ビデオ電話しながら外出に連れて行ってもらう
僕は家にいるのが好きだ。一人で何十時間でもいれるし、一週間のうち会社と家の往復以外は外にでない日がざらにある。
そんな僕だからこそ、今回やる「テレビ電話で一緒にでかける」ということに実用性があるのかどうなのか試してみたいのだ。
もし楽しければ今後も普通に活用したいと本気で思っている。もしもテレビ電話をするだけで家にいながら友達と遊んでる感覚になれたら、これほど快適なことはない。
当日は友人たちにみなとみらいに行って自由に遊んでもらった。いつもと違うのは「僕が家にいる」ことと「常にテレビ電話をし続ける」という点だけだ。
「テレビ電話で一緒にでかける」って呼ぶのが長いので、ここからは「バーチャルおでかけ」と呼ぶ。これで一発当てて稼ぎたい。
【友人たちがこの日やったこと】
遊び(ゲームセンター、観覧車)
↓
買い物
↓
食事
もしも「テレビ電話をしながらでかけると楽しい」ということがわかれば、「家で仕事しながら遊びに行く」ということや「入院してしまったのでテレビ電話で外出した気分になる」ということも可能かもしれない。なんだか壮大な実験をしているみたいでワクワクしてきた。
あと完全に余談だけれど、最近は「ビデオチャット」や「ビデオ通話」という呼び方が主流らしいのだけれど、ガラケー世代としてはどうしても「テレビ電話」と言ってしまう。なんて呼ぶのが今は一番多いのだろうか。
バーチャルおでかけは予想以上に楽しい
歩いている風景を映しながら会話しているとすぐに感動があった。
予想以上に一緒に歩いている感じがする…!!
今はARやVRの技術が進歩して臨場感が味わえるコンテンツは山ほどあるだろうけれど、風景と音声を共有しているだけでもライブ感は充分にあった。遠くにいる友人と繋がっているという一体感がある。
少し歩いて友人たちも「思ってるより一緒にいる感じがしてなんか気持ち悪い(笑)」と笑っていた。
LINEのグループ通話機能は初期では全員が映っているが、誰か一人の画面を大きく表示することもできる。テレビ番組のカメラを切り替えるスイッチャーになったみたいでかっこいい。
くだらないことで笑える。しかし同時に笑い声が遅れてくるという恐怖も。
会話も特に不便することはなかった。友人たちには2000円の安いイヤホンマイクを使ってもらっていたのだけれど、音声もそれほど問題はなかった。
個人的にハンズフリーの人を路上で見ると「歩いて電話してる人」なのか「独り言を言っているヤベーやつ」なのか判断がつかなくて怖い。他の人にそう見られるのが嫌で僕も今まで使ってこなかったのだけれど思ったより便利だ。
僕が「そこの広場で何やってるの?」と聞くと「マジックショーやってるよ」と返答がきて、そちらの方にカメラを向けてくれる。画面にはマジックショーに拍手をするお客さんが映る。
ただの状況説明なのだけれど、遠くの誰かと同じ場所や時間を共有して繋がっているという安心感がある。
初めてネットゲームをやって知らない誰かと冒険したときのワクワクを思い出した。
(ただし、そのネトゲで仲良くなったとあるプレイヤーに「その武器見せてくれませんか?なんかおかしくないですか?」と言われたので、武器を渡してみたらそのまま逃走されたことがある。それがキッカケでメイプルストーリーは引退した)
「普通の会話が楽しい」というのは僕だけではなく、外にいる友人たちもそうだったようである。笑いのハードルもいつもより劇的に低くなっていた。
後輩くん「マイク外しちゃいます?」
僕「やめろよ…!俺の声が聴こえなくなるだろ…!!」
先輩さん「とりあえず一回スマホの電源切ってみようか?」
僕「やめろよ!!!!!!!!!」
こんな風にいじられたときに簡単なツッコミを入れるだけで大笑いが生まれる。「いないはずの人間が、あたかもそこにいるかのようにツッコミを入れる」という異様な状況がおもしろさに繋がっていたのかもしれない。
こんな中学生みたいなやり取りで全員が腹を抱えて爆笑する。くだらなくて楽しくて発狂しそう…!!
