図書館で大正時代の地図を見せてもらう
暖かさと寒さがせめぎ合うある日、僕は岡山市の中心部にある岡山県立図書館に来ていた。
ここに来た目的は岡山市内にある不自然な形の道路がなぜそうなったのか調べるためだ。
その道路は、太い真っ直ぐな道路の先が突如として公園になっていた。古い地図を見ればその経緯が分かるかもしれないと思ったのだ。
そうして司書さんに出してもらったのが、何重にも紙に包まれた大正15年(1926年)の地図だった。ちなみに大正15年は大正最後の年でもある。
(ちなみにこれは原本なのだがコピーはもっと手軽に見せてもらえると後で知った。僕の場合コピーでも良かった。)
事前に念入りに手を洗い、万が一引っかかって破れたりしないように時計も外し、司書さんが地図を広げてくれるのを見せてもらう。
結局この大正時代の地図でも僕が気になった道路の経緯はわからなかったが、のちに拡幅工事が予算の関係で途中止めになっているだけだと判明する。
しかし僕は当初の目的を忘れ、この地図の面白さに夢中になってしまう。
亡き祖母から聞いた「けえべん」
この地図には亡くなった祖母から聞いた、今はもう存在しない「けえべん」が描かれていた。
かつて岡山市中心部から東へ向かって伸びた西大寺鉄道は通常の鉄道よりも線路幅が狭く、車両も小規模な軽便鉄道(けいべんてつどう)であったことから地元の人からは「けえべん」の愛称で親しまれた。
僕の祖母はこのけえべんで学校に通っていたらしく、時おりその話を聞いていた。しかし僕にとっては白黒写真のように遠い話でしかなかった。
しかし地図で位置がわかると断片的だった情報がつながり、白黒写真が色彩を得たように思える。
大正時代の地図めちゃくちゃ面白いな!
岡山にもあった後楽園駅
地図を一通り撮影させてもらうと、その足で岡山県立図書館から徒歩で20分ほどの場所にあるけえべんの終点、後楽園駅へと寄り道した。
後楽園駅といえば東京ドームの最寄り駅だが、かつて岡山にも後楽園駅があったのだ。
東京の後楽園駅は水戸徳川家の(小石川)後楽園に由来するが、岡山城に隣接する大名庭園もまた(岡山)後楽園と言い、このすぐそばにある。小石川後楽園と岡山後楽園には直接の関係はないが、同じ「先憂後楽」(民衆より先に国の行く末を心配し、民衆が楽しめるようになった後で楽しむべきという政治をする人の心得)が名前の由来である。
けえべんは残念ながら約60年前の昭和37年(1962年)に廃線となり、後楽園駅の場所は現在、夢二(ゆめじ)郷土美術館になっている。
この美術館は明治から大正にかけて活躍し美人画で有名な竹久夢二の作品を展示している。
夢二郷土美術館の駐車場は敷地の奥にあり、カーブした道で繋がっている。この道はかつての線路跡と重なる。
昔聞いた話が地図を媒体に今の街の姿と繋がり、見慣れた景色でも違って見える。線路が見えるぞ。
細長い駐車場の先は行き止まりだったが、宝探しの様に楽しく、その先の痕跡を探すことにした。
地割など名残が見いだせると思っていたが、予想に反して初っ端から跡形もなくホテルが建っていた。
しかし、ホテルの裏はちょうど線路があった場所だけ高く、真相は定かではないが線路の盛土の跡なのかもしれない。
推理しながら散歩するのもまた楽しい。
そこから先は線路の痕跡はしばらく見つからなかったが、このまっすぐな道路もかつての線路と一致している。
後楽園駅からおよそ11キロ先にある西大寺鉄道の起点、西大寺駅にはけえべんの車両が今も保存されていた。
こうして地図を片手に歩けば、普段は見過ごしてしまいがちな昔の痕跡が街中にたくさん見つかるのだ。
広大な練兵場と旧陸軍第十七師団駐屯地
つづいて地図で目を引いたのは、岡山駅の北側にある広大で見慣れない名前だった。
兵隊の訓練をする練兵場と、戦前の陸軍第十七師団の司令部と所属する部隊の施設だ。軍事施設が今よりとても身近にある。
練兵場は右上の角がカーブしていて、その独特の形状には見覚えがあった。
そこが今の岡山県総合グラウンドだとすぐにピンと来た。
岡山県総合グラウンドはとても広く、見渡す限り公園が広がる。
以前、総合グラウンドに用事があり駐車場に車をとめたところ目的地と反対側だったため、うんざりするくらい歩くはめに。
なぜこんなに広いのかと思ったが、ここで訓練をしていたとなればその広さにも納得だ。
かつての練兵場の名残りを探すと、地図に階行社という文字を見つけた。「偕行社」とは旧陸軍の将校の社交場として各地に建てられたものである。
岡山県総合グラウンドには偕行社の建物が健在で、喫茶店や会議室として利用されている。
今まで目に入っても気にも留めなかったが、改めて見るとこの時代の洋風建築はとてもかっこ良い。
陸軍第十七師団の跡地には岡山大学津島キャンパス
岡山県総合グラウンドの近く、陸軍第十七師団の跡地も地元の人ならすぐにピンと来るだろう。
第十七師団の跡地は岡山大学津島キャンパスだ。
