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このハヤカワがスゴい!

 オススメ本をもちよって、まったり熱く語り合うスゴ本オフ、今度は「ハヤカワ」だ。

 つまり、早川書房が肴だ。SF、NV、JA、HM、NF、FT、epi、演劇、もちろんハードカバーやミステリマガジンもOKだ。それではと、ハヤカワ・マイベストを選ぼうにも……これがすっごく難しい。「この新潮文庫がスゴい!」と同じで、素晴らしい本がありすぎるのだ。

 「ハヤカワといえばSFだろ常識的に考えて」、「ハヤカワといえばミステリの王、いや女王」という意見がある。全面的に賛成……なのだが、わたしの傾向では、NV(ノヴェル)やNF(ノンフィクション)を好んで読む。シリーズ丸ごと推したいのがハヤカワepi文庫。epiとは、"epicentre"の略で、「震源」のこと。海外小説の素晴らしさを伝える発信源たる思いが込められているという(こっそり「よりぬきハヤカワさん」と呼んでいる)。スゴ本が、傑作が、徹夜小説があまりに多すぎる。

 なので、ここではレーベルごとにマイベストを無理やり決める。異論は認める。「それを推すならコレも!」とか、「ひょっとしてコレ未読?」と、言いたいことは沢山あるだろう。「このハヤカワがスゴい!」あなたのオススメを教えてください」で受け付けるので、思いのたけをどうぞ。

■ハヤカワNV  「シャドー81」 ルシアン・ネイハム

シャドー81 スリルとスケールたっぷりの極上エンタメ。新潮文庫で絶版→ハヤカワで復刊して、わたしを狂喜乱舞させた曰くつきの傑作。

 プロットは極めてシンプル。表紙がすべてを物語る、最新鋭の戦闘機が、ジャンボ旅客機をハイジャックする話。犯人はジャンボ機の死角にぴったり入り込み、決して姿を見せない。姿なき犯人は、二百余名の人命と引き換えに、莫大な金塊を要求する。

 シンプルであればあるほど、読者は気になる、「どうやって?」ってね。完全武装の戦闘機なんて、どっから調達するんだ? 誰が乗るんだ? 身代金の受け渡し方法は? だいたい戦闘機ってそんなに長いこと飛んでられないから、逃げられっこないよ!

 本書の面白さの半分は、この表紙を「完成」させるまでの周到な計画にある。一見無関係のエピソードが巧妙に配置され、意外な人物がそれぞれの立場から「戦闘機によるハイジャック」の一点に収束していく布石はお見事としかいいようがない。

 そして、もう半分は、表紙が「完成」された後、ハイジャッカーと旅客機のパイロット、航空管制官の緊張感あふれるやりとりだ。無線機越しの息詰まる会話から、奇妙な信頼関係が生まれてくるのも面白い。ハリウッドならCG処理してしまいそうなスペクタクルシーンも魅所だが、時代がアレなだけに、米軍が残虐すぎるので映画化不能www

 さらに、面白さを加速しているのは、先の見えない展開だ。伏線であることは分かっていたが、まさかそこへ効いてくるなんて…と何度も息を呑むに違いない。文字通りラストまで息をつけない。未読の方こそ、幸せもの。徹夜を覚悟して、明日の予定がない夜にどうぞ。

■ハヤカワSF 「幼年期の終り」 アーサー・C・クラーク

幼年期の終り それこそ山とあるハヤカワSFのなかの、オールタイムベスト。いや、SFというジャンルをひっくるめても、オールタイムベストかも。未読の方へは「黙って読め、うらやましい奴め」といいたい。

 初読では、3回驚愕して、1回嗚咽した。悲しいからではなく、終わりを受け入れる巨大な感情に揺り動かされて。感傷を超越した、自分ではどうしようもない、取り返しのつかないものを眺めている―――そんな気分をたっぷりと味わう。死ぬのが悲しいのではない、終わるのが切ないのだ。そして、まるごと愛おしくなる。

