弟たちと度々比較され将来を不安視されたが、

祖父・島津日新斎をもってして「三州の総大将たるの材徳自ら備わり」と評価されていた。

九州での戦い

天文23年(1554年)に初陣を飾り、永禄9年1566年、父の隠居により家督を相続し、

島津家第16代当主となる。

その後、的確な配置と弟たちの活躍もあり、木崎原の戦いなどを勝利して大隅、薩摩、日向の

三州統一と成し遂げる。

そして九州の巨頭の一人である大友宗麟と対峙することとなる。両軍譲らずの拮抗した戦いと

なるが、耳川の戦いにて勝利し、大友氏を圧倒し領地を盤石なものとした。

その後九州の最後の巨頭である龍造寺隆信率いる軍団を沖田畷の戦いで撃破した。

豊臣・徳川政権下

その後は九州制覇あと一歩の所で、秀吉による九州征伐は行われ、結果として秀吉に恭順する姿勢を取った。

秀吉政権下においては義久と義弘を仲たがいさせて島津家の瓦解を謀ろうとされたが、

「両殿体制」という形で乗り切り、関ヶ原の戦いの際は西軍に属して敗北し、

徳川家康からの苛烈な交渉にも「病気で来れない」だの「お金がなくて行けない」と伝えて、

のらりくらりとかわして、終には西軍唯一の領土安堵という破格の条件を得る。

そして、慶長16年(1611年)に病死した。享年79。

逸話

  • 徳川家康は義久に興味があったようで、義久のに当たる島津豊久から話を聞き及び、義久の事を楠木正成に負けず劣らずの采配だと感心したとされている。
  • また徳川家康によって違う時に今度は義久自ら招かれた際に、義久自身の軍功話を聞かれたときに「弟の義弘や家久、従弟の以久(忠将の子)や忠長(尚久の子)らの一族に新納忠元らの家臣団を遣わせて合戦し、勝利をおさめたというだけであって、自分の働きなどひとつもない」と答えたとされ、家康はそれに対して「自らが動かずして、勝つことこそ大将の鑑よ」と感心したという。

戦国無双

武器:槍(2と4Empries) 刀剣(3と4) 声:神谷浩史(2) 山田真一(3) 金本涼輔(4)

「島津四兄弟長兄・義久。非才ながらお相手いたす!」(Empriesでの特殊台詞)

「占いにもそう出た。人はな、運命には逆らえぬのだ」(3:島津義弘の章・九州征伐より)

「わしは島津義久!名門・島津家の頭領なり!成り上がりのサルに屈することなどできぬ!」(4:天下統一の章・九州征伐より)

薩摩の戦国大名島津家の当主で島津四兄弟の長兄。『2』で秀吉の九州征伐では敵大将として出現するが、いざ戦うと弟達も加勢する。義弘と薩摩兵を率いて島津家の天下争奪戦に乗り出したり、『2Empires』で家康に“大将の鑑”と称されるなど、一般武将ながら存在感があり、野心家の義弘も義久には従順であったりするなど独特な雰囲気をかもし出している。

『3』では史実の占い好きの側面を取り入れており、豊臣軍に勝利した義弘に対して占いの結果で秀吉に降伏する事を勧めるなど一種の運命論者としての描写もなされた。

3Empriesでも当主として登場しており、あくまでも阿蘇家の義理の為に戦場で討死した相良義陽の最期を称賛した。またムービーでは四兄弟揃って猫を飼っている。

4では九州を囮に使う事で攻めてきた秀吉に対して本領安堵の策を狙う一方で秀吉の事を成り上がりのサルと呼んでいる。4Empriesでは歳久、家久同様に固有武将の1人として登場した。

コメント

コメントが未記入です

pixivに投稿されたイラスト

すべて見る

pixivに投稿された小説

すべて見る
  • 月飼い(弘久の場合)

    きよこには約束、大友は成長、弘久は憧憬 未来、現在、過去といった感じ。(何故遡るのだ、何故) 月飼いシリーズおしまい。 ※ブクマ、評価、本当にありがとうございます。
  • お昼寝日和

    「おやすみ」 御平と義弘たちが仲良しだったらいいのに。そんな妄想話。 義弘はおじさん、歳久から下はお兄ちゃんという認識だと萌える。私が。
  • 南瓜祭が告げる郷愁