放課後の教室で内容のない会話でずっと笑っていたときを思い出す。
友人たちはみんなその場にいるのでリアルタイムで会話をしているのだが、僕だけ電話をしている状態なので反応が返ってくるまで2〜3秒のタイムラグある。
この2秒が非常に怖い。「自分の発言でみんながウケたのかスベったのかわからない」という魔の2秒が発生する。大声でツッコミを入れたあとに2秒待って笑いが返ってきたときはホッと胸をなでおろす。急に「お笑い力を審査するシステム」が導入されたみたいで発言するのが怖くなってきた。
風景や音声はみんなで共有しているが、その場の熱量や雰囲気まではこっちにはわからない。笑いの空気感というのはまったく伝わってこないのだ。だからテレビ中継ってグダグダになりやすいんだなと思った。芸人ってすごい。
バーチャルおでかけを実際にやってると予想していなかった良い点も見つかった。正しい情報を僕がみんなに即座に届けることができるというところだ。
例えば「芸能人の〇〇が結婚したらしいけど、相手って誰だっけ?」という会話が展開されたときに、家にいる僕がパソコンでそれをすぐに調べて「△△さんらしいよ」と教えてあげる場面があった。AIが発達した未来のSiriにでもなった気分だ。
ロボットアニメとかで「データを解析して主人公に伝えるオペレーター」はこんな感じなのかもしれない。「初号機のシンクロ率が400パーセントを超えています!!」
Youtuberを見ている感覚、ニコニコ動画の雑談配信を見ている感覚
「なんかどっかで見たことある映像なんだよな…」と思っていたのだけれど、ゲームセンターに入って確信した。Youtuberの動画を見ているのに近いのだ。
「じゃあ次はあっち行ってみますね」「こっちには〇〇がありますよ」と友人たちが僕に説明してくれるので、その状況説明が余計にYoutuberっぽい。
弟がYoutuberが好きなので「どこがおもしろいの?」と聞いてみたら「友達を見ている感覚に近い」と言っていたのを思い出した。たしかに友達がでかけている映像を見るのは楽しいというのは現在進行系で理解している。
友人たちも僕と似たように「なんかどっかで見たことある映像なんだよな…」というような感覚を持っていたようだが、僕と感じ方がちょっと違っていた。
僕がだらだらと話しているのが常に画面に映っているので「ニコニコ動画の雑談配信を見ているのに近い」と言っていた。ようは素人の生配信を見ている感じらしい。同じ時間を共有していているのに、相互で見え方が違うというのはおもしろい。
僕はあまり生配信などは見ないのだけれど、なぜ今SNSなどで流行っているのかが少しわかった。誰かと繋がっているという安心感が文字だけのSNSとは格段に違うのだ。
あと後輩くんが飲み物を一人で買いに行ったときに気づいたのだけれど「離れていてもずっと会話を続けられる」というのが不思議な感覚だった。テレパシー能力みたいだ。
ディズニーランドなどの混雑するような場所で二手に別れるようなときがあれば、イヤホンマイクしながら行動すれば迷子にならなくて便利かもしれない。
もちろん問題はいくつもある
バーチャルおでかけはいくつか問題があることもわかってきた。まずは音だ。外を歩いているときはよかったのだが、ゲームセンターなどは騒音が辛い。
BGMや機械音、笑い声など四方八方から音が耳に飛び込んでくる。それによってこちらも大声をださないと友人に聞こえないという問題もあった。
さらに「会話に入り込むのが難しい」ということにも気づいた。さっきも言ったように自分だけ会話にタイムラグがあって2秒くらいしてから声が届くので、一斉にしゃべられると会話に割り込むことができない。
「あ、」「それは…」「えっと」とこっちが会話を展開しようとしても、次々違う会話にいってしまう。大学で一人も友達できなくて授業を受けているときのことを思い出して胃が痛くなった。(ネトゲと同じように大学も途中で辞めた)
最初は「友人と一緒にでかけている感覚」だったのに、ゲームセンターでは「生配信を見ているただの視聴者」に降格してしまった。電子の壁はやはり超えられないのかもしれない。
最終的には後輩くんに「聴こえづらいからしゃべる前に『しゃべります』って宣言してくれ」と言われるほどだった。俺の方が年上だぞ……
漫画の話しをしているときに後輩ちゃんが「〇〇がおもしろいので絶対に見てください」という発言をしたので、ここがチャンスだと思い「バラエティ番組の最後に俳優がやる`宣伝かよ!!」という天才的な例えツッコミをしたら、笑いも何も返ってこなかった。世界的な通信障害でも起きていて僕の発言は届かなかったのだろうか?