 スゴいSFなだけでなく、優れたミステリとしても楽しめる。読み進めながらも、「なぜそんな世界設定なのか?」と立ち止まるときがある―――全能者の姿が、なぜ○○なのか? 、なぜ地球にやってきたのか? そして、"childhood's end"(幼年期の終わり)が意味するところは…? ―――展開の先読みをしつつ、その乖離を愉しんでいたら、謎あかしの瞬間、物語と感情と世界設定がぴったりと噛み合って、身体じゅうに震えが走った。

 大事なので、未読の方へ、もう一度、「黙って読め、幸せ者め」。

■ハヤカワFT 「妖女サイベルの呼び声」 パトリシア・A・マキリップ

妖女サイベルの呼び声 極上のファンタジー。緻密な心理描写と奥深いスケールに、圧倒されるのではなくのめりこむように読める。

 キャラとイベントで物語を転がす濫製ファンタジーの対極にある。「ファンタジー」なんて、しょせん剣と魔法、光と闇の活劇だと決め付けている人ほど、嬉しい悲鳴をあげるに違いない。この物語はファンタジーでしか書けないし、テーマはファンタジーを、(少なくともわたしが勝手にファンタジーだと思いこんでた範囲を) 完全に超えている。

 かといって、テーマが複雑に折れ曲がっているわけではない。魔法使いサイベルが、人の心と愛を知り、そしてそれゆえに苦悩し、破滅へ向かおうとする話。お約束の台本どおりに進まない心理劇を眺めている気分になる。

 かつて読んだファンタジーの記憶を刺激する一方で、オリジン(源)の匂いをかぎつけて嬉しくなる。黄金財宝を守るドラゴン、いかなる謎(リドル)の答を持っているイノシシ、黄金色の眼と絹のたてがみを持つライオンといった、どこかで見たイメージが交錯する。妖女サイベルは、いわゆる召喚士や幻術師が持つ能力を用いて、魅力的なケモノたちを操る。

 心理描写を幾重にも張り巡らすのに、肝心のサイベルの心情は外からしか分からないように書いてあるのが心憎い。登場人物の性格についてもほとんど説明がない。表情や動作のちょっとした描写や、唇や眉の微妙な動き、息遣いの変化が心理の動きをあらわし、読み進むにつれて各人の性格が生き生きとイメージされてくる。

■ハヤカワNF 「神話の力」 ジョーゼフ・キャンベル

神話の力 世界と向き合い、世界を理解するための方法、それが神話だ。

 現実が辛いとき、現実と向き合っている部分をモデル化し、そいつと付き合う。デフォルメしたり理由付けすることで、自分に受け入れられるようにする。例えば、愛する人の死を「天に召された」とか「草葉の陰」と呼ぶのは典型かと。そのモデルのテンプレートが神話だ。いわゆるギリシア神話や人月の神話だけが「神話」ではなく、現象を受け入れるために物語化されたものすべてが、神話になる。

 本書は神話の大家、ジョーゼフ・キャンベルの対談をまとめたもの。キャンベル本は、現代の小説家やシナリオライターにとってバイブルとなっている。例えばジョージ・ルーカス。スターウォーズの物語や世界設定のネタは、古今東西の神話から想を得ているが、その元ネタがキャンベル本なのだ。本書では、「英雄の冒険」や「愛と結婚」といった観点で古今東西の神話を再考し、神話がどのように人生に、社会に、文化に影響を与えているかを縦横無尽に語りつくす。おかげで、あらためて「分かり直した」感じだ。存在には気づいていたものの、名前を知らなかったものを教えてもらったようだ。

 例えば、かつてシャーマンや司祭が担ったことがらが、我々全員に委ねられようとしているという。衝動に駆られて行動したとき、幸福をとことんまで追求するとき、自分に何が起こるのかを教えてくれるのが、神話だった。神話を通じ、シャーマンや司祭は、何に嫌悪を抱き、どういうときに罪悪感を抱くのか、その社会の構成員の手引きをしていたのだ。ところが、神話の伝え手がいなくなったいま、判断の基準そのものが個々のものになっている。

