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大森一樹

おおもりかずき

日本の映画監督、脚本家。
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概要編集

1952年3月3日生まれ。大阪府大阪市東住吉区出身。

少年時代は手塚治虫真崎守といった漫画に打ち込み、高校時代に映画監督を目指して自主製作映画を制作し、村上知彦と知合う。

大学在学中の1973年から、村上や西村隆らと映画自主上映グループ「グループ無国籍」を結成。新開地の映画館で邦画のオールナイト上映企画を行った。また、やはり大学時代に完成させた16ミリ映画『暗くなるまで待てない!』が、自主映画ながらキネマ旬報ベスト10で21位に入るなど、高く評価される。

1978年、前年に第3回城戸賞を受賞したシナリオを自ら監督した『オレンジロード急行』で商業映画デビュー。

1984年からの吉川晃司主演「民川裕司3部作」以降は娯楽映画も撮れる職人監督として東宝から信頼を集め、1980年代後半には斉藤由貴主演映画を担当。シリーズで初めてフリーランスの監督を起用した『ゴジラVSビオランテ』など自主映画出身ながらもプログラム・ピクチャを撮れる若手監督として注目されるようになった。


デビュー以来一貫して関西を拠点に活動し、1995年には阪神淡路大震災で被災し自宅マンションが半壊するも、近くの小学校で仮住まいしながら復興活動に尽くし、翌週には『緊急呼出し エマージェンシー・コール』の撮影のためフィリピンマニラに飛び、帰国早々『ゴジラVSデストロイア』の設定シナリオを書き上げている。


2022年11月12日、急性骨髄性白血病のため、兵庫県西宮市内の病院で死去。享年70歳。


ゴジラシリーズとの関係編集

1989年ゴジラVSビオランテ』でゴジラシリーズに深くかかわるようになる。同作および『ゴジラVSキングギドラ』は平成ゴジラシリーズの方向性を決定づけたとされる。大森自身は、『ビオランテ』は大張り切りであったが、『キングギドラ』は苦し紛れの開き直りであったと述懐している。


『ビオランテ』当時はSFXが流行していたことで、大森も特撮について勉強していたが、監督と特撮監督が対等な立場であったことには驚いたという。撮影においては、特撮班と揉めるようなことはなく、互いにアイデアを取り入れるなど強調できていたと語っている。一方で、特撮シーンは特撮班の担当となるため、監督として主役のゴジラやクライマックスを撮影できないことは致命的だといい、特撮部分にも目を通したいと述べていた。


幼少期に鑑賞した『モスラ対ゴジラ』に感銘を受けたといい、モスラが登場する『モスラVSバガン』(未製作)や『ゴジラvsモスラ』の脚本を手掛けたほか、『ビオランテ』も女性的な怪獣のイメージや戦闘シーンの多さなど影響を受けているという。

スケジュールの都合で監督は断念した『モスラ』では、自身で監督を務める意志もあったといい、モスラに思い入れがあったことから残念であったと述べている。


自身の映画の原点として『海底軍艦』を挙げており、晩年に至るまでやりたい映画のひとつと語っていた。


監督作品編集

自主制作作品編集

  • 1969年『革命狂時代』(製作・監督・脚本・撮影・編集)
  • 1972年『ヒロシマから遠く離れて』(企画・監督)
  • 1972年『空飛ぶ円盤を見た男』(監督・脚本)
  • 1972年『明日に向かって走れない!』(製作・監督・脚本・撮影・編集)
  • 1974年『死ぬにはまにあわない!』(監督・脚本・撮影)
  • 1975年『暗くなるまで待てない!』(監督・脚本)

映画編集

  • 1978年『オレンジロード急行』(企画・監督・脚本)
  • 1978年『夏子と、長いお別れ(ロング・グッバイ)』(企画・監督・脚本)
  • 1980年『ヒポクラテスたち』(監督・脚本)
  • 1981年『前立腺の病気と予防』(監督・脚本)
  • 1981年『尿路結石と微小発破』(監督・脚本)
  • 1981年『風の歌を聴け』(監督・脚本)
  • 1984年『すかんぴんウォーク』(監督)
  • 1985年『ユー・ガッタ・チャンス』(監督)
  • 1986年『テイク・イット・イージー』(監督)
  • 1986年『恋する女たち』(監督・脚本)
  • 1987年『トットチャンネル』(監督・脚本)
  • 1987年『「さよなら」の女たち』(監督・脚本)
  • 1989年『ゴジラvsビオランテ』(脚本・監督)
  • 1989年『花の降る午後』(脚本・監督)
  • 1990年『ボクが病気になった理由』(監督) ※オムニバス作品
  • 1991年『満月 MR.MOONLIGHT』(監督)
  • 1991年『ゴジラvsキングギドラ』(脚本・監督)
  • 1992年『継承盃』(監督)
  • 1994年『シュート!』(監督)
  • 1995年『大失恋。』(監督)
  • 1995年『緊急呼出し エマージェンシー・コール』
  • 1996年『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』(監督)
  • 1997年『ドリーム・スタジアム』(監督)
  • 1998年『ジューンブライド 6月19日の花嫁』(監督・脚本)
  • 1999年『明るくなるまでこの恋を』(監督・脚本)
  • 2000年『ちんちろまい』(監督・脚本)
  • 2000年『風を見た少年』(総監督)
  • 2000年『ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説』(監督・脚本)
  • 2001年『走れ!イチロー』(監督・脚本)
  • 2003年『T.R.Y.』(監督)
  • 2005年『劇場版 超星艦隊セイザーX 戦え!星の戦士たち』(監督)
  • 2006年『悲しき天使』(脚本・監督)
  • 2008年『みんな、はじめはコドモだった「イエスタデイワンスモア」』(脚本・監督)
  • 2010年『世界のどこにでもある、場所』(脚本・監督)
  • 2011年『津軽百年食堂』(監督・脚本(共作))
  • 2015年『ベトナムの風に吹かれて』(監督・脚本)

テレビドラマ編集

  • 1985年『法医学教室の午後』(監督・脚本)
  • 1985年『それいけ!ズッコケ三人組』(各話監督)
  • 1986年『法医学教室の長い一日』(監督・脚本)
  • 1988年『女優時代』(監督)読売テレビ
  • 1995年 フジテレビ・金曜エンタテイメント『炎の料理人 周富徳物語』(監督)
  • 2001年 BS-iTBS『最悪』(監督)
  • 2007年 WOWOW・ドラマW 『黒い春』(監督)WOWOW
  • 2014年 テレビ大阪『装甲巨人ガンボット』(本編演出・製作統括)

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