すでにお気づきの人も多いかと思うが、押し出し式の手動製麺機は、形こそ違えどパスタ文化のヨーロッパにも存在する。そしてちょっと前に話題になったフィリップス社のヌードルメーカーも、これと全く同じ構造だ。
岩首では70年以上も当たり前のように使い続けてきた機械が、生地を捏ねる作業もやってくれる電動式になって、海外から新商品としてやってきたというのがおもしろい。
もし今回みたいなその土地ならではの食文化を知っている方がいれば、どうぞそっと教えてください。
佐渡島にも製麺機文化があるらしい
まず大前提の話がマニアックで恐縮なのだが、小麦や蕎麦(食べ物ではなく植物の場合は漢字で書きます)の産地では、「家庭用製麺機」という道具を使って、うどんやそばをよく作っていたエリアが結構あったのだ。日本国内の話である。
その普及度はかなりのもので、群馬県高崎市あたりの小麦を育てている農家だったら、製麺機は一家に一台が当たり前。それこそ今の炊飯器みたいに必需品だった時代があったのだ。
この話は「うどんを毎日自宅の機械で作って食べていた地方がある」に詳しく書いたので、まず先にそっちを読んでいただけるとわかりやすいのだが、とりあえずそういう食文化があったんだなと理解していただければ大丈夫。
この各家庭で製麺機を使って麺を作っていたという、その土地の人じゃないと絶対に知らない歴史になぜか強く引かれ、今も引き続き趣味で調査をしている。
ここからようやく本題の話。昨年、佐渡島から送られてきた「さどまる通信」という佐渡のPR誌に、興味深い情報が掲載されていた。
地域おこし協力隊という制度で移住した山﨑さんという方のインタビューなのだが、今でも製麺器(機)を使って、そばを打って食べている地域があるそうなのだ。
以前、佐渡在住のある方から島内で拾ったという古い製麺機を見せてもらったことがあるので、佐渡にも製麺機を使った麺作りの文化があったのだろうとは予想していたが、まさか今現在でも続いていたとは。
佐渡に今なお残る製麺機文化とは、一体どんなものなのだろう。作っているのが、うどんではなくそばというのも大変興味深い。
そんな私しか興味のなさそうな話を、前回の記事で書いた「天然のナメコとエノキは栽培ものとちょっと違う」でもお世話になった海野君に一応してみたところ、あのインタビューに答えていた山﨑さんが友人で、なんと製麺の実演を見せてもらえることになったのだ。
岩首とはこんなところ
そして今年の11月の上旬、とうとう佐渡の岩首へとやってきた。
佐渡島は日本海に浮かぶ大きな離島(東京23区の1.4倍)であり、岩首は島の南東側、海沿いに位置する。
山から海へと流れ込む川沿いの小さな集落で、現在住んでいるのは56世帯くらいらしい。
平らな土地というものがほとんどないエリアなので、昔は特に貴重だった米をどうにか作るために、見事な棚田が切り開かれている。
製麺機がよく使われているエリアは、山間部など米作りに向いておらず、代わりに小麦や蕎麦を栽培していたところが多い。
ここ岩首でも、田んぼが作れないような土地で、昔から蕎麦を育ててきたのだろうか。
まさかの押し出し式製麺機!
製麺機でのそば作りを実演してくれるのは、田中實子さんと本間フミエさん。78歳の元気な同級生コンビだ。そして製麺をしていただく場所は、田中さんのご自宅である。
二人は製麺機のことを「機械」と呼んだ。
「これがそばを作る機械です」
實子さんが持ってきてくれた道具をみて、目を大きく見開いて驚いた。
「え、押し出し式なんですか!」
思い切りひっくり返った声が私の口から出た。想像していた家庭用製麺機と全然違ったのだ。
例えるならヤマネコの研究者が目撃者の情報を頼りに現地調査に来たてみたら、絶滅したと思われていたオオカミやカワウソと出会ったみたいな話なのである。
意外過ぎる展開に動揺しまくる私に、これじゃダメだったかしら?と不安になる實子さん。いやいやいや、ぜひこれでお願いします!
