デジタルリマスター 2023年1月13日

スリランカの首都スリジャヤワルダナプラコッテは国会以外何もなかった(デジタルリマスター・2007年取材)

これはスリジャヤ~ではなく、コロンボのフォート駅

スリランカに行ってきた。 スリランカは仏教国として紀元前からの歴史を持ち、各地に数多くの仏教遺跡が残っている。 また、山間部で生産される紅茶はセイロンティーとして世界的に有名だ。 そして、何より人が穏やかでやさしい国。

今回、そのスリランカに行くにあたり、私はぜひとも行ってみたいと思っていた場所があった。 スリランカの首都、スリジャヤワルダナプラコッテである。

スリジャヤワルダナプラコッテ。 その舌を噛みそうな名前だけでも興味が湧くところだが、 この首都、なんと首都でありながら国会議事堂以外にはほとんど何も無いらしい。

これはもう、行ってみるしかないだろう。

2007年7月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。

1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)

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実質の首都はコロンボ

今しがた、スリランカの首都はスリジャヤワルダナプラコッテだと言ったが、スリジャヤワルダナプラコッテは1985年に遷都されたばかりの新しい首都。そこはただ国会議事堂があるだけの場所であり、 実質の首都機能はかつて首都だったコロンボという街に集まっている。

コロンボは、古くより海のシルクロードの港町として整備されてきたスリランカ随一の巨大な街。今でもコロンボの中心であるフォート地区には、イギリス植民地時代の建築が建ち並び、 コロニアルな雰囲気を味わうことができる。

コロニアル建築が建ち並ぶコロンボのフォート地区
ペター地区、フォート駅前

フォート地区の隣にあるのがペター地区。行政の中心であるフォート地区に対し、ペター地区は人々の行動の中心街。この地区には鉄道の中心駅であるフォート駅や、各地へ出るバスのターミナルなど、旅行者にとっての拠点もまたここに集まっている。スリジャヤワルダナプラコッテへのバスが出るのもここからだ。

それでは、スリジャヤワルダナプラコッテへ

コロンボからスリジャヤワルダナプラコッテへは、171番バスに乗って行く。

私は最初、どのバスがスリジャヤワルダナプラコッテに行くのか全く見当が付かなかった。いろんな人に聞いてみて、ようやくこのバスを見つけることができたのだ(途中、全く違うところへ行くバスに乗せられたりもした。バスが発進した直後に気付いて脱出し、何とか難を逃れたが)。

スリジャヤワルダナプラコッテへのバスを人に尋ねる場合には、スリジャヤワルダナプラコッテという名ではなく、「パーラメント(国会議事堂)へ行くバスはどれですか?」と聞くのが間違いなさそうだ。

スリジャヤワルダナプラコッテに向かうバス
バスから見かけた映画館。こういう男がモテるのか?

スリランカこぼれ話 ~ 木魚のような鳴き声の鳥がいる

スリランカの遺跡を回っていると、どこからともなく「ポクポクポク」という まるで木魚のような音が聞こえてくる時がある。 最初、私はそれが何の音であるか分からなかった。仏教遺跡という場所だけに、誰かが木魚を叩いているのかとさえ思った。しかし、どうやらそれは、鳥の鳴き声であるようなのだ。

各地の遺跡で聞こえるそのポクポク音。聞いてるうちになんとも妙に神聖な雰囲気になってくるから不思議なものだ。ひょっとして日本の木魚は、この鳥の鳴き声を元にしたのではないだろうか。いや、さすがにそりゃないか。

このポクポクというユニークな鳴き声を出す鳥、実は私はその詳細を全く知らない。もしこの鳥の正体を知っている人がいたら、ぜひともお教えいただきたい。

その鳥は、静かな遺跡の中で鳴く

 

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着いてはみたものの

スリジャヤワルダナプラコッテへのバス賃は10ルピー(約11円)。 バスが出発してからおおよそ30分経った頃、車掌に呼ばれてバスを下ろされた。

どうやらここが国会議事堂に最も近い場所であり、ここから国会議事堂までは歩いて行けということらしい。

バスを下ろされたのはこんなところ
後ろを振り向くと、草がもさもさ

上の写真の三叉路のうち、右手奥の道はコロンボ方面へと続き、 左手奥に伸びる道が国会議事堂へ続く。左手手前の道は国会議事堂を迂回して別の町へと行く道だ。私が乗ってきたバスは右手奥からやってきて、そのまま左手手前の方へと抜けて行った形になる。