 わたしはこれを、「価値観の多様化」「フラット化」という言葉で理解していたつもりだったが、「神話の喪失」と考えることもできる。ストーリーを自分で作り出さなければならない世の中になったんだね。子どもじみた選民妄想である「邪気眼」が、なぜか「あるある!!オレも厨二の頃考えた」となる理由はここにある。ストーリーの核は、かつて語り部だけが運んでいたが、マンガやテレビに散らばってしまっているからだろう。

 究極の真理の一歩手前にある神話の力を感じながら、世界と向き合うために、「使う」一冊。

■ハヤカワepi 「君のためなら千回でも」 カーレイド・ホッセイニ

君のためなら千回でも1君のためなら千回でも2

 乗車率200%の痛勤電車で嗚咽が止まらない。

    For you, a thousand times over
    きみのためなら千回でも

 このメッセージが本当に伝わったとき、「心がとどいた」感覚になる。あまりに強い感情にうちのめされ、立っていられないほどになった。まるで感情の蛇口が壊れてしまったよう。

 アフガニスタンの激動の歴史を縦軸、父と子、友情、秘密と裏切りのドラマを横軸として、主人公の告白を、ゆっくりゆっくり読む。描写のいちいちが美しく、いわゆる「カメラがあたっているディテールで心情を表す」ことに成功している。ニューヨークタイムスのベストセラーに64週ランクインし、300万部の売上に達したという。アフガニスタンが舞台の物語としては異例だが、これは移民の読者層が増えている証左なのかもしれない。

 祖国を離れアメリカで生活をしている人にとって、二つのスタンダードに挟まれることは想像に難くない。本書の主人公は、むしろアメリカ流に飲み込まれ、過去を深く埋めるほうを望む。この「過去」は特殊かもしれないが、ダブルスタンダードを意識する人にとって、本書は別の意義をもち始める。

 本書には、二つの「ダブルスタンダード」が折りたたまれている。一つは、戒律の厳しいアラブの男の「ダブルスタンダード」。「嘘と贖罪」の過去が暴かれるとき、気づかされる仕掛けとなっている。もう一つは、イスラム法を厳格に守る(守らせる)集団、タリバンの「ダブルスタンダード」。過去に糊塗されたダブスタが開かれるとき、強い痛みが走る、まるでわが事のように身を折り曲げたくなる。

 場所も文化も遠いのに、感情まるごともっていかれるのは、この苦悩の普遍性だ。「父と子」、「友情と裏切り」、「良心と贖罪」といったテーマは、いつでも、いつまででも古びることはないだろう。

■ハヤカワJA 「戦闘妖精・雪風」 神林長平

神話の力 現実は、SFよりもSFだ。なぜなら、あらゆる最先端の兵器の最も弱い点は、「人」なのだから。人は訓練と休息を要し、感情に左右され、よく間違える。加速度Gや水圧に弱く、そして死ぬ。「ロボット兵士の戦争」で米軍が直面している現実は、30年前描かれた架空の戦闘機・雪風に体現されている。そして、これから向かい合う未来の現実も。

 主役はなんといっても「雪風」、近未来の戦術+戦闘+電子偵察機だ。この戦闘妖精を嘗め回すような描写のデテールを見ていると、著者はこの"機"に惚れこんで書いたんだろうなぁと思い遣る。

 論理的にありえない超絶機動を採ろうとしたり、合理的な意思を突き抜けた真摯さをかいま見せるので、読み手はいつしか雪風を人称扱いしはじめる。さらに、雪風こそ全てで、「人類がどうなろうと、知ったことか」と嘯くパイロットも、"彼女"を恋人扱いするので、ますますそう見えてくるかもしれない。

