特集 2024年8月17日

ハンザキ祭りでハンザキ獅子舞に頭を噛まれてきた

太鼓の音とともに迫りくるハンザキねぶた!

世の中、なにが流行るかわからないものである。京都水族館がオオサンショウウオを大々的に展示したりぬいぐるみを販売し始めたとき、いったい誰が、このヌペッとした動物がやがて京都市のアイドル的ポジションに納まることを予想しただろう。

しかし上には上がいるもので、そのはるか前からオオサンショウウオを祭り上げている自治体がある。岡山県・真庭市の湯原温泉である。かの地では年に1回、8月8日にハンザキ祭りというオオサンショウウオのお祭りが開催され、ハンザキ山車その他いろいろのものが登場するらしい。

オオサンショウウオ好きとしては、ぜひとも見に行ってやらねばなるまい。

変わった生き物や珍妙な風習など、気がついたら絶えてなくなってしまっていそうなものたちを愛す。アルコールより糖分が好き。

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ハンザキ祭りはれっきとした神事だった

旅のお供は京都水族館のオオサンショウウオのぬいぐるみ。
到着。京都から車で5時間(途中休憩込み)ほどかかった。

ハンザキというのは、体を半分に裂かれても死なないくらい生命力が強いという俗信からとったオオサンショウウオの別名である。人によっては、今でもオオサンショウウオではなくこの名前で呼ぶこともあるらしい。

最初、ハンザキ祭りは温泉の客寄せのために始まったのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。湯原温泉に到着して、一番最初に見た看板にハンザキ祭りの由来が解説してあった。

要約するとこんな感じである。

昔、湯原温泉を流れる旭川の大きな淵に大きなハンザキが住み着いて、近くを通る人や牛を飲み込んでしまうのでたいそう恐れられていた。

文禄の初年(1592年)のこと、向湯原村の若者・三井彦四郎はこの大ハンザキを退治するため腰に縄を巻き、口に短刀をくわえて淵に飛び込み、見事これを打ち取った。

引き上げられた大ハンザキは体長が三丈六尺(10m余)、胴回りが一丈八尺(5m余)もあり、人々を驚かせた。

めでたしめでたしに思われたが、それからというもの、夜ごと三井彦四郎の家を訪れては戸を叩き、泣き叫ぶ者がいる。戸を開けて外に出てみても誰もいない。たいそう気味が悪い。

このようなことが続くうち、彦四郎の家のものは本人も含めて死に絶え、村にも祟りがあらわれるようになった。

人々はこれを大ハンザキの呪いと考え、祠を建ててその霊を祀った。これが鯢(ハンザキ)大明神だと伝えられる。

私は感心した。

10m以上もあるハンザキ。まるでジュラシックパークの世界だ。そして半分に裂いても死なないとまで言われている大ハンザキを短刀一本で仕留めたという三井彦四郎。死後は夜中に戸を叩きながら「オーン!オーン!」と泣き声をあげるという回りくどい嫌がらせをするハンザキの霊。

よくあるホラ話で済ませるのは簡単だけれど、どうせなら信じたほうが愉快じゃないか。そして、その話を町ぐるみで話を信じて今日までハンザキ祭りを続けている湯原温泉。なんてオツなのだろう。

 

そんなことを考えてうっとりしていたら、背後の駐車場で歓声が上がるのが聞こえた。

 

あ、あれは!
ハンザキ山車だ!

なんと、ハンザキ祭りの目玉の一つであるハンザキ山車が今まさに格納庫から搬出されるところに遭遇。これは幸先がいいぞ。

間近で見て感じる圧倒的な造形美と存在感。形といい色といい、本当に体長10mのオオサンショウウオがいるならこんな感じだろう。

「水中でこんなのに遭遇したら、私なんかただの餌だね。こいつを短刀一つで討ち取った三井彦四郎、あんたはすごかったよ。殺した後に厄払いをしなかったのは詰めが甘かったけど」

つい伝説の世界に没入してしまうのである。そのくらいよくできている。オオサンショウウオにかなりの愛着のあるプロの仕事と見た。

続けてもう一台出てきた。
先ほどのがオスのハンザキ山車「太郎」。こちらはメスのハンザキ山車「花子」だ。
二体ならんだところ。

そう、このハンザキ山車、なんとつがいなのだ。寂しくないようにという配慮だろうか?