よし、それじゃぁ、いざ国会議事堂へ。私は迷わず左手奥へと進んで行った。しかし、そこは、なんというか、ずいぶんと物々しい雰囲気だったのだ。

なんか兵士がたくさんいる

この兵士たちは、どうやら国会議事堂方面へと向かう車を一台一台停車させ、それぞれを念入りに調べているようだ。

……なんだか嫌な予感がする。

普通に銃とか持ってるし
どこかに連絡とかしてるし

私はなるべく兵士に気付かれないようにこっそり歩いていったものの、ここはただでさえ歩いて通る人の少ない場所、しかも肌の色が違う日本人ときたら、気付かれないというのが不可能な話であった。

あれよと言う間に兵士たちがわさわさと私の周りに集まってきた。 そのうちの一人は、いかつい銃を携えている。兵士たちの顔に笑みは無い。

私はさらに一歩前に出ると、兵士たちもまた私の方に一歩近づいてきた。まるで漫画のようなその光景。場違いながら、私はそれがなんともおもしろいなと思った。

そんな私のおちゃらけた雰囲気を吹き飛ばすかのように、兵士の手にある銃がチャッと鳴る。銃口は反れているとはいえ、それは紛れも無いライフル銃。

怖えぇぇ。ホント、マジ怖ぇ。

私は人畜無害な観光客。ただ、国会議事堂を見たいだけなんだ。 とりあえずその旨を説明しようと、私は恐る恐る口を開いた。

「あの、国会議事堂へ行きたいのですが」

英語でそう簡潔に言う。緊張もあってか妙に声が裏返った気がした。 兵士の顔は怪訝なままだ。

外国人が来たという珍しさもあってか、さらに数人の兵士が寄ってきた。 いつの間にか、私は兵士たちに取り囲まれたような形になっている。

一人の兵士が言った。

「許可証はあるのか?」

許可証?なんだそりゃ。 私は国会議事堂に入ろうというわけじゃぁない、ただ見るだけなのに。 それなのに、許可証なんてものが必要なのか?

「許可証が無いならダメだ」
「一目、国会議事堂を見るだけでいいんですが」
「ダメ。許可がないならここを通すことはできないよ」

……なんてこった。現在、国会議事堂への道は軍によって封鎖されていた。私はなんとか食い下がろうとするが、兵士たちはただ首を横に振るのみ。

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ちょっとヘコんだ

私が事前得ていた情報では、国会議事堂には入ることはできないものの、それを見ることができる場所までは行くことができる、という話であった。しかし、実際には見るはおろか、近づくことさえできないとは……

何を隠そう、この国会議事堂が今回のスリジャヤワルダナプラコッテ訪問のハイライトであったのだ。

ここの国会議事堂は人口の湖の中に作られた島の上にあり、周囲にはクリケット場以外何も無いという極めてシュールな光景が広がっている……という話だった。

こんな感じらしい

この国会議事堂が建てられたのは1982年。その設計はリゾートホテル設計の天才、ジェフリー・バワによりものだ。国会議事堂が完成したと同時に、スリランカの首都はコロンボから このスリジャヤワルダナプラコッテに移された。

うう、いくら御託を並べようと、む、虚しい……

しかし、なぜこんなにも警備が厳しいのか。それは少々きな臭い話になるのだが……

スリランカでは、以前よりシンハラ人(仏教徒の多数派民族)を優先するスリランカ政府と、独立を求めるタミル人(ヒンドゥー教徒の少数派民族)の過激派組織が対立しており、スリランカ北部及び東北部(タミル人の多数派地域)では度々内紛やテロが起きていた。しかし2002年に停戦合意がなされ、内紛は一時停止していた。

私の情報はそこで止まっていた。

後から知った話では、近年その停戦合意は破られ、再び戦闘やテロが何度か起きているということだ。ここで誤解しないでもらいたいが、スリランカ全土が危険というワケではない。危ないのは、あくまで北部、東部といった限られた地域。それ以外は、特に問題なく旅行ができるレベルである。

