天売島まで行かなくても見られる鳥、ウミネコ
ウミネコという、猫の名を冠した海鳥がいる。目つきの悪い、ずるそうな顔の鳥である。このウミネコという鳥は日本各地の海に近い地域では普通に見られ、それこそ野良猫と同じくらいありがたみの乏しい鳥である。
今年の6月、旭川に住む友人に誘われて北海道に行ってきた。6月といえば北海道旅行におけるベストシーズンだ。浮かれた我々は「夏といえば離島だ!」とはしゃぎながら天売島へ鳥を見にいくことにした。
島へは羽幌の港からフェリーに乗って行く。フェリー乗り場には島で観察可能な鳥を紹介するパンフレットがたくさん用意されていて、いろいろな海鳥たちが観察難易度つきで解説されていた。
まず、出会うのがもっとも難しいのがウミスズメ。こいつらは日中は基本的に沖の海に浮かびながら過ごすので、フェリーで移動中に「運が良ければ」見られるらしい。
その次がウミガラス。断崖絶壁に開いた穴で暮らし、その付近の海上に浮いていることもあるという。いずれにせよ崖の上にいる観察者にとっては死角からめったに出てこないシャイな鳥である。確実に見たいならば漁船に乗って海側から観察するのがよいだろうと書かれていた。
私は呆れてしまった。鳥を見るためだけに船に乗れと言うのである。なんという贅沢だろう。まるで王族の遊びのようだ。
もっと手軽に、庶民でも観察できるものはないものか。
目を下に滑らせていったところ、「営巣地に行きさえすれば確実に見られる」鳥としてウトウとウミネコが紹介されていた。
ウトウというのは日本では天売島などの一部地域でしか観察できない鳥である。そんな珍鳥が「確実に見られる」のだから、はるばる遠くまできた甲斐があるというものだ。
逆に、何度も見たことのあるウミネコにはそれほどの関心は湧かなかった。この鳥は日本中どこにでもいる上に、こんな最果ての島でも「いつでも見られる鳥」扱いされているのかと不憫になったほどだ。
この段階ではおまけ程度に感じていたのである。
港から海岸線を歩いていくとウミネコの営巣地に出る
ウトウは日中は遠くまで魚を捕りに出かけていて日没まで帰ってこないため、それまでは島を散歩したり「おまけ」のウミネコを見たりして過ごすことにした。
港で宿の送迎バスに荷物をたくし、海岸沿いの道を歩いていく。
連れだって道を歩いていると、自転車に乗ったティーンエイジャーたちが「こんにちは!」と元気よく挨拶をして駆け抜けていった。びっくりしてこちらも負けじと「こんにちは!」と叫び返した。
人影はまばらだが道を歩いていると何度か若い人とすれ違ったし、港や商店でも若い人たちが働いているようだった。人口300人足らずの北国の島と聞いて、私はてっきりジジとババと鳥しかいないような寒村を想像していただけに、これは意外だった。
あとで宿の人に聞いた話だが、島の方針として学校は意地でも維持しようということになっているらしい。移住者を呼ぼうにも学校がなければ子育て世帯は来てくれないからである。
ただ、そうはいっても島生まれの子供はやはり少ないので、高校の生徒は「島留学」として日本中から集めているのだそうだ。
天売島の街は港がある島の東海岸に集中していて、そこを抜けるとあとはひたすら原野が続いている。そこを覆うように茂っているのはおもにイタドリだ。
視界を横切る鳥の数が俄然多くなった。
イタドリの林が途切れて視界が開けると、そこはまるで絵本の「ウォーリーを探せ」を開いたみたいに陸も空もウミネコたちでいっぱいだった。
私たちは感動していた。
言葉にしてしまえば、とにかくたくさんの鳥に囲まれているというただそれだけなのだが、なにかすごいものを見ているのだという感慨がひしひしと湧きあがってきた。
ウミネコたちは私たちの上を渦を巻くように飛んでいて、そのうち頭の上に一発ひり出してくるかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
あまりに感動しすぎて、「こんなに感動したのはいったいいつ以来だろう」と感動している自分にまで感動し始める始末だった。
鳥の言葉がわかれば
「おまけ扱いしてごめんなさい。こんなにすごいものを見せてくれてありがとう」
と伝えられるのに、それができないのが悔しかった。
ウミネコたちはそんな我々の情動などいっこうに意に介さず、ミョーミョ―と鳴きながらあたりを行ったり来たりしていた。