森見登美彦氏の名作『夜は短し歩けよ乙女』。乙女と先輩の「恋と青春」を彩る京都の四季に憧れる! #京都が舞台の物語
公開日:2025/1/11
京都という街は、時を越えた憧憬を人々に抱かせる。神社仏閣の静寂、歓楽街である木屋町や先斗町の喧噪、鴨川の河川敷に等間隔で座るカップルたち。京都で学生時代を過ごした人間には、ただの風景以上の意味を持ち、“京都の生活”に憧れる人にとっては夢を映す場所となる。『夜は短し歩けよ乙女』(森見登美彦/角川文庫)は、そんな京都を舞台に、大学生たちの青臭さと恋心、そしてノスタルジーが交錯する青春を描いた物語だ。
「黒髪の乙女」に想いを寄せる「先輩」は、彼女の気を引くため不器用に秋波を送り続ける。一方の乙女は、先輩の想いに気付くことなく、行く先々で出会う珍事件を自由気ままに楽しんでいく。夜の先斗町、下鴨神社の古本市、大学の学園祭――先輩の一途な気持ちは、果たして彼女に届くのか。
大正時代の流行歌の一節、「いのち短し恋せよ乙女」をもじって名付けられた本作は、「黒髪の乙女」と「先輩」の視点が交互に切り替わりながら進んでいく。全4章で構成され、章ごとに春夏秋冬が移り変わり、それぞれ季節を象徴する京都の街並みが舞台となっている。
作中では黒髪の乙女と先輩の大学名について明言されていない。しかし、著者である森見登美彦氏が京都大学出身であることから、おそらく京大生をモデルにしているのだろう。学生生活の描写には、大学時代を京都で過ごした書き手ならではのリアリティがある。たとえば、第一章「夜は短し歩けよ乙女」には、黒髪の乙女が“中年の殿方”東堂さんに出会ったBAR「月面歩行」が登場する。実はこの店、モデルがある。その名も「bar moon walk」。すべてのカクテルが250円で飲めるため、京都の大学生が二次会や三次会で必ずお世話になる店だ。実際に筆者も京都の大学を卒業した身だが、この場面を読んで、「そうそう! あの辺で飲んだあとは絶対ムーンウォークに行くんだよ~!!」と、あの頃のどんちゃん騒ぎが蘇ってきた。物語全体に“京都の大学生あるある”がちりばめられているため、「もし京都で青春を送ったなら」と追体験するような感覚を味わえるだろう。
主人公たちの前には、個性豊かなキャラクターたちが次々と登場する。金持ちの謎の老人「李白」、天狗を自称する大学8回生の「樋口」、そして大酒飲みの美女「羽貫」など、一癖も二癖もある面々ばかりだ。さらに、「あの人とあの人がじつは…」という思わぬ展開もあり、先輩と黒髪の乙女の視点を通じて描かれる一種の群像劇とも言える。
主人公2人が体験する奇妙で愉快でファンタスティックな事件は、本作の魅力のひとつ。しかし、この物語に「あの頃のノスタルジー」をより一層際立たせている要素がある。それが“文体”だ。日本の近現代文学に見られるような、言文一致体に近い文体――いわゆる文豪っぽい文体で書かれており、「河岸を変えよう」など、最近ではあまり目にしなくなった奥ゆかしい日本語を味わえる。その古風な言い回しに、失ってしまったロマンを感じるはずだ。少々読みにくそうな語り口に思えるかもしれないが、ストーリーが“オモチロ”おかしく展開されるため、自然と作中の世界観に引き込まれてしまう。随所にちりばめられたクスッと笑えるブラックジョークも彩りを加えている。
現実と幻想が行き交う京都の街で、青春が綴られる『夜は短し歩けよ乙女』。読み終えた後には、作中に登場する場所を実際に歩き、その空気に触れたくなるはずだ。
文=倉本菜生
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