観覧車は最高の環境。けれど罪悪感がある
観覧車のチケットを買うときに「あれ?3人だっけ?ああ、3人でいいのか」という声が聞こえてきた。「一緒にいるのにいない」という感覚があるのか一瞬混乱しているようだった。世界の境界線が曖昧になり始めている。
テレビ電話なのでもちろん画質はよくない。だけどみんなの「いい景色〜!」「久しぶりに乗ったけどやっぱいいね」という感想を聞いて一緒に風景を見ていると、補正効果があるのか映像でも感動がある。
観覧車は景色以外にもいい点があった。個室で閉じられた空間のため会話がしやすいのだ。実際にやってみると予想していなかった知見が得られることが多いから、こういうことをやるのは楽しい。
ビデオ通話しながら思ったのだけれど、後輩ちゃんだけが画面に映ると「疑似デート」しているみたいになる。動画配信で1対1で話しながらデートできるサービスがあったら流行りそう。
友人たちには「さっきこのゲームで景品がとれた」という盛り上がりがあるのだが、僕からすると「同じ内容の動画を見せられている」という感覚しかなかったので異常につまらなかった。その場の熱量だけは共有できないのだ。
さっきと同じ動画を見せられているので「流行ったことしかやらないYoutuberかよ!!」というキレキレのツッコミを入れてみたのだが、誰からも反応は返ってこなかった。通信障害ではなく、自分がスベっているということをそろそろ認めなくてはいけないのかもしれない。
バーチャルおでかけの楽しみ方がわかってくる
バーチャルおでかけが始まったときは「会話に入れなくて寂しい」という感情もあったのだけれど、時間が経つに連れてだんだんと「見る側のスタンス」というものがわかるようになってきた。
・生配信を見ている気持ちでいる。
・無理に会話に入らない。
・ボケや会話を振られたときだけツッコミ的に返答する。
この3つが大切だ。一人だけ電話をしている状態なのでリアルタイムに会話するのはやはり難しい。友達の遊んでいる生配信を眺めつつ、たまに会話に加えてもらうくらいの気持ちでいることが大切だ。
会話にタイムラグがでてしまうでの、こちら側はシンプルに簡潔な返答をするのが正解なのだ。
「いらないものを買ってくる桃鉄の貧乏神かよ!!」
「流行ったことしかやらないYoutuberかよ!!」
「バラエティ番組の最後に俳優がやるドラマの宣伝かよ!!」
みたいな長ったらしい例えツッコミ不要なのだ。
「違うわ!!」「アホか!!」「やめろ!!」くらいでちょうどいいのだ。的確にシンプルなツッコミを入れる音ゲーだと思えばいい。
食事で一気に寂しくなり、ついに現実世界へ
風景や音声は一緒のものを感じることができても、さすがに食事は共有できない。ああ、今家に一人でいるんだ…という虚無感が一気に襲ってくるのだ。
冒頭で「家って最高〜!!!!!!!!!」と書いたけれど、やっぱり最終的には誰かと一緒にいることを人間は望むのかもしれない。
「テレビ電話で一緒にでかけたい」という発想自体も、そもそもが「誰かと繋がっていたい」という気持ちの表れなのかもしれない。
テレビ電話をずっとしていると、家から飛び出してリアルな体験がしたくなる衝動に何度もかられる瞬間があった。外の温度や匂いを確かめたくなってくる。家から出るのが好きじゃない人は逆に一度やってみるといいかもしれない。
「さっきまで画面越しに見ていた世界を歩く」という感動
バーチャルおでかけももちろんおもしろかったのだけれど、それよりも一人で街を歩いているときの体験が印象深かった。
自分がバーチャルな世界に入り込んだような錯覚になるのだ。さっきまで画面越しに見ていた世界が目の前に広がっている。憧れの地に降り立ったような感動があるのだ。
さっきまでテレビ電話から聴こえていた街の雑踏などはノイズでしかなかったのだけれど、今は心地よく耳に入ってくる。画質がざらついた風景を画面越しに見ていたので、いつもより外の世界が鮮明に見える。自然と足並みも軽やかになる。
屋台の近くを通ったときには「うわ!いい匂いがする!現実だ!!」と思ってしまった。五感がいつもより敏感になっている。今までつけていた重りがすべて外れたような解放感がある。「さっきまで自分はスマホの中に閉じ込めれていたのかもしれない」とさえ思う。
外の世界はなんて素晴らしいんだろうか。こんなにも世界は明るく楽しいものだったのか…!!
【終わったあとに友達に聞いた感想】
・全体的に楽しかった。もう一回やってもいい。
・複数人でハンズフリーで会話をしている時点ですでにおもしろい。
・「一緒にいる」感じは確実にする
・同じ時間を共有しているのに場所が違うから不思議な感じ。
・スマホがテレビ電話で占領されるのはしんどい。
・スマホの電池消費が激しい。2時間で10%以下になった。
・家にいる側は寂しそうだからやりたくない。
やる前は「会話に入れなくて飽きそう」、「一緒にいるような気持ちにならないだろう」と思っていたが、予想に反して一緒にでかけてる感覚になった。
「高いところを歩くVRのゲーム」をやると実際に屋上にいるような浮遊感がすることがある。あれに近い錯覚なのかもしれない。視覚と聴覚の情報さえあれば、脳が勝手に「現実だ!」と勘違いするのかもしれない。
この日を終えてから調べてみて知ったのだけれど、「OriHime」というでかけることを目的としたカメラ付きのロボットがすでに開発されていた。
OriHimeでは音声通話などにプラスして、感情に合わせてロボットにアクションをとらせることができるようになっていて、より「一緒にいる感じ」がするようになっているみたいだ。やっぱりテレビ電話で一緒にでかけるという仕組み自体には需要はあるのだ。考え方は間違っていなかった。