しかし、それでも当然ながら、政府関係機関は警備が厳しくなる。 国を動かす場である国会議事堂なんてもっての他だ。どこの馬の骨か分からない日本人など、近づけてもらえるはずが無い。

……さて、いや、しかし……これから一体どうしよう。

スリランカこぼれ話 ~ やけにローカルな日本車が多い

スリランカではよく日本車を見ることができる。アジアの国において日本の中古車を目にするのはさほど珍しく無いのだが、スリランカで見ることができる日本車は、やけにローカルな固有名詞のペイントが残ったままで面白い。

かつては横山畳店のものだった。僕は今も元気です

このようなペイントが残っている車は、トラックかバンがほとんどだ。日本の商店や企業から払い下げられるのは、これらの車種が多いのか。

思うのだが、このように車に書かれた日本語は、ある種のハクになっているのではないだろうか。「俺は日本車を乗り回しているんだぜ」というような感じで。あえて、消さずに残したままにしているのではないだろうか。

御弁当、天富士
家具、ファンタスマルト
雪印ハム
白十字株式会社

しかし、所詮中古車であることには変わらないのか、お金持っていそうな人の多いエリアでは、こういう車は一切見受けられなかった。 そういうところに並んでいるのは、たいていピカピカの新車である。

 

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とりあえず、行ける範囲の町歩き

国会議事堂はダメであっても、せっかくスリジャヤワルダナプラコッテに来たのだから、付近をうろついてみることにした。

前ページの三叉路のうち、今度は左手前の道へ進む。こちらの道は国会議事堂を迂回してどこか別の町へ行く道。もちろん、こちらの道には兵士はいない。

旗が連なる光景にはグッとくるものがある

行政に特化した国会議事堂側とは違い、こちらはささやかな人々の暮らしを感じることができる道。横路地をのぞけば、このようなスリランカらしい光景を見ることもできる。

この旗は、スリランカ国内であちらこちらで見ることのできる旗である。それこそ、国旗よりもはるかに多い数目にすることができるくらいだ。おそらく、仏教に関係したものなのではないかと思う。敬虔な仏教徒の多いスリランカにとって、それは非常に重要なものなのだろう。

のんびりとした郊外の町

10分ほど歩いていると、人の多い町に出た。とは言ってもコロンボほど都会な感じはなく、ひなびた地方の町、といった雰囲気。いたって普通な感じの町。路肩には果物や金物を積んだ露天商が出ており、なんとものんびり商売していた。

国会議事堂付近がスリランカを代表する表のスリジャヤワルダナプラコッテだとしたら、ここはさしずめ市民が暮らす、裏のスリジャヤワルダナプラコッテといったところか。

なんてこたぁない、普通の町
いやぁ、普通の町だなぁ

あぁ、それにしても普通な町だ。正直、普通すぎて語ることが何も無い。

……なるほど。つまりスリジャヤワルダナプラコッテとはそういう場所だったのだ。

もともと何も無かったコロンボ郊外のひなびた村に、人造湖と国会議事堂を作り上げ、そこを新たな首都に仕立て上げた。それは長いこと異国人に支配され、異国人によって作られたコロンボという首都から脱却し、シンハラ民族のアイデンティティを再確立するためなのか。

「スリジャヤワルダナプラコッテ」は「スリ・ジャヤワルダナ・プラ・コッテ」と切る。スリは輝くという意味、ジャヤワルダナはスリランカ初代大統領の名、プラは街、そしてコッテとは15~16世紀にこの地に栄えた、シンハラ人王国の名なのである。

あ、こういう話には興味無いですか?スミマセン。


しかし国会議事堂、見たかった

今回のスリジャヤワルダナプラコッテ訪問は、正直タイミングが悪かった。もっと情勢が良い時に行くべきだったと、今更ながら反省してる。

スリランカはぜひともまた行ってみたい国だ。特に今回、その目に収めることができなかった国会議事堂は、いつか再びリベンジしたいところ。

願わくば、一刻も早くスリランカに安寧の日々が訪れますように。

この人、多分ジャヤワルダナさん
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