だだっ広い岡山県総合グラウンドを縦断し、そのまま岡山大学に足を運ぶ。
岡山大学もまた広く、中心市街地から徒歩圏内の大学としては2番目に広いらしい。
その広さはかつての軍事施設に由来するものだったとは。そして大学となった今でもかつての痕跡は残っていた。
まずこの古そうな建物はかつての司令部庁舎である。両サイドがカットされ、大きく手が加えられながらも事務局として健在だ。
またこちらの建物はかつての衛兵所で、ほとんど当時の姿のままで残されている。
古い地図を見ながらの散策は、残っている建物を見つけるたびに時間を行き来するような錯覚をいだいた。
移転を辿ると、岡山城は中学校だった
ここでふと疑問に思った。
第十七師団の跡地には岡山大学が移ってきたが、その岡山大学はどこから来たのか。降って湧いた訳でもあるまいし。
調べてみると、戦後の岡山大学の母体となったのは第六高等学校らしい。
第六高等学校をはじめ戦前の高等学校は、現在の高等学校とは異なり、今でいう大学の教養課程に相当する教育を行っていた教育機関である。
大正時代の地図では岡山中心部の南東側にその名前を見つけた。
この第六高等学校が進駐軍が引き上げた第十七師団の跡地に移る。
そして第六高等学校の跡地には今は岡山朝日高等学校が建っている。第六高等学校時代の校門はそのままだ。
当然気になるのはこの岡山朝日高等学校はどこから来たのかだ。
調べてみるとその岡山朝日高等学校の前身のひとつは岡山第一中学校らしい。
岡山第一中学校を大正時代の地図で探すと、見つけたのはなんと岡山城だった。
歩いて岡山城に移動してきた。
今まで何度となく来たことはあったが、岡山城が中学校だとは知らなった。なんだか急に親しみが湧いてくる。
改めて見回すと城門横の石垣に文字が刻まれているのを見つけた。
文字が薄くて見逃してしまいそうだが「岡山中学の址」とある。
岡山第一中学校は大正10年に岡山第二中学校(現・操山高校)ができるまでは単なる岡山中学校だった。ここにもちゃんと痕跡が残っていた。
こうして辿っていくと、今ある施設も多くが移転していることが分かった。
もっと活躍していた路面電車
他にも地図の気になったところを見ていこう。 岡山の中心部には路面電車が走っている。
大正時代の地図でも今と変わらず岡山駅から路面電車の線路が東に伸びる。
そして突き当たりを北と南に分かれている。
しかし、現在の路面電車は南へ向かう路線のみだ。
北に向かう線路の痕跡は見つけられなかったが、かつては上のように線路が伸び、今よりもっと路面電車が大活躍していた。
そして北へ向かう路線沿いには今は岡山城の南に移転している岡山県庁があった。
岡山県庁があった場所には今は文化センター(天神山文化プラザ)が建っている。
そして地図にあった独特のカーブは岡山城の中堀の名残で、今も隣の公園にその姿をとどめていた。
50年経っても壁が残る岡山刑務所
他に気になったのは岡山中心部南側にあった岡山刑務所だ。
今の岡山刑務所はもっと郊外に移っているが、かつてはもっと中心市街地に近かったようだ。
こんな場所に岡山刑務所があったのかと思うと同時に、ちょっと思い当たるフシもあった。
かつての岡山刑務所には今は岡山市中央立図書館が建っていて、これまで何度か訪れたことがある。
そして図書館の隣はスポーツ広場になっている。旧刑務所の跡地を分け合ったかっこうだ。
そのスポーツ広場の南東の部分には特徴的な形のコンクリートが残されている。以前訪れたときに見かけて気になっていた。
これ刑務所の壁だったのか。どうりで変わった構造になっている訳だ。
調べてみると岡山刑務所が今の場所に移ったのは約50年前の1969年だそうだ。
つまりスポーツ広場のコンクリートの残骸は約50年にも渡ってあの場所に残ったままということになる。この地図を見なければ気付かなかったし、あと数カ月後には完全に忘れていただろう。
古い地図で街の移ろいを楽しむ
図書館で見せてもらった古い地図から思いがけず色々な発見につながった。
見慣れたはずの街の中にも存在する些細な違和感や、疑問に思わないばかりか意識にさえ上って来ない様なごくごく小さな「なんで」「これなに」が100年前の地図でみごとに氷解した。
とても楽しくおすすめだ。
ちなみに僕の場合、地図の入手はこんな感じだった。
- 図書館の蔵書検索で「地図」で検索すると収蔵されている古い地図が見つかる。
- 普通の本棚ではなく倉庫に保管されている場合もあるが、司書さんにお願いすると出してもらえる。
- ちゃんとした研究者とかじゃなくても見せてもらえた。
- もし原本じゃなくてコピーもあればコピーのほうが気楽。
- 原本は強く広げると痛む場合があるので原本のコピーは出来なかった。撮影のみ。
- コピーのコピーはできた。
- 撮影には利用目的の申請が必要。
よければぜひ試してみて欲しい。
岡山の路面電車 (岡山文庫 (202)) 楢原 雄一 (著)