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たけし軍団

たけしぐんだん

ビートたけしを中心とした芸人集団
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概要編集

お笑いタレント、ビートたけし弟子入りした芸人らによるグループ。


1983年に正式に結成、名前の由来は石原軍団(石原プロモーション)から。


これまでに所属していたメンバーは総勢100名以上にも及ぶ大所帯であるが、半数以上が芸能界引退・離脱している。


メンバーは一軍・二軍(初期〜1980年代に所属)・三軍(86年に所属)と若手(それ以降に所属)に分けられ、たけし本人に心酔し弟子入りした者、芸能界デビュー後にたけしにヘッドハンティングされた者、デビューの入り口として加入した者などで構成されている。


メンバーはたけしのことを「殿」と呼び、単純な師匠・弟子の関係とはまた異なる捉え方をしている。

初期は芸歴に関係なくタメ口で話すなど比較的緩い雰囲気であったが、弟子入り志願者が殺到したことにより、直接たけしの弟子になるのではなく、上下関係に厳しいダンカンが弟子をとることで、ふるいにかけている。


独特の芸名を持つメンバーが多いことが特徴(後述)

これは「芸人としてやっていく覚悟を試す」ためとしている。また、軽い気持ちで弟子入りを志願した者を諭すためでもある。ただし、すべてのメンバーの命名をたけしが行っているわけではない。


初期はたけしの所属する太田プロに所属していたが、オフィス北野(現:TAP)設立後はそちらに移籍している。また、たけしがオフィス北野を退社した際に一部のメンバーが退社・移籍している。


これに関連して、一部メディアでオフィス北野所属のタレントを俗に「たけし軍団」と称する場合があるが、実際にはオフィス北野にはたけし軍団以外のタレントも数多く所属している。


メンバー編集

基本的に一軍と若手に分かれており、一軍は結成当初に在籍していた者である。


一軍編集


若手編集


脱退編集



結成の経緯編集

そもそも、たけし軍団結成は、たけしが野球好きなことから、草野球のメンバー集めとして始まったものである。

たけしの一番弟子である東国原英夫(後のそのまんま東)と大森うたえもん(「ツーツーレロレロ」)、松尾伴内柳ユーレイ(現:柳憂怜)ら弟子たちと、立川談志の元からダンカンがたけし門下に入り、たけしの出演する番組でグループでの活動を始めるようになる。


また、草野球チームに参加したことをきっかけに「カージナルス」として活動していたガダルカナル・タカ(当時は「タカちゃん」)とつまみ枝豆、太田プロに所属する芸人であった井手らっきょ(当時は「井手博士」)がメンバーとなり、8人体制で活動するようになる。


オフィス北野の元社長(現取締役)である森昌行氏の発案で、『アイドルパンチ』『スーパージョッキー』において「たけし軍団」と名付けられた。


その後、『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聴いてたけしの才能に心酔した、グレート義太夫ラッシャー板前も加入する。ここで10人体制となる。この10人をプロ野球に準え「一軍」と称し、以降二軍・三軍と続いていくこととなる。


二軍として「たけし軍団セピア」(一世風靡セピアのパロディ)、三軍として「浅草キッドブラザーズ」→浅草キッド(東京キッドブラザーズのパロディ)がおり、オールナイトニッポン後のたけしのいわゆる「出待ち」をしていた若者を中心に、多くの弟子入り志願者が門を叩いた。


1986年フライデー襲撃事件の際には当時の一軍・二軍のほとんどのメンバーが参加し、事件後にたけしと共に謹慎となっている。


二軍はサード長嶋を除いて芸能界から引退状態にある。その長嶋も軍団からは離脱している。


三軍だった浅草キッドブラザーズは「フランス座」からの要請で弟子たちの中から数名が修行に出される形で結成されたが、厳しい環境から分裂状態になり、水道橋博士玉袋筋太郎以外は離脱・引退している。


それ以降の弟子(「若手」と称される)として、代表的な者にガンビーノ小林なべやかんお宮の松ゾマホン・ルフィン(元2代目そのまんま東)などがいる。


また、メンバーの芸名は、多くがたけしと軍団が酒を呑んでいる最中に決められたものである

例外として、ダンカンは落語家であったころに談志に命名された「談かん→ダンカン」をそのまま使っているが、たけしからはふんころがしと命名された。なべやかんは明治大学替え玉受験騒動を受け、高田文夫から(父のなべおさみに合わせる形で)二部=夜間にかけて命名された。


これは「芸人は名前なんか関係なく、自分の芸で勝負しろ」という彼の哲学、「あいつら、ぜったい後世に名前なんか残せないようにしてやる」という悪戯心、そして、彼の愛情が込められている


活動編集

80年代後半のバラエティ番組では『風雲!たけし城』など、引っ張りだこの存在であったが、フライデー襲撃事件の後に仕事が減少。

その後も年月を経てメンバーの方向性がバラバラになったこと、たけしの仕事も比較的堅い雰囲気の教養番組などが増えたこともあって、たけし軍団が集まって仕事をする機会は年々減っていった。


2004年に一旦解散宣言がなされたが、これは曖昧なものであり、そのまんま東のように「軍団の仕事が減って自然解散になった」とする者や、「明確に解散しているわけでもない」とする者もおり、見解はまちまちである。


グレート義太夫は2016年にSMAP解散騒動に絡めて「絶対殿が『たけし軍団解散』とか言い出しそうだよね(笑)」とTwitterで発言しており、彼の認識では「たけし軍団は解散していない」という前提に基づくものであると推測される。

2018年にたけしがオフィス北野を退社した際には、一軍メンバーに持ち株を分配した。

2020年現在、たけし軍団としての仕事は減少傾向にある。ただし、たけしや軍団メンバー同士で共演することはある。


関連タグ編集

ビートたけし オフィス北野 お笑い芸人


ザ・ドリフターズ…たけしによるとたけし軍団の結成にはドリフターズの影響もあるという。


北野ファンクラブ:かつてフジテレビで放送されていたたけしと高田文夫とのフリートークがメインの深夜番組。ピー音なしで放送ギリギリの替え歌を披露するコーナーがあった。全裸は日常茶飯事。フジテレビの系列局でも放送しなかったところが少なくない


北野まんぐり講座:深夜バラエティ番組『足立区のたけし、世界の北野』の名物コーナー。 視聴者から寄せられた疑問を解決するため、AV女優が参加する実験にたけし軍団が挑戦、成功する度に脱衣を行い衣服が一枚一枚減っていった。(脱いでもらえるのはブラジャーまででありパンツを脱がすことはできない。)当初は最初からトップレスとビキニパンツで登場して乳首も披露していたが、乳首にニプレス→乳首は北野マークorひまわりマークで隠されることとなった。


最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学:かつてビートたけしが司会を務めていた医療系バラエティ番組。たけし以外のたけし軍団のメンバーがゲスト出演することも多かった。


風雲!たけし城:たけし軍団が出演していた人気バラエティー番組。TBSチャンネルで不定期的に再放送されている。クリントン元アメリカ大統領などがファンであることを公言していた。

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