 そんな孤独なパイロットが、戦闘を生き延びて行くにつれ、人間味のある一面を見せるようになる。反面、"女性的"に扱われていたマシンが、残忍かつ非情な選択をする瞬間も見せる。テクノロジーとヒューマンの融合、人間味と非人間性の交錯がメインテーマなのかも。けれども、その演出がニクい。先ほど使った「人間味」や「残忍」という修飾は、あくまでヒトたるわたしが外から付けた表現だ。そんな甘やいだ予想を吹き飛ばすような展開が待っている。次のセリフが示唆的だ。人とは何かをテーマにするため、いったん、ヒトを突き放して考えているところが、とてもユニーク。

戦争は人間の本性をむき出しにさせるものである。だがジャムとの戦闘は違う、ブッカー少佐はそう言っていた。ジャムは人間の本質を消し飛ばしてしまうと
 そう、戦況が膠着化するにつれて、ヒトからますます離れてゆく。テクノロジーが先鋭化するにつれ、搭乗する"ヒト"の存在が、機動性や加速性へのボトルネックになってくる。無人化・遠隔化が進むにつれて、「戦いには人間が必要なのか」という疑問が繰り返し重ねられてゆく。

 過去なのに今を、今なのに未来を見ている感覚になる。SFではなく、この問題は現実なのだと痛感させられる。

■ハヤカワミステリ 「初秋」 ロバート・B・パーカー

初秋 文句なし傑作。

 ジャンル的にはハードボイルドだが、大人と少年の交感ものとしてジンときたし、ビルドゥングスロマン(成長譚)とも読める。本書はスゴ本オフ@ミステリでやすゆきさんに教わった。良い出会い、ありがとうございます。

 離婚した両親の間で、養育費の駆け引きの材料に使われている少年がいる。心を閉ざし、ぼーっとテレビを見るだけで、周囲に関心を示そうとしない。私立探偵スペンサーへの最初の依頼は、「父親に誘拐された息子を母親に取り戻す」だったはずだが、放置され、ニグレクトされた少年に積極的に関わろうとする。そのスペンサー流のトレーニングがいい。

「おまえには何もない。何にも関心がない。だからおれはお前の体を鍛える。一番始めやすいことだから」
 ときには突き放し、ときには寄り添う。厳しくてあたたかい、という言葉がピッタリ。これは二色の読み方ができる。かつて少年だった自分という視線と、いま親である立場というそれぞれを交互に置き換えると、なお胸に迫ってくる。無関心という壁をめぐらす少年に、スペンサーは、妙な距離をおきつつ、「大人になること」を叩き込もうとする。

 年をとるのは簡単だが、大人になるのは難しい。そも「大人になる」とはどういうことか、わたしの場合、親するようになってようやく分かった。そして、その答えがスペンサーと一緒なので愉快になった。

「いいか、自分がコントロールできない事柄についてくよくよ考えたって、なんの益にもならないんだ」
 子どもの目線と、大人の目線と、両方で読める。どちらの立場で読んでも、あたたかいものがこみ上げてくる。

■ハヤカワ・クリスティー文庫 「春にして君を離れ」 アガサ・クリスティー


 「自分を疑う」これが最も恐ろしい。

 誰かの矛盾を突くのは簡単だし、新聞などの不備を指摘するのは易しい。科学的説明の怪しさを探すのは得意だし、だいたい『言葉』や『記憶』こそあやふやなもの。しかし、そんなわたしが最も疑わない―――あらゆるものを疑いつくした後、最後に疑うもの―――それは、自分自身。わたしは、自分を疑い始めるのが怖くて、家族や仕事に注意を向けて気を紛らわしているのかもしれない。自己正当化の罠。

 では、こうした日常の諸々から離れたところに放り出されたら? たとえば旅先で交通手段を失い、宙吊りされた場所に居続けたら? 読む本も話し相手もいないところで、ひたすら自分と向き合うことを余儀なくされる。最初は、直近の出来事を思い出し、何気ないひとことに込められた真の意味を吟味しはじめる。それは次第に過去へ過去へとさかのぼり、ついに自己満足そのものに及ぶ。

