写真とは……
プラバン着色法で完成した作品を改めて見ると、不思議な気持ちになってくる。
写真をいちど分解して、手描きで描いているので、絵ともいえるし、写真ともいえる。逆に、絵とも言えないし、写真とも言えない。
写真の定義とはなんだろう。
夏休みなのに家の中にいなければならなくてヒマな小中学生は、この手法で描いた絵を、夏休みの絵画作品、あるいは自由工作として提出してみてほしい。果たして、先生はどう判断するだろう。
カラー写真って不思議。
どうして、あんなにきれいな色がでるんだろう。
自分で描けないだろうか。
と思ったので、手描きしてみました。
過去に、印刷の工場を見学したことがあるので、カラー印刷のしくみは理屈としては知っている。
写真の色をC(シアン)M(マゼンタ)Y(イエロー)K(ブラック)の四色に分解して、色のツブツブを並べていくと、それが合わさってカラー写真に見える……ということで合ってますよね。
カラー写真を手描きする。ということはどういうことか。
つまり、CMYKに色分解したシアン、マゼンダ、イエロー、ブラックの、点の集まりを、それぞれなにかを使って、自分でポチポチ描いていけばよいのではないか。
まず考えたのは、カラーのカーボンシートを使ったやり方だ。
CMYKそれぞれの色の版を別々にプリントアウトし、固定した白い紙に、カーボンシートを載せて、そのカーボンシートの色の版をさらにその上から載せて、ツブツブをなぞり描きする……という方法だ。
ちょっと説明がややこしいが、浮世絵の多色刷りと発想は同じだ。
で、いきなりだが、完成品を見てほしい。
CMYKに色分解したシアン、マゼンタ、イエロー、ブラックを、それぞれコピーし、カーボン紙の上からひとつずつなぞって描いた。
元になる写真は、手描きするにあたり、塗る範囲が少なくて済みそうな、周りが白く、中心部にカラフルなものが写っている写真を、自前の写真フォルダの中から探しだした。
なにが描かれているのか。
どこかの地方の珍石とかではない。
最初の手描き写真をみて、この野菜がイメージできた人はいるだろうか。
手描き写真に関しては、なんとも評価が難しいところだが、その前に、どのようにして描いたのか説明させてほしい。
まず、野菜の写真をフォトショップでCMYKに色分解する。
CMYKに分解したものをこんどは「カラーハーフトーン」という機能を使って、小さいツブツブに変換する。
で、変換するとこんな感じの画像になる。
戦後間もないころの子供雑誌に載っていたようなザラッとした質感の写真になった。さらにこれを、CMYKそれぞれのチャンネルに分け、色版としてコピー機で出力。
続いて取りいだしましたるカーボンシート。
電子メールで使う「CC」の語源としておなじみの、黒いカーボンコピー用紙。カラーのカーボン紙は、油のにおいが強く、本当にカーボン紙なのか謎なうえ、色も、シアン、マゼンタ、イエローにピッタリのものがなかったので、青と赤と黄で代用する。
覚悟していたとはいえ、ツブツブひとつずつを塗りつぶすという作業、めちゃくちゃしんどい。
そこそこの筆圧でツブツブを書いていかねばならないので、親指がツリそうになるが、ひたすら塗りつぶす。10分ほどやると、集中力が切れ、呆然となる。そして、SNSを5分ぐらい見てから、また10分ほどやる……を繰り返し、半日かけてやっとイエローの版が仕上がった。
これが、うまくできてるのか、失敗しているのか、まったくわからない。そのうえ、これとほぼ同じボリュームの色版が、あと2つ、すこし塗る場所が少ない黒の版がひとつ。計3つが控えている。
CMYKの4色は、まる2日ほどかけてすべて点を打ち終えた。点を打っている時間がめちゃくちゃ長いわりに、特に書くこともないので、サラッと流すが、まる2日かかっていることはもういちど念をおしておく。そして、完成したものが件の絵だ。
いいのか、悪いのか。よくわからない。評価がむずいというもの、世の中にけっこうあるけれど、まさにそんなものが仕上がった。
遠目にみれば、写真にみえなくもない気もしないでもない。
試しに、離れてみてみよう。
人参などはなんとなくそれっぽくみえるし、ナスは紫色になっているのがおもしろい。が、全体的に黄色が強すぎた。特にピーマンは、黄色い方が強い。これはなぜだろう。
近づいてみると、雑に描いた部分が目立つ。幼稚園児のクレヨン画のようだけど、見ようによってはロイ・リキテンスタインにみえなくもない。
ほんらい近づいて見るものではないので、雑なところはまあどうでもいいだろう。
写真を手描きする。という目的に関しては達成したものの、もうちょっとこう、スペクタクルな気持ちがほしい。
どうしようか。
1枚の紙にカーボン紙でCMYKを重ね描きするのではなく、透明な板の上から、ツブツブをCMYKの色でなぞり描きし、最後に重ね合わせるというのはどうだろうか?