押し出し式が岩首の常識
製麺の代表的な方法は3つ。うどんのように生地を薄く伸ばして包丁で切る方法、手延べそうめんや蘭州ラーメンのように生地を細長く伸ばして作る方法、そして冷麺やスパゲティのように小さい穴から押し出して作る方法だ。
この製麺機はまさに押し出し式である。最近は富士そばの一部店舗なども押し出し式で作るようになったらしいが、この集落では昔からこれなのか。
この製麺機がいつから存在するのか、なぜこの集落で使われるようになったのかは謎のようだが、お父さんの記憶だと戦争の終わり頃にはすでに使われていたそうだ。
フミエさんの話によると、子供の頃はおばあちゃんが手打ちでそばを作っていたが、嫁いだ先にはこれと同じ形式の製麺機があったそうだ。集落の全世帯とはいわないまでも、かなりの普及率だったとのこと。
岩首では手打ちでトントンと作ったそばを、切り方が厚いのでドジョウと呼び、そばの入った汁をドジョウ汁と呼んでいたそうだ。もしかしたら岩首の人は、そば打ちがあまり得意じゃなかったのかもしれない。
そこにやってきたこの機械はとてもハイカラな存在であり、この地で局地的に普及したのだろう。まだ持っていない人が、ちょっと使わせてとお願いに来たりするほどの人気アイテムだったとか。
この集落では昔から細々と蕎麦を栽培しており、集落の集まりや法事の際には、自家製の蕎麦粉を使って、この機械で作ったそばを必ず出している。
そして實子さんもフミエさんも、いわゆる手打ちそばは作らない。岩首でそばといえば、昔から機械で押し出すものだからだ。
ただ現在は、蕎麦を育てている家自体が3~4軒まで減っており、これでそばを作れる人も僅か数名になってしまったそうだ。
ちなみに岩首からちょっと離れた羽茂や小木という町で聞きこみをしたのだが、そばといえばもちろん手打ちであり、この押し出し式製麺機の存在を知っている人は誰もいなかった。
このタイプを使っているのは岩首だけという訳ではないのだろうけど、果たして佐渡島内でどれだけ普及していた機械なのだろうか。そして何世帯が今もこれでそばを作っているのだろう。
もしかしたらこの集落周辺が日本中で最後の押し出し式製麺文化の残る地域であり、その珍しさをご本人達が知らないパターンなのかもと妄想が広がっていく。いや、意外と日本各地にまだあるのかな。
それにしても、この押し出し式製麺機はどこで誰が作っていた機械なのだろう。そして誰がここまで売りに来たのかが気になる。交通の便が悪いエリアだからこそ、この持ち運びしやすいサイズの製麺機だったのかもしれない。
もしかしたらこの集落は隠れキリシタンの住処で、ヨーロッパからやってきた宣教師が持ち込んだ食文化という歴史的背景があったらおもしろいなーなんて、勝手な妄想をしてしまう。
押し出し式製麺機で作る十割そばの作り方
この黒いシャワーヘッドのような機械でどうやったらそばが作れるのか、実際に実演をしていただいた。
今の時期はちょうど蕎麦の収穫時期で、去年の蕎麦粉は使い切ってしまっていたため(この集落の製粉機は壊れてしまい、大きな町に持ち込まないと粉にできない)、海野君が知り合いから譲ってもらった佐渡産の蕎麦粉を使用する。
そばの材料は蕎麦粉と水のみ。昔からつなぎを一切使用しない、難易度の高い十割そばしか作らないのだ。
洗面器に蕎麦粉を入れ、その重さの半分の水を注ぎながら、菜箸でグルグルと混ぜる。
手でフワッと力を混めずに全体をよく掻き混ぜて、水分を均等に行き渡らせる。
生地の様子を見ながら水を少しずつ追加して、長年の勘で水加減を決めたら、大きくまとめてグイグイと捏ねる。
麺棒で伸ばす手打ちよりも、ちょっとだけ固くするのがポイント。ただし生地が固すぎると機械を回す人が大変で、柔かいとくっついたり切れたりするそうだ。
親指を軸にしっかりと捏ねて、紙粘土のようなペタペタする粘りが出てきたら、生地作りは完了。
ここまで10分足らずであり、手打ちそばだとここから伸ばしたり切ったりと難しい工程が続いていく。
機械専用の台が登場
さあ機械を使いましょうと實子さんが持ってきたのは、この製麺機専用だという木製の台だった。
この家ではこれを踏み台と呼んでいる。元々が普通の踏み台で、その上に長い板を固定させたもののようだ。
機械を普通のテーブルに固定しても良さそうだが、この台じゃないとダメらしい。製麺機自体は小さくても、大きな台が必要なのか。
さあここからどのようにして、細長いそばの姿にしていくのだろうとドキドキしながら見ていると、二人はそばの生地をおまんじゅうくらいの大きさに丸めだした。
そばが押し出されてきた!
