死なない家「三鷹天命反転住宅」
誰もがみな
住みたがるが
はるかな値段
その家の名は天命反転住宅
三鷹にあるユートピア
戯言兎角、死なない家があるらしい。[三鷹天命反転住宅]という。凸凹の床、歪んだ居間、球形の休憩室。極彩色の外観・内装は、この世のものとは思えない。帯の文句を信じれば、「人間の可能性を作り変えるほどの建築」になる。
これまで、垂直と水平でできた四角い箱空間に安住してきた。この箱空間にぴったりと合う四角形の規格品があふれており、それらを使い慣れてきた。マンネリ化の結果、わたしたちは、各人の能力のほんのわずかしか活用できていないという。
しかし、この異形な棲家に住まうことで、生命としての能力を最大限に発揮させるそうな。これまでの生涯を通じて身に着けてきた「先入観」を解体+再構築し、心=身体(心体)を甦らせ、再生させることを目的とした住宅。われわれが生活をするとはどういうことなのか?生きているとは?身体を動かすとは?身体を横にするとは一体どういうことなのか?根底から再考を促しかける巨大な装置。
面白いのは球形の書斎。床が平らではないので、滑り落ちてしまう。そこで声を出すと、ものすごく大きな声が、コンマ何秒で拡大された声として、再び自分の耳に戻ってくる。もう一人の大きくなった自分と同居している感じになる――体験生活した人の話を聞くと、乱歩の鏡地獄を思い出す。あれは360度凹面鏡だったが、これは音の装置といったところか。室内を着るというか、部屋と一体化する感覚が生まれるようだ。
もうひとつ。家の中はほとんどが家族の共有空間であり、プライバシーの保護に無関心どころか、取り去ってしまおうという意志が感じられる。シャワーブースは透明だし、トイレはドアがない(ちょっと隠れたところにあるが、共有空間と隔てられていない)。住宅は「ひとり」という単位で考えておらず、そこにすまう生命体トータルで、ひとつとカウントされているように見える。家族であり仲間なのだが、その一部分が排泄したり洗ったりするする感覚か。
荒川氏はこの住まいを「ミキサー」とたとえる。
あそこは、ミキサーのような。ミキサーを大きくして、人体を入れて、人体を傷つけずにジュースにするような、感覚をジュースにするような、そういう部屋に入れられたわけだ。それで、君の感覚はどんどん広がっていって、からだはそのままのようだけど、重心を失う。不可思議な偏在の場に入っていって、何もせずに、ぐるぐる回っているだけなのに、君の記憶とか体験が、どんどんどんどん消えていく。荒川修作とマドリン・ギンズは、「死に抗する建築」と称するが、秘密はそこらへんにあるようだ。人を「ひとり」でカウントすると、当然のことながら、一箇の生命体としての死は避けられない。しかし、そこに住まう共同体を「ひとつ」として数えるならば、家族や仲間の再生・再構成を経て、新陳代謝があるだろう。また、その集団内での感覚や情報の共有があり、時空を超えて保ち続けるのであれば、それは「不死」と呼べなくもない。
じっさいに住んだ人の日記[三鷹天命反転住宅 再訪記]を読むかぎり、感覚的なものが感性に影響を与えていくのが分かる。家賃は20万円程度。住まいを変えることで自分が変わるのなら、安いのか高いのか。
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コメント
現地の場所(道路沿い)も中も知ってますが、バスはあるけれど、車が無いと不便なところです。こんな私には無理だ、やっぱり。
投稿: 金さん | 2009.02.12 12:53
>>金さんさん
そのようですね。くわえて、文明の利器に背を向けたライフスタイルを推奨しているかのような「使用マニュアル」は、並大抵の人には住みこなせないかも。
投稿: Dain | 2009.02.16 01:38