じつは、デイリーポータルZでハンザキ祭りが取り上げられるのは初めてではない。

2010年の8月にDPZが誇る工作ライターの乙幡さんが東京からはるばる湯原温泉までやって来て、この祭りに参加したときのことを記事にしているのだ。

それによると、この二つの山車は2010年の時点で「以前は紙の張子で作っていたそうだが、近年お金をかけてFRP製の軽くて丈夫なものに替えた」ものらしい。つまり作られてから最低でも15年くらいはたっているはずなのだ。それなのに、年に一度しか使わないことを考慮しても、とてもきれいに維持されていた。大事にされているのだなと思った。

そして、山車を維持するだけでなく、15年の間にハンザキ祭りはさらなる進化を遂げていたことをこのあと知ることになる。

ハンザキ山車が引き出された駐車場に隣接する鯢大明神の神社にやってきた。ちょうど、祭りに先立って慰霊が行われているところだった。

祠の前には僧侶と神主がいて、参拝者は神主から受け取った玉串を奉納してから焼香するという、神仏折衷の不思議な様式だった。ハンザキの霊の鎮め方など前例のないことだから、効果のありそうなことは一通りやっておこうということでこうなったのだろうか。

鯢大明神の横を流れる旭川。戦後、上流にできた湯原ダムの影響もあって、かなりおとなしい川に見える。
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神社に隣接する保護センターでは生ハンザキたちが

到着して早々にハンザキ山車登場、ハンザキ慰霊祭とお祭り気分のボルテージを否応なく引き上げるイベントに遭遇した。この時点で時間は15時過ぎ。湯原振興局で入手したプログラムによると、ダムのそばに設置されたお祭り広場へ行くためにハンザキ山車が駐車場を出発するのが17時45分である。

お祭りの本番が始まるまでに、付近を軽く散策して、ついでに予約しておいた宿のチェックインを済ませてしまうことにした。

まずやってきたのはオオサンショウウオ保護センター。
立派な水槽がいくつもあって、在来のオオサンショウウオだけでなく、近年交雑が問題になっているチュウゴクオオサンショウウオ、さらにヘルベンダー(アメリカオオサンショウウオ)まで観察することができるのだ。
岩に開いた穴からぬっと顔を出すハンザキ。
連れてきたぬいぐるみたち(大と小)にも見せてやる。
「大きいねえ」

私はもともと、ぬいぐるみを家から持ち出すことには消極的だ。汚れたり、最悪無くしたりしたら目も当てられないからである。ただ、今回だけはどうしても連れてきてやりたかった。これは、いわばオオサンショウウオの聖地巡礼だ。

大小のオオサンショウウオ(ぬいぐるみ)は、もちろん表情は変わらないのだが、どことなく喜んでいるように見えた。

というわけで、ここから先は基本的に脇に大小のオオサンショウウオを抱えた状態で見て回っていると思っていただきたい。呼び名が入り乱れてややこしいから、ぬいぐるみを「オオサンショウウオ」、それ以外を「ハンザキ」と呼ぶことにする。

ぬいぐるみ=オオサンショウウオ

それ以外=ハンザキ

保護センターにはハンザキモチーフの作品もたくさん展示されていた。

ハンザキ神社の絵馬。欲しかったけれど、一点物の非売品。

 

天井からは段ボールで作られたハンザキが。
そして入口の横にデデーン!と居座るのがこれ。「はんざきさん ひと休み」と題したタイル張りのモニュメントだ。

絵、段ボール、タイル。みんな、思い思いの技法でハンザキを表現している。まるで絵画や彫刻や音楽で聖書の世界に迫ろうとした宗教美術のようではないか。

しかしハンザキ・アートが溢れかえっているのはセンター周辺だけでなかった。

⏩ ここではあれもこれもすべてがハンザキ

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