僕はフミコフミオ。食品会社の営業部長だ。中小企業なので新規開発営業だけでなく、既存のクライアントとの交渉も一部、任されている。僕と同じフミオという名前を持つ首相が、春闘の集中回答日に大手企業の「満額回答」「満額を超える回答」といった良い感じの回答が相次いでいることを受け、中小企業の賃上げの流れを期待したい、という内容のコメントを出しているのをニュース番組で見た。僕は大手の満額回答も、首相のコメントも、冷凍倉庫にいるような冷めた気持ちで受け止めていた。確かに、中小企業からの製造コストや労務コスト増大を転嫁した価格アップ要請を不当に排除することは禁止されており、悪質な企業は公表されることになっている。僕のXのポストにもそういうレスがついている。
ウチの会社からの値上げ要請を受け付けなかった大企業様が満額回答で賃上げしている様子を冷めた目で見ている。世の中小企業なんてこんなものではないかな。
— フミコ・フミオ (@Delete_All) 2024年3月13日
だが、実際に中小企業の交渉役となって、大手企業に価格交渉をした経験のある人ならわかるはずである。そんなにはうまくいかないことを。実際は一見クリーンでグレーな取引に持ち込まれて有名無実化されていることを。こんなことがあった。昨秋、とある大手企業との価格交渉に臨んだ。加工食品を入れさせていただいている仕事で、食材高騰と適正な労務費をカバーするために、その分を価格に転嫁するしかなかった。事情を懇切丁寧に説明した。今の価格では採算が取れません。パートスタッフの時給アップをしなければ生産量を維持できません。正当な利益を確保しなければこの仕事を続けられなくなります。必死に交渉した。大手担当者は親身になって話を聞いてくれた。そして交渉の終わりに「うん。確かに。苦しいよね。私たちも御社にはこれまでお世話になっています。事情はわかっているつもりです。前向きに検討させてください」といって新価格の記載された見積書(理由書付き)を受け取ってくれた。数日後。担当者から「検討の結果、コンペを行うことになりました」という連絡が入った。当社も含めて5社に声をかけたので、見積書と商品サンプルを指定日までに持ってくるようにと告げられた。プレゼンの機会はなかった。結果は失注。年明けからは他社の同様の商品が納められている。「これは労務費転嫁価格アップを排除しているのではないか?」と問い詰めたが、否定された。「もしそうなら、以前の価格のままでお願いしますとお願いしているはずです。私はそんなお願いはしていませんよね」と言われた。ウチが出した価格改訂案はコンペのきっかけですらないと言われた。「契約から5年経ったのでコンペを実施する時期だった」「今回決定した会社様の商品ですが、品質が5社中トップの評価でした。そのうえたまたま一番安かったのです。ウチにとってはラッキーでした」と説明された。あくまで質。値段が決め手ではない。とのこと。閻魔様に舌を抜かれないといいですね。「前向きに検討します」は「業者切り替えを前向きに検討します」の意味だった。ていうかクソ安い価格で受注する会社があるから、中小は大手になめられるのだ。中小の敵は中小なのだと改めて思い知らされた。まあ、この件については価格アップ交渉をする段階でポシャるのを覚悟していた。なので交渉の席についたときには、別の販路を確保していたからよいものを、こんなのは氷山の一角だろう。いくつかの大手は、こうした素晴らしくクリーンな取引で、中小からの値上げアップを排除し、利益を確保して賃上げをおこなっている。この件の大手も賃上げだそうで。ビバ!満額回答!めでたい!こんなんで中小が大手に続いて賃上げできるわけがない。(所要時間21分)