冷たい水があふれる秦野盆地
というワケで今回は秦野盆地にある湧水群を巡ってみた。いちおうは涼を求めるというテイで涼しげな感じをお伝えしたかったのだが、歩き回るにはいささか暑すぎる日で苦労した。
とはいえ秦野の地下水は冷たくてとてもおいしく、曽屋水道など興味深いスポットも見ることができて満足だ。夏はこれからが本番。暑い日が続きますが、皆様も水分補給をこまめにご自愛ください。
神奈川の水瓶こと丹沢山地の麓に位置する秦野(はだの)市は、地下水が極めて豊富であちらこちらから水が湧き出ており、環境庁の名水百選にも「秦野盆地湧水群」として選ばれている。
暑い日が続く今日この頃、涼を求めて秦野盆地の湧水を巡ってみることにした。
秦野は四方を山に囲まれた盆地であり、丹沢山地から流れる河川が運んできた土砂が堆積した扇状地が広がっている。
山々に降り注いだ雨は地下に染み込み盆地に集まる。また扇状地は水を通しやすく、水を通しにくい地層との境である扇端部からは水が湧き出るものだ。
盆地に扇状地が広がる秦野は、それだけで水に恵まれた土地であることが分かる。
水無川(みずなしがわ)はその名の通り、水が地中に染み込み伏流水となるため地表を流れる水が少ない川である。現在は市街地化の影響で流入する水量が増えたものの、それでも時期によっては水がほとんどなくなることもあるようだ。
要するに秦野は地表を流れる水の量よりも、地下を流れる水の量が圧倒的に多いのだ。なんでも秦野盆地の地下水は、芦ノ湖の水量の1.5倍にもおよぶという。その豊富な地下水を体感すべく、秦野の町を歩いてみよう。
10ヶ所まわります
かつて秦野には湧水を水源とする水路が巡っていたそうだ。市街地として開発された後も地域の人々に水と親しみを持ってもらうよう、このようなせせらぎを整備したと案内板に書いてあった。
秦野駅から5分ほど歩いていくと、住宅街の中に緑が広がる一帯に出くわした。「今泉名水桜公園」と名付けられた親水公園である。
もうお分かりだろう。これらの波紋は池の底から水が湧くことで生じたものだ。この公園の池は、地下水を湛えた湧水地なのである。
地下水は年間を通じて水温が一定であり、数多くの動植物を育んでいる。飛来する鳥も多いようで、望遠レンズを抱えたカメラマンも数人見かけた。
秦野駅の南側にあたる今泉地区は今でこそ住宅街であるが、かつてはこれらの湧水を利用した水田が広がっていたという。
確かに、湧水があればわざわざ川から導水しなくても良いワケで、古くより生活用水・農業用水として利用されてきたことは想像に難くない。事実、「荒井湧水」の周囲からは縄文時代から中世にかけての遺跡が出土しており、湧水の周囲に人々が住み続けてきたことが分かっている。
それにしても、駅の周囲を少し歩いただけでもこれだけの湧水地が見られるとは。秦野は聞いていた以上に水が豊富な土地である。
市街地化が進んだ現在、さすがに地表から湧く水は飲めないが、秦野には飲用可能な地下水が自噴する井戸が数多く存在する。その代表格といえるのが、秦野駅のすぐ近くにある「弘法の清水」だ。
この水は地下深くの洪積層から湧いているといい、駅チカでありながらも冷たく清らかな水を湛えている。ちなみに「弘法の清水」という名は、弘法大師が杖を突いたら湧き出たという伝説によるものだ(この伝説を持つ泉は全国に数えきれないくらいある)。
現在も地域の人々に親しまれている「弘法の清水」であるが、一時は危機に瀕したこともあった。平成元年(1989年)に発癌性の疑いがある化学物質テトラクロロエチレンが検出されたのだ。
秦野市は全国に先駆けて地下水の汚染防止と浄化に関する条例を制定し、官民一体となって地下水の水質改善に取り組んだ結果、平成14年(2002年)に「弘法の清水」は水道水の基準をクリア。再び飲用が可能となった。