カーボン紙方式に比べ、マッキーは軽い力でプラバンに着色できるので、そんなにしんどいというほどもない。しかし、チョモランマに登山するのが、富士登山に変わったぐらいのことなので、めちゃくちゃ大変なのは変わらない。
細かく点を置いていく作業は、老眼にはかなりきつい。というか、メガネをはずさなければよく見えない。したがって、自然と色版に目を近づけることになる。
こういう感じの芸術家見たことあるなと思ったが、これ棟方志功だ、となった。棟方志功が、もしこの点描技法で絵を描いていたら「わだば日本のスーラになる!」と言っていたはずだ。
点描をしている最中は、手先の筋肉以外はヒマになるので、こういうしょーもないことばかりに思いをめぐらしてしまう。
これらの版を組み合わせると……。
色はよく出ている。だが、写真ぽさはない。いや、ちょっとはなれてみると写真ぽく見えるかもしれないし、見えないかもしれない。
ただ、カーボン紙方式よりも確実にきれいに見えるようになっている。これは、もしかして、題材がよくないのでは? という思いに至る。
野菜とかではなく、人の顔のように、イラストか写真かの差がはっきり出やすいモチーフをなぞりがきしたらどうだろう。
というわけで、自分の顔を色分解し、CMYKで着色してみた。
プラバン着色法で野菜の色版を作りはじめてから、自分の顔の色版を完成させるまで、サクッと書いているけれど、この部分もまる2日かかっている。これは、いわなくてもいいことかもしれないけれど、どうしても言っておきたかったので、書いておきたい。2日かかっている。
で、この4色のプラバンを合体させてみたのがこちらだ。
写真みたいだけど、写真じゃない。実にふしぎな絵になった。
なんかすごい。
もしぼくが、このままワクチン接種の予約を取ることができず、疫病で死ぬことになったらこれを遺影にしてほしい。
ちなみに、元になった写真はこちら。
最終的には、うっかりおもしろいものができてしまった。
完成したものをよく見ると、シアンの点描でミスっているところがあったりするのだが、それがまた「独特の味わい」となっているのもおもしろい。
写真をCMYKに色分解して、わざわざ手描きする。という表現技法は、今まで誰かがやってそうな気もするが、ネットで軽くざっと調べた限り誰もやってないように見受けられた。(どなたか先にやってたらごめんなさい)
ただ、誰もやってない理由はわかる。めちゃくちゃ面倒くさいからだ。
今、あり余るほどのヒマがあれば、もっと大きいサイズの作品も作ってみたい気もする。
プラバン着色法で完成した作品を改めて見ると、不思議な気持ちになってくる。
写真をいちど分解して、手描きで描いているので、絵ともいえるし、写真ともいえる。逆に、絵とも言えないし、写真とも言えない。
写真の定義とはなんだろう。
夏休みなのに家の中にいなければならなくてヒマな小中学生は、この手法で描いた絵を、夏休みの絵画作品、あるいは自由工作として提出してみてほしい。果たして、先生はどう判断するだろう。
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