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マリ共和国

まりきょうわこく

西アフリカに位置する共和国
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概要編集

首都バマコ
面積124万平方Km
人口2259万人(2022年7月)
建国1960年9月22日(フランスより独立)
公用語フランス語
通貨CFAフラン(1ユーロ=655.957CFAフランの固定レート)
国家元首(職)大統領
政体半大統領制 共和国

マリ共和国(マリきょうわこく、フランス語:République du Mali、通称:マリ)は、西アフリカに位置する共和国。

西はセネガル、北西部はモーリタニア、北東はアルジェリア、東はニジェール、南東はブルキナファソ、南はコートジボワール、南西はギニアと接する。


北部はサハラ砂漠から広がる乾燥地帯。そのため、中南部を流れるニジェール川沿いに都市が点在し、首都のバマコを筆頭に、トンブクトゥ、ガオ、ジェンネなどのかつての交易都市が存在。主要産業は農業だが、ウランなどの鉱山資源が豊富で、日本はウランに関してマリと独占契約を締結している。

しかし、内紛による情勢不安が続き危険な状態。そのため、日本の外務省は全域に退避勧告を発令。


歴史編集

起源編集

この地域は北アフリカの交易の要衝で、これを背景に古くから王国が栄えた。8世紀から12世紀にはガーナ王国が勃興したが、やがてベルベル人のムラービト朝が征服し、一帯はイスラーム化が進んだ。13世紀から16世紀には国名の由来ともなったマリ王国が栄え、トンブクトゥは黄金の都として西ヨーロッパにも知られた。その後はソンガイ帝国が成立するが、1591年3月に滅亡した。


フランス統治時代編集

1880年9月にフランスはオー・セネガル植民地を設立し、1890年8月にこの植民地はフランス領スーダンに改称された。1904年10月に首都はバマコへと移転し、その後は1958年11月にフランスの自治国となった。


独立編集

1960年6月に隣接するセネガルと共にマリ連邦を結成し、フランスから独立した。しかし同年8月にセネガルが連邦から離脱した為、9月にマリ共和国と改称した。1968年11月以降は軍事政権が続き、1991年3月に民主化が進んだ。


近況編集

2012年3月に発生した軍の反乱を契機に北部でいくつかの武装勢力が蜂起した。国土を南北に二分する状態となり、2013年1月に旧宗主国のフランスが軍事介入を実行したが2022年に撤退。その後はマリ国軍・トゥアレグ武装勢力・イスラム過激派の三つ巴の激しい戦闘が続いている。


国際関係編集

  • アメリカ合衆国

1960年9月に外交関係を樹立し、歴史的には友好的な外交関係であった。2012年3月に発生した軍事クーデターを受けて、アメリカはマリとの軍事関係を正式に停止した。


  • ロシア連邦

旧ソ連時代の1960年10月に外交関係を樹立し、モディボ・ケイタ大統領は緊密な両国関係を求めた。1961年3月に両国は経済・貿易・文化に関する協定を締結し、ソ連はマリに対して2機のイリューシンIl-18型旅客機の取得を含む融資とその他の援助を供与した。文化協定ではそれに基づき、ロシアはサーカスのパフォーマー・スポーツのコーチ・サッカーチームをマリ共和国に派遣した。


2019年6月にロシアとマリは軍事協力に関する協定を締結した。セルゲイ・ショイグ国防相は「我々の意見では軍事関係の強化は両国の利益になる」と述べ、この合意が防衛部門における両国関係の強化に役立つ事を強調した。


日本との関係編集

1960年10月に外交関係を樹立し、概ね友好的な外交関係を築いている。2012年4月に反政府勢力のアザワド解放民族運動が一方的な独立宣言を実行した時、日本政府は既存の国境の尊重という基本原則に基づいてアザワドを非難していた。


2014年5月に学術協定を締結し、マリの文化財の保護・研究・教育・普及に関する協力関係が築かれた。


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