 クリスティーにしては異色作、誰も死なないし、犯人もいない。中年の女性の旅先での数日間が、一人称で描かれる。しかし、暴かれるものはおぞましい。読み手はきっと自分になぞらえることだろう。

 「いろいろあったが、自分の人生はうまくいっている」「それは全く、自分のおかげ」「わたしこそ良妻賢母の鑑だ」「あいつのような惨めな境遇ではない」「あいつがああなったのは、自業自得だ」「夫のダメな部分はわたしが正してやらないと」「いつだって子どものことを考えてきた」───こうやって書くから、読み手はこの中年女の"自己中心"が見える。しかし、それは"ほんとう"なのだろうか? 疑いはじめるとキリがない。自分の人生が蜃気楼のようなものだったことに気づく恐ろしい瞬間が待っている。

 これはありむーさんに推されて手にした傑作。ありむーさん、恐ろしい作品をありがとうございます。

■ハヤカワ演劇文庫 「セールスマンの死」 アーサー・ミラー

セールスマンの死 毒物指定、ただし社畜限定。

 読書は毒書。とはいうものの、読者によって毒にもクスリにもなる。ローン背負って痛勤するわたしには、狂気たっぷりの毒書になった。やり直せない年齢になって、自分の人生が実はカラッポだったことを思い知らされて、嫌な気になるかもしれない。全てを捨て、人生をリセットしたくなるかもしれない。

 かつては敏腕セールスマンだったが、今では落ち目の男が主人公。家のローン、保険、車の修理費、定職につかない息子、夢に破れ、すべてに行き詰まった男が選んだ道は――という話。だれもが自由に競争に参加できる一方で、競争に敗れたものはみじめな敗者の境涯に陥るアメリカ社会を容赦なく描き出している。

 見どころは、このセールスマンの葛藤。

 とても前向きで、強気で、ひたむきだ。人生の諸問題はプラス思考でなんとかなると押しまくる。今で言う「ポジティブシンキング」の成れの果てを突きつけられているようだ。自分に都合よく現実を解釈し、自らを欺き続ける主人公への違和感は、そのまま自分の人生への違和感になる。

 そしてついに、目を背け続けてきた現実が、過去が、彼をつかまえる。自己欺瞞が徹底的にあばかれるとき、読み手は思わず自分を振り返りたくなる。わたしの人生はカラッポなんかじゃないって。同時に、彼がおかしい――いや、狂っているのかどうかも分からなくなってくる。いっそ「狂気」のせいにしてしまえれば救われるのに、と念じながら読む。

 思わす自分の半生をふり返り、そこに欺瞞を狂気を見いだしてしまうかもしれない。そんな毒を孕んだ戯曲。

■ハードカバー 「ブラッド・メリディアン」コーマック・マッカーシー


 息を止めて読む。本書を読むことは、強烈な体験となるだろう。

 アメリカ開拓時代、暴力と堕落に支配された荒野を逝く男たちの話。感情という装飾が剥ぎとられた描写がつづく。形容詞副詞直喩が並んでいるが、人間的な感覚を入り込ませないよう紛れ込ませないよう、最大限の努力を払っている。そこに死が訪れるのならすみやかに、暴力が通り抜けるのであれば執拗に描かれる。ふつうの小説のどのページにも塗れている、苦悩や憐憫や情愛といった人間らしさと呼ばれる心理描写がない。表紙の映像のように、ウェットな情緒が徹底的に削ぎ落とされた地獄絵図がつづく。

 感情を伴わない暴力は、自然現象に見える。しかも、その行為者が人間の場合、一種奇妙な感覚にとらわれる。即ち、その殺戮は必然なのだと。生きた幼児の頭の皮を剥ぐといった、こうして書くと残忍極まる行為でも、実行者は朝の歯磨きでもするかのようにごく自然に「す」る。もちろん行為の非道徳性を批判する者もいるが、どちらも感情が一切混じえてない会話・行動なので、読み手は移入させようがない。起きてしまったことは撤回されることはない。