丸めた生地の団子を、機械の横にある穴から親指でグイグイと押し込む。それと同時進行で踏み台にまたがった人がハンドルをグルグルと回していく。こうすることで生地が機械の奥へ奥へと吸い込まれていくのだろう。力仕事の担当は、米袋運びのバイトで鍛えた海野君だ。
ハンドルの動きに合わせて、キーキーと古びたブランコを漕ぐような音がする。すごいな、こんな製麺文化があったとは。
普通のそば打ちは一人でやるが、押し出し式の蕎麦はハンドルを回す人と生地を押し込む人の二人一組が基本となる。そして回す係は大変ではあるけれど、誰でも参加できるというところがおもしろい。
しばらくすると、下の穴からニュイーンとそばが出てきた。まさにそばの出る蛇口である。モンブランのクリームみたいな感じもする。あるいは逆さチンアナゴ。
蕎麦粉を水で捏ねた生地を小さな穴から押し出しているだけなのに、ちゃんと麺になっていて、意外と切れる気配がない。
食べるのに適当な長さまで伸びると、今度は寿司のシャリを混ぜるときのように、出てきたそばに向かってウチワでパタパタと仰ぎ始めた。
こうすることでほぐしつつ表面を乾かし、そば同士がくっつかないようにするそうだ。また摩擦で熱くなった機械を冷ます効果もあるとか。本当に知らないことばかりで、さっきから何度も鳥肌が立っている。
私もハンドルをグルグル回す役をやらせてもらったのだが、この踏み台が必要な意味がよく分かった。
ハンドルを回す腕の力よりも、機械が動かないように支える力の方が大切で、この木馬のような踏み台であればこそ、自分の体重と太ももの力でしっかりと押さえつけられるのだ。
これがテーブルと機械の組み合わせだと、テーブルごと動いてしまうことだろう。この機械だけを手に入れても使えないか(ちょっと欲しい)。
そばの食べ方もちょっと変わっていた
こうしてみんなで作った押し出し式の十割そばだが、その食べ方もちょっと独特だ。
つゆのダシはアゴと呼ばれるトビウオの焼き干し。これは岩首の特徴というよりは、佐渡島全体の食文化だろう。
沸騰したたっぷりのお湯にそばをほぐしながら入れ、再沸騰してから20~30秒で取り出す。
うどんとか中華麺よりも、だいぶ短い時間でできあがるようだ。
茹であがったそばを丼に入れて、常温の汁を掛けたものが「茹で上げ」という食べ方。さぬきうどんでいうところの釜揚げが近いだろうか。
普通のかけそばは、茹でたそばを冷水で洗ってから温め直し、熱い汁を掛けるものだが、この茹で上げ式の方がおつゆがとろとろして美味しいそうだ。
さっそく茹で上げのそばを、ずずーっずっずっと食べてみる。なんだか普通のそばよりもすする音が大きい気がする。
海野:「これ、白滝っぽい!」
玉置:「そんなバカな……白滝だ!」
先に口をつけた海野君の発言になにいってんだと思ったが、まさに白滝。材料は蕎麦粉だけなのに、私が食べてきた手打ちそばと全く違う食べ物に仕上がっていたのだ。
まず手打ちとはそばの形状が違う。機械の穴が丸いため、そばの断面が丸いのである。そして圧力によって押し出されたそばは、口の中でホロリと崩れていくあの感じがまったくない。結果として十割そばなのに、口の中で白滝っぽく振る舞うのである。
丸麺の滑り込むような喉越しや弾力のある噛み心地を楽しんでいると、いつのまにかそばの良い味と香りが広がってくる。確かにそばなのだ。
そばとして出されたからそばだけど、おでんに混ざって出てきたら、白滝かなと思うかも。これが岩首の伝統的なそばなのか。すごい。
このそばを冷やしで食べる人もいるそうなので、そちらも試させていただいた。水でしっかりと洗ったそばに、常温のつゆをかけたものだ。
もりそばみたいにつゆをつけながら食べるのではなく、かけてしまうのが佐渡のスタンダードなのかな。
水で締められたそばは、より弾力が増して白滝感がアップしていた。もうブルンブルンの食感である。すごく美味しく、そして頭が混乱する。
これを食べて育った人にとっては、これこそがそばという食べ物なのだろう。観光用でもなく、名物料理でもない、地元の人達がただ好きで食べ続けてきた味。
日本の食文化史には残らないであろうけど、私としては大発見だ。この特別なそばで感動するために、これまで家庭用製麺機と佐渡島に強く引き寄せられてきたのかなと思うほどなのである。こうして偶然にも出会えて、本当によかった。
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