この一連の取り組みにおいて、水質の観測用に設置した井戸を、公共の水場として整備したのが次に紹介する「まいまいの泉」だ。
「まいまいの泉」は地下20mの被圧層から地下水が自噴する井戸である。ここもまた地元の方々に親しまれているようで、大きなペットボトルに水を汲んでいる人がいた。
この泉は昭和46年(1971年)に和田さんという方が自宅の裏庭に掘った、地下34mの井戸から湧き出る水を引いたそうだ。和田家は約600年続く家柄で、その初代が後北条氏に仕えた「和田兵庫」という人物であることから「兵庫の水」と命名したという。
隣のお豆腐屋さんが使用しているのももちろんこの水であり、おいしい豆腐だと評判も極めて高いようだ。
この「どうめいの泉」もまた「まいまいの泉」と同様、水質の観測用に掘られた井戸を水場として整備したものだそうだ。地下30mから水が絶え間なく湧き出している。
もともとこの近くには「どうめい湧水」という湧水地があったのだが、宅地開発によって所在地が分からなくなってしまった。そこでこの井戸に「どうめい」の名を冠したそうだ。
児童公園で元気に遊んでいた子供たちは隣の水道水ではなく「どうめいの泉」で手を洗い、水を飲んでいた。秦野の人々にとって、地下水はとても身近な存在なのだ。
これまでは町中の水場であったが、お次は神社の境内にある湧水を紹介しよう。
まずは今泉地区の西隣に位置する平沢地区、小田急小田原線の線路沿いに鎮座する出雲大社相模分祠である。
「ゆずりの水」は地下51mから湧いており、水路を流れて境内を潤している。夏の夜にはホタルが舞うそうだ。
さてもう一社、今泉地区の南側に鎮座する白笹稲荷神社の境内にも湧水が存在する。
こちらは井戸ではなく地表から湧き出ている湧水地だ。お稲荷さんは元々は稲作など農業の神である。 農業に水は不可欠であり、水源地に祀られるにふさわしい神だといえよう。
現在は秦野市の水道水源として管理されており、湧水地への立ち入りは不可である。……が、神社の手水として使用されている水もまた湧水らしく、ペットボトルに汲んでいる人がいた。
最後は秦野市の曽屋地区にある「曽屋水道」を紹介したい。明治23年(1890年)に完成した近代水道(濾過浄水、有圧送水、常時給水の機能を備えた水道施設)である。
これは明治20年(1887年)の横浜水道、明治22年(1889年)の函館水道に次いで日本で3番目と極めて早い時期だ。開国の港町と変わらぬ時期に、秦野盆地にも上水道が整備されていたのである。
曽屋水道は斜面を横に掘った井戸による取水、傾斜を利用した自然流下など、扇状地が広がる秦野盆地ならではの土地条件を最大限に活用して築かれたのが特徴だ。
大正12年(1923年)の関東大震災で被災した後は鉄筋コンクリート造の地下式配水池が整備され、昭和初期には給水人口が増したことからもうひとつ配水池が増設された。
現在も明治から昭和初期にかけて築かれた水道施設が良好な状態で残っており、平成29年(2017年)には国の登録記念物になった。近代水道の発展を物語る、立派な文化財だ。
今回訪れた秦野盆地の湧水や関連スポットをまとめた地図です
というワケで今回は秦野盆地にある湧水群を巡ってみた。いちおうは涼を求めるというテイで涼しげな感じをお伝えしたかったのだが、歩き回るにはいささか暑すぎる日で苦労した。
とはいえ秦野の地下水は冷たくてとてもおいしく、曽屋水道など興味深いスポットも見ることができて満足だ。夏はこれからが本番。暑い日が続きますが、皆様も水分補給をこまめにご自愛ください。
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