京極夏彦「書楼弔堂」シリーズ完結作。明治20年の『霜夜』では、時代の変化と本の価値を描く【書評】

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PR 更新日:2025/1/20

書楼弔堂
書楼弔堂 霜夜』(京極夏彦/集英社)

 乱暴に言ってしまえば、本など、ただ紙の束に文字が書かれているだけのもののはずである。だが、ひとたびページをめくった時、どうして私たちはこんなにも、そこに立ち上がる世界に魅せられ、惑わされ、心揺さぶられるのか。——そんな本というものについて思いを馳せずにはいられない、京極夏彦の「書楼弔堂」シリーズが、最新刊『書楼弔堂 霜夜』(京極夏彦/集英社)でついに完結する。古今東西の本が揃うと評判の書舗を巡るこの物語は、本好き、文学好き必読。書籍流通が劇的に変化した明治という時代を描くこの物語を読んでいると、本が自分の手に届くようになるまでの歴史に思いを巡らせずにはいられず、また、そんな本たちが人々に与えたであろう影響に静かな興奮を感じずにはいられない。

 この物語は、軒に下げられた簾に「弔」という一文字が墨痕鮮やかに掲げられている書舗「書楼弔堂」が舞台だ。書舗なのにどうして、「弔」なのかといえば、主曰く、「凡ての本は、移ろい行く過去を封じ込めた」墓のようなものであり、読書とはそこに葬られている何かの幽霊を見るようなものだから。自分にとって本当に大切な幽霊はただの一つで、それに巡り合うために人は読書遍歴を重ねるのだとその人は言う。そして、その主は、探書に訪れた迷える客たちにその人だけの一冊を授けていく。

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 京極夏彦はこのシリーズの主人公は「書籍流通の変遷」だと語るが、第1作『破曉』の明治25年(1892年)から始まり、そこから5年ずつ『炎昼』、『待宵』と紡がれるこの物語は、まさに、日本の出版史における重要な変化を描き出している。最終巻となる最新第4作『霜夜』で描かれるのは、明治40年(1907年)、故郷で居場所をなくし、逃げるように東京に出てきた甲野という青年の姿だ。印刷造本改良会という会社で働き、字を書くことになった甲野だが、実は自分が何をするのかよく分かっていない。だが、「書楼弔堂」へ行けと雇い主から言われるがままにこの書舗を訪れて、ようやく自らが、活版印刷に用いられる金属活字の元になる字を書くのだということを理解する。この時代、書籍流通の仕組みはほぼ完成している。鉄道が敷かれ、本の大部数発行が実現して、新聞、雑誌、書籍が、日を置かずに国中に行き渡るようになった。鉄道の発展により、車内で読書が可能になり、黙読の習慣も生まれた。歴史を知らぬと、それまでは音読が当たり前だったという事実にさえギョッとさせられるが、黙読の定着によって、読書はいつでもどこでも気軽にできるものとなり、読書人口は増加。本は商材となり、さらに読みやすくどんな文章にもなれる文字が必要となった。だから、読みやすい活字が必要なのである。活字とは何か。複製されたものに価値はあるのか。本を永遠に残すことはできないのか。人を本にのめり込ませるために書き手が、紙屋が、印刷屋ができることは何か——弔堂店主と、その場に偶然居合わせた客たちの会話に耳を傾けながら、書籍の印刷について何も知らない甲野は、あれこれ考えを巡らせていく。その姿に、私たちも、明治という時代の変化に圧倒されながら、本というものの持つ価値について改めて考えさせられるのだ。

 そして、このシリーズの魅力は、弔堂を訪れる偉人たちの姿だ。過去巻でも、小説家・泉鏡花、思想家・平塚らいてう、画家・竹久夢二など、名だたる歴史上の人物が客として弔堂を訪ねてきた。たとえば、最新刊では、立派な口髭を蓄えた、優しそうな紳士が新しい仕事に戸惑う甲野に「活字」というものの魅力を説く。弔堂から「先生」と呼ばれるその人物は「先生は止してくれないか。もう教職は凡て辞したのだからね」といい、「兎角この世は生き難いですよ」「猫のように生きたいものさ」などと言うから、文学好きならば、「もしかしてこの人って……」と思わず頬が緩むのではないだろうか。そして、章の末尾では、種明かし的に客の正体が明かされ、その後にその人物が成し得たことが語られると、明治という時代をすぐ近くに感じ、心にジーンときてしまう。最新刊ではその他、朝の連続テレビ小説「らんまん」で描かれたあの人や、近代日本美術の確立者と言われるあの人、国語辞典編集の大家となったあの人なども登場。偉人たちは何を感じ、何に悩み、何を語るのか。弔堂店主と客、甲野の会話に、心の高揚を感じずにはいられない。

 しかし……最新刊は、最終巻でもある。読み終えた後は、心にぽっかり穴があいたような気分にさせられた。だが、そんな寂しさと同時に感じたのは、本との出会いは、奇跡なのだということ。このシリーズにだって、本当に出会えてよかった。あなたにとっても、きっとこの本が、このシリーズが、かけがえのないものになるはず。奇妙な書舗「書楼弔堂」がひもとく世界は、きっとあなたにとっても忘れられないものとなるだろう。

文=アサトーミナミ

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