 強靭で的確でスケールのでかい記述にたじたじとなる。地の文と会話が区別なくよどみなく進み、接写と俯瞰の切替は唐突で、動作は結果だけシンプルに続く。人間のセリフだけが意味あるものとしてカッコ「 」に特権化されていないため、人の声も風の音も銃声もすべて等質に記述される。

 このどこにもない物語は、あたらしい神話と呼ぶにふさわしい。

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 駆け足で一気に紹介したが、ぜんぜん足りない。オーウェル「一九八四年」は?キイス「アルジャーノンに花束を」は?伊藤計劃「虐殺器官」を外すなんて! マッカーシーなら「すべての美しい馬」だろ常考、ファンタジーならエディングス「ベルガリアード物語」が一番って言ってたじゃねーか、ハヤカワNVなら、いろんな意味で目を真っ赤にして読んだ「女王陛下のユリシーズ号」しかありえねぇ、ひょっとして国民的大ベストセラー(ただし未完)の「グイン・サーガ」がハヤカワだってこと、忘れたわけじゃないだろうね―――いくらでも、どこまでも、とめどなく出てくる。スゴ本オフがたのしみだーッ

 ここに紹介した作品はどれも傑作なので、オフ会に参加される方のとカブることもあろうかと。被っても無問題、自分の思いを語ればよし。重畳上等、被るということは、より強力にその本をオススメしたくなるのだから。


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コメント

シャドー81と幼年期の終わりは私も徹夜して読みふけりました。
特にシャドー81は、映画でもゲームでも味わったことのない最高にスリリングなエンタテインメント体験。間違いないですね。

私のお気に入りハヤカワは、ジョン・ディスクン・カーの「火刑法廷」です。これももちろん徹夜(笑)ミステリー好きにはたまらんと思います。

君のためなら千回でもと、戦闘妖精「雪風」を楽しみにさせていただきます。

投稿: tojikoji | 2012.04.21 00:15

>>tojikoji さん

オススメありがとうございます!「火刑法廷」は読みます。タイトルだけは気になってて、なかなか手が出なかったので、これを機に!

投稿: Dain | 2012.04.21 12:00

「海の男ホーンブロワーシリーズ」に一票

主人公はナポレオン時代の英国海軍軍人

未読であれば是非お読みください

投稿: ラッキーマン。 | 2012.04.21 19:46

>>ラッキーマン。さん

まっっっっったく知りませんでした!ありがとうございます、まず「海軍士官候補生」から手を付けてみようかと。

投稿: Dain | 2012.04.21 20:28

 こ、この企画はすばらしい……!

 僕が最近読んだハヤカワの中で面白いと思ったのは、『ミレニアム』と『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』です。
 『ミレニアム』は、6冊もあるのでお腹いっぱいになったし、「第三巻」は徹夜しました。(それでも、続編が読めないのはつくづく残念。)『ティンカー、……』は、読むのにすごくすごく苦労したけれど、読んだ甲斐がありました。
 そういえば、『シャドー81』は、このブログで教えていただいて、徹夜しました。どうもありがとうございました。

 ところで、ハヤカワの文庫といえば、3年ぐらい前からサイズが変わりましたね。僕は「かまわないけど……でもなんでわざわざ変えたんだろ??」と思っています。たしかに「読みやすいトールサイズ」かもしれないけど、日本人に最も親しまれているであろう書籍のフォーマットをわざわざ変えるほどかな、と。

それでは、オフ会の報告を楽しみにしております。

投稿: シマリス和尚 | 2012.05.07 21:32

>>シマリス和尚さん

はい、今回のハヤカワは、かつてないほどのスゴい奴が集まってくることと期待しています(と、毎回いってるような気がする…)

「ミレニアム」と「ティンカー」は、嬉しいことに未読です。が、絶対ハマれる本として予め高く買っています。期待MAXで読むつもりです。

投稿: Dain | 2012.05.08 21:45

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