    三千世界で再び出会った戦国期島津の四兄弟がハロウィン参加について会話するお話。 祝・英傑大戦に島津家実装! 戦国大戦時代から大好きな島津家が遂に英傑大戦に来てくれたので、嬉しくてSS1本書いてみました。 ハロウィン台詞で義弘と家久が仮装の話をしていたので、それを題材にしています。 (通常セリフも早く聞きたいですね…!) 話は長兄義久視点がメインで、話の主軸は家久になっています。 史実の知識は無くても、多分大丈夫です。 面白いオチとかはないですが、四人で仲良くして欲しいなーと思って書いたので、ほのぼのした感じになっていればいいなと思っています! 最後に、以下の点をご留意いただけると助かります。 ・このSSは英傑大戦の世界線、三千世界が「死後の世界」であると想定して書いています。 ・島津義弘、島津家久のハロウィン台詞のネタバレがあります。 ・2023年11月時点で作者がわかっている範囲の内容で書いています。今後登場する群雄伝などで矛盾が出るかもしれません。 ・1から10まで妄想のため、史実と齟齬があるかもしれません。片目を瞑ってお読みいただけると幸いです。
  • 【島津次長】鏡

    次長短編小説です。
  • 世界で一番最後の龍

    この絵本、本当に好き。 ※ブクマ、評価、本当にありがとうございます。龍伯様が龍になる話はよ。はよ。
  • 毒のように

    ひたすら乙女な兄ちゃんしかいません。かっこいい義久兄ちゃんが好きな方はご注意ください。
  • おじいちゃんの為にならないお話。

    私は泣くことしかできなかった。 ※ブクマ、評価、本当にありがとうございます。島津可愛すぎてもう…もうっ…!!
  • 愛しきこと尽くしてよ

    同テーマで三つの夫婦のお話。島津義久×亀寿の母、細川忠興×ガラシャ、島津義弘×宰相殿。5月のSCC無料配布ペーパーから。
  • 創作戦国

    何も知らない

    島津家でまたちょっとかいてみる。歳久と義久。秀吉の九州征伐終わった辺り。だった気がする。歳久って秀吉の籠に矢を射ったりしたんだぜ!って話。
  • かいこ作品一覧

    我が君【かいこ】

    義久と義弘の晩年のお話。シリアスにするつもりでしたが、力及ばず…およそ全てが妄想です。単なる兄弟話のはずだったのに、なんか弘→久でフラグ立っている気がするアッレー?年齢的には老人同士のお話ですが、かいこ様なんでビジュアルはアレでよろしくです(オイ)/呼称について。義久⇒龍伯、義弘⇒惟新、家久⇒中務、豊久⇒又七郎、忠隣⇒三郎次郎、忠恒⇒少将です。…ほとんど使われないですけどね(死)
  • 【かいこ】亦心たらずや【久→弘】

    義久→義弘の短文です。タイトルを都合よく訳すなら「なんと(人の)感情らしいことだろう」…的な?(…)
  • 近いッ!

    長男次男の小咄です。短いです。
  • 【島津次長】何が何やら

    次男が切れてる次長短編です。
  • 君世界

    君の世界を理解する為に ⑦~⑩

    続き。upが遅くなってしまった……!まだまだ旅する三成さん。
  • あんた食いたい

    兄弟かわいいよ兄弟
  • 戦国乱世~天下布武~2

    番外編「木崎原の戦い」

    島津四兄弟らが登場します。(義久、義弘、歳久、家久) 実は天正遣欧少年使節の一人が登場します…。
  • 救いか、

    願望か。かいこさん家の歳久と義久のお話。島津関係の本は数冊しか読んでいませんので、かいこさん家の島津での考察からの妄想が主です。暗いです
  • 【腐向け】かいこ:弘久弘

    荒らぶって書き散らした弘久弘な短文ですよ!いちゃらぶしとりますが兄ちゃんはぴろたんをいじめたくてしょうがないと思うんです^^^^ ■タグいじりありがとうございますー!私の荒らぶった萌が伝わったようで嬉しいです!(笑) ん、確かに読み返してみたら久弘に見えますねww

このタグがついたpixivの作品閲覧データ

島津義久
9
編集履歴
島津義久
9
編集履歴